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フランス革命におけるナポレオンに失望したベートーヴェンは何を新たな希望としたのか。「ウェリントンの勝利 Op.91」

こんにちは。名古屋クラシック音楽堂(@nagoyaclassicca)です。

前回、ベートーヴェンが交響曲第3番を書いた際、当初献呈するつもりだったナポレオンが自ら皇帝に就いたことを嘆いて「ボナパルト」とつけていたタイトルを「英雄」に変えてしまったエピソードをご紹介しました。

新たな英雄を讃えた「ウェリントンの勝利 Op.91」

そして今日ご紹介するのは、ベートーヴェンが1813年に初演した「ウェリントンの勝利」。通称、戦争交響曲と呼ばれる曲です。ナポレオンが皇帝に就いた1804年から9年後の出来事です。

この曲は、1813年6月21日、スペインにおけるビトリアの戦い初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー率いるイギリス軍が全盛期を失いつつあったフランス軍に勝利したことを受けて、ウェリントン侯を讃える曲としてベートーヴェンが作曲したと言われています。

前半はビトリアの戦いを再現したもので、左右からそれぞれの行進ドラムと進軍ラッパに続いてイギリス軍を表す「ルール・ブリタニア」とフランス軍を表すフランス民謡「マールボロ将軍は戦争に行く(マールボロ行進曲)」が現れ、激しくぶつかり合い、やがてフランス軍が撤退していく。

後半はイギリス軍の勝利を祝う華々しい凱歌(イギリス国歌の変形、原型も顔を出す)となっています。

初演当時は大変な人気でしたが、現在では演奏の機会は少なくなっています。

ナポレオンのその後。再度挑戦も大敗する「ワーテルローの戦い」

ナポレオンは、1812年にロシア遠征に失敗し、1814年にヨーロッパ諸国からフランスへ攻め込まれパリ陥落をさせてしまいエルバ島に島流しにされます。

1815年2月にはエルバ島から脱出、3月再び皇帝の座に就きますが6月に「ワーテルローの戦い」で再び、ウェリントン公が率いる連合軍によってフランス軍が敗北し、ナポレオン戦争最後の戦闘となりました。

ナポレオンはセントヘレナ島へ再び流刑になります。そして1821年にこの地で死去するのです。

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