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慢性鼻炎の苦悩から手術前までの話

 今回はちょっと私の鼻炎の事について書いていこうかなと思います。
 というのも、この度ようやく鼻炎の手術をする事になり、点鼻薬から開放される日が近づいてきているので、同じ様な症状の人へのメッセージと自分自身の覚書として。

鼻炎を自覚する前の話


 幼い頃はよく親に「口が開いている」と怒られたり、「鼻息が荒い」と笑われたりしていました。当時の私は、口を開けていると怒られるので頑張って鼻で息をする様にしていましたが、当時から鼻で呼吸をするとなんとなく息が苦しく、(こんなにしんどいのに皆頑張ってるのか…)と思っていた記憶があります。
 その後も息苦しさは続き、どうしても口でないと息ができない時間も1日に何度かありました。しかし中学生くらいになると、口で息をするのが恥ずかしく、人にできるだけみられないタイミングで口呼吸をする様になり、その状態が大学生になるまで続きました。
 なぜ病院を受診しなかったのかと思われる方もいるかもしれませんが、当時の私は、それが「当たり前」の状態だったため、病院に行くべきと考えてもなければ、薬で治るという発想もありませんでした。

点鼻薬との出会い

 大学生になり、以前と同じようにできるだけ人から見えないようにして口呼吸をする生活を続けていた私に転機が訪れました。
 授業の一環でグループワークをしていた時、私の対面に座っていた女の子が、おもむろに点鼻薬を取り出し、鼻にシュッとしたのです。私はその姿を見た瞬間に「コレか」と思いました。薬で治るという発想に至ったのもこの時が初めてだったように思います。その日の授業終わり、私はすぐに薬局に走りました。買ってきた点鼻薬はおそらく鼻炎界隈にはおなじみの「ナ○ール」。帰宅してすぐ開封し、おそるおそる鼻にシュッシュとさしました。
 そのまましばらく様子を見ていると、なんとスルスルと鼻が通り始め、まるでトンネルが開通した様な、蒸した車の窓をスッーっと開けて顔を出したときの様な、なんとも言えない強烈な快感、空気の通りの良さを感じたのです。「これはすごい」と、そう思いました。その後はひとまず、昼間鼻が詰まったときに一回、夜寝る前が苦しいので1回、そういった具合で点鼻薬を差す生活が続きました。

 それからしばらくの後、スギ花粉の時期になり鼻汁の量が増えたため、私は耳鼻科にかかることにしました。そのとき簡単にアレルギー数種類の検査をしてもらったところ検査種「スギ、ダニ、ハウスダスト、カビ、(忘れちゃった、ブタクサ?)」5種類の全てにアレルギー反応が。そりゃ年中鼻が詰まってるわけだなーと思い、その時から点鼻薬も市販薬を中止し、耳鼻科で処方してもらうようになりました。

事件1

 ある日、私は点鼻薬を紛失してしまいました。絶対にどこかにあるはずなのですが、探しても見つかりません。寝る時間になり、どうしても見つからなくて困った私は、以前使っていたナ○ール(市販の点鼻薬)があることを思い出し、それをさしてから寝ることにしました。しかしその日、私はひどい鼻詰まりで息苦しくなって目を覚ましました。どうやら点鼻薬の効果が切れてしまった様なのです。以前はナ○ールで十分朝まで過ごせていたのにも関わらず。その当時は特に何も考えず、もう一度点鼻して寝ましたが、今思うとこの頃にはもう異変が起こり始めていたのだと思います。

事件2

 社会人になった私は、引越し先で新たな耳鼻科を見つけ、大学生の頃と同じ点鼻薬をずっと処方してもらっていました。時間もないので多めに処方してもらい、ベッドサイド、持ち運びのポーチの中、通勤鞄の中に一つずつ必ず入れて過ごしていました。しかし、この頃からコロナが流行し始め、私の通っていた病院が休診日を増やすことに。それを知らなかった私は、ある休日点鼻薬の残量が少ないことに気がつき、耳鼻科に向かい病院前でその事実を知りました。どうしてもその日に点鼻薬が欲しかった私は、そのまま少し離れた耳鼻科に向かうことにしました。
 その病院はそこそこ混雑しており、ネットでも先生が優しいと評判のようでした。しかし初めて行く病院では、これまでのことを話す必要もあるので、ほんの少しめんどくさい気持ちも感じつつ順番を待つことにしました。
 そうして、自分の診察の番。噂通り明るくて優しい先生が対応してくださいました。これまでの経緯と使用している薬などを話していると、「じゃあちょっと鼻見せてね」と、細〜〜いファイバースコープを取り出しました。私はこの時点でかなり驚いたのを覚えています。今まで行った耳鼻科で、カメラを使われたことはありませんでした。症状を伝えて、チラッと鼻の中を確認されて、吸入して、終了。いつもこの流れだったのです。
 その後しっかりと鼻を見てくださった先生は「薬剤整鼻炎になってるね」と一言。「え?」と思いました。なんじゃそりゃ。
 先生曰く、点鼻薬を常用していた人に起こりやすいそうで、点鼻薬の刺激によって鼻の粘膜が腫れ上がることで鼻が詰まるのだとか。つまり、鼻炎の症状を抑えるための薬で症状が悪化していたのです。そもそも処方される点鼻薬は、長期間使い続けるものではないのだとか。(私はその時点で5年ほど使い続けていました。)そして、よく考えてみれば点鼻の回数もかなり増えていたことに、そのときようやく気がつきました。処方された当時は、1日2回ほどさせば生活できるレベルであったのに、その頃になると鼻が詰まってきたら不安と煩わしさですぐにシュッ。1日5〜6回は点鼻していたように思います。そしてさらに先生は衝撃的な事実を続けました。
 「鼻の骨が曲がってるかもしれないね。」
 粘膜の炎症や腫れなどは考えていましたが、骨も関与している可能性は全く考えていなかったのでかなり衝撃でした。どうも鼻中隔湾曲症というものがあるらしく、鼻の真ん中で二つの穴を分けている壁の役割をしている骨が、私の場合左側に湾曲している。つまり左の鼻の穴が狭くなっていることも原因だろうと告げられました。そうして最後に、先生はさらに衝撃を与えてきます。
 「これだと手術したほうがいいよ。まだ若いし、薬飲み続けるのも大変だろうから。」

 そうして先生は最後に、私の鼻にあれこれ薬剤をシュッとしてくれたのだと思います。先生に「鼻の通り良くなったでしょ」と笑顔で聞かれました。このときの快感は初めて点鼻薬を刺したときの100倍以上。まるでダイソン。「すごくいいです!」と答えると先生はニコッとして「それが普通の人の鼻だよ。」と。

えっ……すご…


点鼻薬が使えない日々

 ひとまず病院から帰った後、私は手術のことをたくさん調べました。しかし鼻中隔湾曲症の手術の場合はどうやら日帰りで手術しても、通院が複数回必要な様子。当時の私は半シフト制、平日休みで勤務しており、なかなか仕事が休めない日々でした。しかしその受診から半年後、同棲のために他県に引っ越す予定があったため、私はそのタイミングで手術をすることを決意し、しばらく点鼻薬なし生活を送ることにしました。

 点鼻薬なしの生活は、かなり厳しかったです。病院から帰宅して数時間後にはもう鼻が詰まってきており、無意識に点鼻薬に手を出しそうになりました。点鼻薬を常用していた人々は鼻詰まりの気配を感じると不安になったり、その息苦しさに耐えられず、すぐに点鼻薬をさしてしまう傾向にあるようで、薬剤性鼻炎の再発はかなり多いそうです。ここまでくると完全にドラッグ。我々鼻炎患者は点鼻薬に完全に依存してしまっているようです。
 しかし数週間ずっと我慢していると、なんと少しずつ鼻の通りがある程度良い時間が長く続く様になりました。相変わらず満足に息をしている感覚は少ないですし、口呼吸じゃないとやっていけない時間も多いですが、ようやく点鼻薬に出会う前の自分に戻れたような気がしました。


引越し後の受診〜現在(術前)

 この頃には薬剤性鼻炎そのものはほとんど治っている実感があり、本来引っ越してすぐ受診する予定が、気がつけば数ヶ月経ってしまっていました。しかし、サラサラの鼻汁や定期的に訪れる鼻詰まりは続いており、私の机の横に置いてあるゴミ箱は気がつけばすぐにティッシュの山でポップコーンのようになってしまいます。

 そして最近ようやく意を決して受診し、手術の説明を受けてきました。今回受診した病院でも、しっかりファイバースコープで鼻腔内の映像を映しながら説明してくださりまたまたいい病院だな〜〜と思いました。
 そしてやはり私の鼻中隔は湾曲している様なので、手術を決意。

 残す仕事は手術の日程を決めるだけとなりました。術前術後は受診の頻度も増えるため忙しくなりそうです。たっぷり時間がある今でよかった。とはいえ、術後三日から普通に働けるそうなので、有給等で時間の調整ができそうな人は働きながらでも全然手術を受けられるみたいです。

 今後、手術を受け次第術後のことをまた記事にしておこうと思います。
 早くても手術は9月ごろになると思うので、またその頃に。もしも手術体験に興味のある方がいらっしゃればそれまでしばしお待ちください。
 


長くて稚拙な文章ですが、お読みいただきありがとうございました。

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