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ひそみの面(おもて)

――神仏を探せ、お前の神仏を――

 その腕をいつまでも師匠に認めてもらえず、くすぶっている面打ちの千秋。
 ある日、用事で下った村の鎮守で、見事な面と、不思議な少女に出会う。
 その醜さゆえに面を付けなければ人前に出られないという少女に、割れた面の代わりのものを打つことを約束したが、思うような面はなかなかできなかった。

 室町時代辺りをイメージした,ちょっと不思議なホラーテイストの創作小説です.よろしければお付き合いを.

「これじゃだめだ」
 そう言うと親方は、手にしていた面を土間に叩きつけた。千秋が一月ひとつきかけて、掃除や飯炊きの合間に打った面だった。
「やり直せ」
 それだけ言うと、親方は背を向けた。そして鑿を手に取り、自分の作業を再開する。千秋は少し躊躇った後、意を決して問い質した。
「何が、だめなんですか」
 親方はしばらく黙ったまま、鑿と槌とを動かしていた。面を打つ音ばかりが響く重苦しい沈黙の中、辛抱強く待ち続けていると、やがて親方が手を止め、口を開いた。
「お前は、神仏を見たことがあるか」
「いいえ」
 首を横に振ると、親方が嘆息を漏らす。
「それでは話にならん。神仏を知らぬ面打ちなど、男を知らぬ白拍子と同じだ」
 そして、ゆっくりと振り向き、険しい顔のまま言った。
「神仏を探せ。お前の神仏を」

 翌朝、朝餉の後、親方から麓の村へ遣いを頼まれた。村へと続く細い山道を下りながら、千秋は大きく溜め息を吐いた。
――神仏を探せ――
 「探せ」と言われても、探し方が分からないのだからどうしようもない。
 このままでは、面打ちとして芽が出ぬまま、親方の下働きで終わってしまうかも知れない。そんなことを考えて、目の前が真っ暗になった。
 今の親方に付いて、もう何年になるだろう。未だに、木取り(原木から面の形を彫り出す作業)から先に進ませてもらえない。もしかしたら親方は、自分を独り立ちさせず、一生自分の身の回りの世話をさせるつもりなのではないか――そんな疑いすら抱き始めていた。
 いっそ神仏にすがってしまえばいいのかもしれないが、親を早くに亡くした千秋には、あいにく、信心の気持ちなど微塵も無かった。路頭に迷っていた千秋を、たまたま里に下りていた親方が拾ったのだ。面打ちについても、自ら望んで志したわけではなく、親方から手に職を持つよう言われ、仕方なく修行しているだけだ。
 村に着くと、目当ての家を数軒訪ね、順に用を済ませていく。最後の家で、家人の隠居に茶を勧められ、日向ぼっこをしながらしばらく世間話をした。
 家路を急ぐ途中、ふと千秋は立ち止まった。村の外れの鎮守の方から、子供たちの騒ぐ声がする。しばらくすると、子供たちが数人、ひどく怯えた様子で飛び出してきて、そのままどこかへ駆けて行ってしまった。
 少し気になったが、すぐさま踵を返しそうとした。しかし、何となく気になって、そこに立ち尽くしてしまう。しばらく迷った後、千秋は社へ向かった。

 目に入ってきた光景に、千秋は面くらった。社の扉が開き、その手前に、真っ二つに割れた面が落ちている。思わず近寄り、それを持ち上げる。
 塗装は剥げ、木地もところどころ朽ちてしまっているが、その鬼気迫る造形から、かなりの腕を持つ者の手だと分かった。
 これだ、と千秋は直感した。周囲を窺い、人気が無いのを確かめた後、持っていた手ぬぐいで面を包み、懐へ仕舞った。
 次の瞬間、子供のすすり泣くような声が耳に届いた。顔を上げると、近くの木陰に、少女がうずくまって泣いている。
 さっき逃げていった子供たちにいじめられたのだろうか。千秋は、気づかぬふりをしてその場を去ろうとした。しかし、すぐに考え直して少女に近寄った。
「大事ないか」
 すると、少女がうつむいたまま首を横に振る。
「私のお面を、割られてしまった。とても、大切なものなのに」
 すぐに、先ほど拾った面だと気づいた。しかし、こんな少女が、あんな恐ろしい面を大事にしていることを不思議に思った。千秋の気持ちを知ってか知らずか、少女が続ける。
「あれが無いと、私は人前に出られない」
「なぜ?」
 思わず聞き返すと、なおうつむいたまま少女が答える。
「私が醜いから。顔を見せると、皆恐れて逃げてしまう」
 そんな馬鹿な、と思いながらも、千秋は思わずこう言っていた。
「その面なら、いま、私が持っている。工房へ持ち帰って、修繕してあげよう」
 すると、少女は大きくかむりを振った。
「もう、それは使えない。代りのものを探さなければ」
「それなら、私が代りの面を用意しよう」
 少女が泣くのをやめて、探るように言った。
「ほんとうに?」
「ああ」
 少女はしばらく黙り込んだが、やがて呟くように言った。
「きっとね。約束して」
「ああ。きっとだ」
 すると、急に強い風が吹き抜けて、千秋は思わず目を瞑った。目を開けた時には、少女の姿は消えていた。
 どこの家の子か、聞きそびれてしまった。それでも、約束してしまったからには、代りの面を打たねばならないだろう。
 狐につままれたような心地のまま、帰路についた。

 持ち帰った面を手本に、千秋は面打ちに励んだ。しかし、打っても打っても、その面の迫力を再現することはできなかった。面はことごとく、親方に打ち割られてしまう。
 いったい、何が足りないのだろう――。どんなに思案しても、答えは見つからなかった。
 そうするうちに月が一回りした頃、また、遣いを頼まれた。村に着いてお決まりの用を足し、最後に例の隠居の家に着くと、いつものように茶を勧められた。
 隠居がぽつりとぼやくことには、今年は日照りが続いていて、このままでは、村のほとんどの家が口減らしをしなければいけなくなりそうだという。
「そんなに悪いのですか」
 千秋が問うと、うなだれるように隠居は頷く。
「ああ、悪い。村の鎮守様の社が誰かに荒らされて、ご神体が盗まれたそうだ。その祟りじゃないかと、村ではもっぱらの噂だよ」
 そんな話を聞きながら、社を荒らしたのは、あの子供たちなのではないか、と思ったが、口には出さなかった。部外者が気やすく口を挟めば、こちらに火の粉が掛かり、下手をすれば、あらぬ疑いを掛けられるかも知れない。それと同時に、あの少女のことを思い出した。
 その後、隠居と二言三言交わしてから、いとまを告げた。

 帰りがけ、例の社に寄ってみた。人気は無く、例の社の扉は閉ざされている。と、奥の方から声がした。
「こんにちは」
 あの少女の声だった。見ると、藪の中の一隅にある大きな岩の上に、少女が膝を抱えて座っていた。顔は、大きなぼろ布で覆っている。それが妙に気味悪く思えたが、千秋は気にしないようにした。
「面はできた?」
 決まり悪く思いながら、千秋は首を振った。
「恥ずかしい話だが、私はまだ見習いでね。師匠から、面を打つ許しを得られないんだ」
「そう」
 少女は大して落胆した様子も見せずに言った。
「特に、君の持っていた面は、とても出来のいいものでね。あれに劣らぬものを打つとすると、かなり月日を要するかも知れない」
「そう」
 まるで、笹の葉が風にそよぐようなかすかな声だった。少女が淡々と相槌を打つのを怪訝に思い始めた。あの、面を割られてすすり泣いていた少女と同じ人物とは思えないほど冷静で、どこか得体が知れないものに感じられた。
「落ち着いているね」
「慣れているから」
 言葉の意味を量りかねて、見えない顔をじっと見つめた。
「名は。あの村の子なんだろう?」
 少女は少し黙りこんでから、ぼそぼそと答えた。
「イソ」
「家は?」
 すると、黙って宙の一点を指さした。指し示された方へ目を移した刹那、また強い風が吹いて、とっさに目をつむる。目を開けた時には、少女の姿は消えていた。

 その後、村を訪れるたび、鎮守で少女と世間話をするようになった。
 聞いた限り、少女はやはりこの村の娘らしいが、かなり不遇な身の上のようだった。
 彼女は生まれた頃からずっと、面を付けないと人前に出られず、それでもめったに人前にでることはないそうだ。幼い頃、素顔で人前に出た時、その「醜さ」で恐れられ、ひどく傷つけられたのだという。それ以来、極力人前には姿を見せず、外へ出る時は面を付けるようになった。
 そして少し前、面を付けて外へ出たところ、村の子供たちに見つかり、いたずらをされ、面を割られてしまった。少女の素顔を見た子供たちは、恐れをなして逃げ出してしまったというからひどい話だ。
「村の人たちは嫌い。いつも私を怖がってのけ者にするくせに、困ったことがあると、すぐに私を頼って。それで望みどおりにいかないと、私を責めるの」
 何か、特別な技能を持つ家の子のようだったが、あまり深入りしない方がいいだろうと思い、詳しくは聞かなかった。
 自分の境遇から、めったに人に同情しない千秋だったが、その少女にはどこか響くものを感じ、やけに同情してしまった。
 それからしばらくして、噂で村の子供たちの数人が神隠しに遭ったと聞いた。

 少女に新しい面を約束してから季節がひとめぐりした頃、千秋は意を決して言った。
「私の親方に頼んでみよう。きっと彼なら、すぐにあれに見劣りしないものを打ってくれるだろう」
 我ながら、言っていて情けなかった。しかし、少女はぼろ布の向こうから千秋を見据え、強い声で言った。
「貴方が打って」
 有無を言わさぬ口調だった。
「どうして」
「貴方の中に、次の面が眠っているから」
「私の中に? ……何を言っているんだ?」
「分からない? 貴方の面は、貴方の中にしか無いの。ただ、貴方の中で、貴方に見つけてもらうのを待っている」
 少女のことを、どこか空恐ろしく感じた。不安に駆られて、千秋は言った。
「何者なんだ……?」
 少女は、何も言わずにじっと千秋を見つめた。背筋に冷たいものが走るのを感じて、千秋は往来の方へ走って逃げた。

 その後も、例の面を基にいくつも打ったが、思うようなものはできなかった。
 そうこうするうちに、また村へ下る日が来た。例の鎮守には寄らず、そのまま素通りした。その日はいつもより用事が多く、帰路についた頃には、すでに山の端に日が隠れてしまっていた。
 薄暗い夕暮れ時の山路を、かすかな明かりを頼りに進んでいく。しかし、進めど進めど、なかなか親方の家に辿り着かない。いつもよりやけに長く感じた。
 そのうち、不意に、自分の両親が亡くなった日のことを思い出す。
 千秋の両親は、旅の芸人だった。ある時、宿を取り損ねて、夜の山道で野宿せざるを得なくなった。その時、夜盗に襲われたのだ。父も母も、兄も襲われ、まだ幼かった千秋だけが、夜盗の目を盗んで逃げ出すことができた。
 あの時の、夜盗の恐ろしい顔と、襲われる家族の断末魔とが、今も時々夢に出てくる。
 あの時、自分も一緒に残ればよかったのかもしれない。自分だけおめおめ生き残り、無為の生を送っていることを、心のどこかで歯がゆく、恥ずかしく感じていたような気がする。
 いっそ、このまま――。そんな考えがよぎった時、近くで叫び声が上がった。
 思わず立ち止まり、声のした方に目をやる。薄日に目を凝らすと、旅姿の親子が、太刀を持った数人の男たちに取り囲まれている。
 知らんふりをして逃げようとした。その時、声がした。
――また、逃げるの――
 ぞっとするほど冷たい、大人の女の声だった。辺りを見回したが、人の姿は無かった。しかし、声は続いた。
――逃げる限り、目を背ける限り、ずっと追いかけてくる。あの日、あの夜、貴方に巣食った。あれは、貴方の中の、貴方のおもて――
 男の一人が、捕らえた女めがけて太刀を振り下ろす。その瞬間、女の姿が、自分の母親と重なった。それと同時に、男の顔が自分の顔になった。しかし、それは自分の顔でありながら、自分のものとは思えないような、恐ろしい形相をしていた。
 千秋は、叫び声を上げながら斜面を駆け下り、携えていた小刀で、しゃにむに男に切りかかった。

 小刀が地面に突き刺さるのを感じた。
 我に返って辺りを見回すと、親方の家の目の前だった。日はまだ高く、親方が心配そうな顔で千秋の顔を覗き込んでいる。
「お前、大事ないか。そんなところに小刀を突き立てて、何をしている。昼間っから狐狸の類にでも化かされたか」
 呆然として、千秋は親方を見つめた。
「……はい」
 それだけ言って、信じられない心地で、自分が地面に突き立てた小刀を凝視した。先ほど見たあの光景は、白日夢だったのだろうか。全身しとどに汗に濡れ、身体が小刻みに震えている。
 ただ一つ、はっきり分かることがあった。
「面を……打たないと」
 思わずそう呟く。自分の中に、はっきりと焼き付いている、あの恐ろしい形相。それを、形にしなければいけない、という強い衝動が、自分の中で猛り狂って暴れていた。
 小刀を引き抜き、よろよろと立ち上がると、一目散に工房へ駆け込んだ。

10

 それから、一心不乱に、作業を進めた。普段なら、夕餉の支度をしている時分だったが、そんなことは頭から抜け落ちていた。親方は珍しく何も言わなかった。
 それから夜が明ける頃には、出来上がっていた。早速親方に見せると、すぐに次の工程に進む許しが下りた。
 次に村に下りる日までに面は完成し、千秋は喜び勇んで、その面と、割れてしまった前の面とを携えて山を下った。
 割れた面とは似ても似つかないものだったが、出来上がった面は、まるで命を持っているかのような力強さと生々しさとにあふれていた。手に取って見つめていると、何か言葉を発するのではないか、とすら思える出来栄えだった。

11

 いそいそと用を済ませ、千秋は例の鎮守へと向かった。
 案の定、あの少女が、奥の茂みの中にある、大きな岩の上にちょこんと腰掛けている。
 恐ろしく感じていたのも忘れて千秋が駆け寄ると、少女が静かに言った。
「もう、できたの。見せて」
 包みを解き、面を少女に差し出す。少女がその面を手に取り、ぼろ布ごしにまじまじと見つめる。その間、千秋はじっと待った。親方の品定めを待つ時より緊張していた。自信はあったが、これでもし彼女が満足してくれなかったらと思うと、足元が崩れ落ちてしまいそうな気がした。
 しばらくして、少女が言葉を発した。
「ありがとう。前のより、もっと良い。これでまた、人前に出られる」
 千秋は胸を撫でおろした。思わず破顔して応える。
「よかった」
 そして、ふと思いついて、こう続けた。
「今、ここで付けてくれないか」
 少女がぴたりと手を止め、固い声で言った。
「ここで?」
「そう。ここで」
 すると、少女が背を向けた。
「待って。君の顔を見せてくれないか?」
 背を向けたまま固まった少女に、千秋は畳み掛ける。
「君のその面のために、心血を注いだんだ。それぐらい、労に報いてくれてもいいだろう」
 気まずい沈黙が辺りを支配した。ずいぶん長いこと経った頃、少女が言った。
「分かった。でも、怖がらない? 私を化け物と罵らない?」
「言わない。私は、この世のどんな顔よりも醜いものを、既にこの目で見た。今更、何を見ても怯えないよ」
 ゆっくりと少女が振り向き、顔を覆うぼろ布をそっと取り払う。次の瞬間、目の前に現れたのは、これまで見たこともないような、美しい女性だった。まるで月に照らされた雪原のような、白く透き通る肌に、冬の夜の月を思わせる、冷たい眼差し。顔の下に続く肢体。
 ただ、腰から下に目を向けた千秋は、思わず叫び声を上げそうになった。腰から下は、大蛇のような長い尾がとぐろを巻いており、表面にはぬらぬらと光る鱗が、びっしりと貼りついていた。
「これが、私の素顔。醜いでしょう? 恐ろしいでしょう?」
 しばし、言葉を発せず、千秋はただ、その異形の者を見つめた。やがて、息を吐くと、声を絞りだした。
「いいや。……美しい」
 恐ろしいと思うと同時に、心の底からそう思った。すると、その異形のものは驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに表情を消し、千秋の面を付けた。
「ありがとう」
 次の瞬間、強い風がさあっと吹き、雷鳴が轟いた。たちまち空が黒い雲に覆われ、桶をひっくり返したような土砂降りになった。
 気が付くと、少女の姿は跡形も無く消えていた。
 千秋は、ようやく合点した。彼女は、この鎮守に祀られる神だったのだと。

12

 のちの世に、名作として伝わる、ある面打ちの一連の作品があった。とりわけ評価されたのが、おぞましい鬼神の面と、妖艶でいて清らかな女の面に、あどけない少女の面。
 弟子たちの口伝によれば、若い頃に見た白日夢を基にしているという。その面打ちが拠点にしていた山の麓の村の鎮守には、その作と伝わる面が、ご神体として祀られている。

(完)

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