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クラシック音楽の歴史 #002「バチカンの枢機卿もその存在に驚いた長崎のオラショとグレゴリオ聖歌の関係」

こんばんは。名古屋クラシック音楽堂(@nagoyaclassicca)です。昨日から始めたクラシック音楽の歴史シリーズの第一回のテーマ「グレゴリオ聖歌」に関連するテーマを今日もお届けします。

昨日の投稿にフォロワーのたかぴさん(@ierobe)からこんなコメントをいただきました。

このコメントを聴いて思い出したのが2015年のヴァチカン国際音楽祭での西本智実さんとイルミナートフィルハーモニーオーケストラによる《唄おらしょ》の原曲「グレゴリオ聖歌」グノー作曲「聖チェチ-リア荘厳ミサ曲」。

西本さんとイルミナートフィルハーモニーオーケストラは、2013年にアジアのオーケストラとして初めてバチカン国際音楽祭に招聘され6年連続で〈サンピエトロ大聖堂/バチカン公式ミサ〉、〈サンパオロ大聖堂/音楽祭〉で演奏を行っています。

西本さんはサンピエトロ大聖堂でのミサで、「唄おらしょ」の原曲であるグレゴリオ聖歌「オラショ(oratio ラテン語で“祈り”の意)を披露。

この聖歌が荘厳な大聖堂に響きわたったとき、枢機卿も大司教も、神父たちも「これは東洋の奇跡だ!」と口にしたといいます。

というのも、この曲は、音楽史家の皆川達夫さんをはじめとする長年の研究により発見された、16世紀にスペインのイベリア半島で歌われていたグレゴリオ聖歌で、バチカンにも残されていませんでした。

数百年の時を超えて、バチカンでも忘れ去られていたグレゴリオ聖歌が、遠い日本において受け継がれ、日本人によってバチカンに還されたことは、現地にも大きな衝撃と感激をもって受け止められたのです。

西本智実さんが初招聘に「唄おらしょ」を選んだ理由

実は、西本智実さんの曾祖母が長崎県平戸市生月島に暮らしていた隠れキリシタンにルーツを持つことがきっかけでした。

長崎県といえば、2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」で世界文化遺産に認定されました。

そして、1549年に長崎へ宣教師として訪れたフランシスコ・ザビエルはスペインの宣教師であり、彼が日本にもたらしたグレゴリア聖歌こそ「唄おらしょ」として、鎖国・キリスト教禁止令の間、隠れキリシタンの間で口伝承された、日本に最初に伝わった西洋音楽。クラシック音楽の祖なのです。

ザビエルが伝えたグレゴリオ聖歌と長崎のオラショの比較

Youtubeでこんな動画を見つけました。前半がグレゴリオ聖歌、公判が長崎のオラショとして伝わったものです。確かにほぼ同じ音楽ですね。

キリスト教禁止令の発令された時代に、キリスト教の教えを死守しようと生きた隠れキリシタンの努力は計り知れないものでしょうね。

昨日の記事では、グレゴリオ聖歌を全ヨーロッパに均質に伝えるために楽譜が発明されたというお話をしましたが、キリスト教徒という立場や、祭典などの宗教行事を表立って行えなかった隠れキリシタンがすべて限られた人間への口伝承として現代まで生き残ったことはまさに奇跡といえるでしょう。

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