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高架から見下す

 東京に来て数ヶ月。
 意外にも、「東京っぽい」という感想を抱く場所が、ここにはなかった。
 テレビで見る渋谷には、横断歩道が寝そべっていて、109は人間を見下ろしている。新宿では巨大な駅が人々を待ち構え、地下に入ろうものなら壮大なダンジョンを彷徨うことになる。自由で、少し汚くて、夜はなんでもノスタルジックに映ってしまう。東京。今まで、そんな光景の全てが魚眼レンズを通したように私の脳を覆っていた。
 しかし、実際の東京は、なんてことはなかった。人が多いただの街。私の頭の中の東京とは、てんで違う街だった。

 そんな理由で、私は早々に東京の街に飽きていた。おしゃれな服だって、わざわざ渋谷に行かなくても自転車で10分行けば阿佐ヶ谷や高円寺で買えるのだし、カラオケだって最寄駅の隣にある。想像の東京ではなくても、少なくとも現実の東京ではある。田舎に住んでいたあの頃とは違うのだ。

 あの日も私は、高円寺の外れにある小さな美容室を予約した。そして冒険がてら、とGoogleマップも確認せずに自転車を漕ぎ出した。時間はたっぷりとってある。冬の始まりを告げるような澄んだ風が心地よかった。薄暮の中で通りに立つ店々が暖かく光り、背を丸めて歩く人々にも寂しさを感じない、そんな気がした。
 そうしてしばらく走ると、大きな高架下についた。きっとまだ美容室まで距離はあるが、美容室のそばに自転車置き場があるとも限らないので、ついさっき通り過ぎた自転車置き場に自転車をとめ、私はその高架下を歩いてみることにした。


 高架下は薄汚れて埃っぽかった。両脇に建つ店から溢れるオレンジのライトはぼんやりと光っていて、低い天井が私を陰鬱な気持ちにさせる。時折、解体中なのか建設中なのかもわからない作業現場が奥まったところからのぞき、無造作に置かれているダンボールも目についた。
 私は東京に来て初めて、頭の中の東京を見つけた気がした。あの日テレビで見た「東京」とは程遠い場所だが、それでもあの魚眼レンズを通したような圧倒的な存在感、高揚感、その全てがなぜだかここにあるという確信に取り憑かれた。そうしてしばらく歩くうちに、自分の中の蟠りめいたものがだんだんと解けていくような安心感を得た。少しでも長くこの場所を歩いていたい。きっと理由などはないのだと思う。
 そのまま夢中で高架下を進んだ。どこまでも続くこの高架下で一人夢を見ているようだった。日が暮れるに従って両脇から差すオレンジがより柔らかく、明るくなる。埃っぽいと感じた空気も、何故だか全く不快でない。

 しばらく高架下を進んだところで、私は左手に小道を見つけた。幅の狭い通路を挟んで両脇に押し合うように店が構えられている。見上げると、店々に切り取られた細く長い空が見えた。既に星が見え始めているようだ。吸い込まれるようにその小道に入ろうとしたが、ハッとした。美容室のことをすっかりと忘れていたのだ。時間を確認すると美容室の予約時間まで後15分。そしてここから美容室まで10分ほどまだ歩かなければならないらしかった。急に現実に引き戻され、目に映るものの彩度が一段低くなったように感じた。−とりあえず、美容室に向かおう。
 そうしてくるりと振り返るとき、小道の奥に見える店の灯りがついた。大きな木の扉に小さな正方形の窓が付いている。中の様子は見えそうにないが、軒先にぶら下がる看板から察するに、コーヒーショップであるらしかった。私の心に先ほどまでの高揚感がまた少し戻ってくるのを感じる。
 -美容室が終わったら、あの店に。
私はそう決めてその場を後にした。

 東京も、まだまだ楽しめそうな予感がする。


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