家族との距離感
一言に『家族』といってもやはり人間同士。
自分ではない他の人、いわゆる『他人』です。
自分ではない『他の人』が1つ屋根の下一緒に生活しているのです。
私にとってそれはとても不思議なことです。
まず私の家族構成をお話します。
父
母(義母)
祖母(父方)
祖父(父方)
兄
妹
パートナー
7人の家族がいます。
母は父の後妻なので妹とは11程離れており
私と兄は母親とは血は繋がっていません。
正直言うと所謂『ややこしい家庭』そのものです。
母と祖母、祖父、兄は仲良くありません。
父、母、妹で1家族
祖母、祖父、兄で1家族
と言った具合です。
完全に分離している中で私はどちらでもない1人として生きています。
双方の家族を行ったり来たりです。
そんな私の家族との距離感のお話をさせていただきます。
家族と言ってもやはり自分ではない他の人。
生活には様々な違いが出てきます。
例えば食事
それぞれの好きな物、食べることのできない物があります。
私は
・油物、特に動物性の油は吐いてしまう
・お米は吐いてしまうが、お粥は食べられる
という体質でした。
ですが他の人はどうでしょう?
動物性の油を食べられるのです。
では私はなぜ食べることが出来ないのか?というと
動物性の油を消化する酵素が1つ屋根の下で暮らす他の人より
極端に少なかったのです。
それは病院で調べて分かりました。
お米に関してはアレルギーでもありません。
今も尚不明です。
そうなると1つ屋根の下に住む他の人と同じ食事は出来ません。
野菜、卵や鶏のささみ、お粥という食事になります。
傍から見れば健康志向に見えるかもしれません。
違います。
それしか食べることが出来ないのです。
そこで家族という他の人とは異なる生活になります。
そしてお風呂
それぞれ入る時間もバラバラ
入浴時間もバラバラです。
・湯船につかってじっくりお風呂を楽しむ人
・シャワーですませる人
それぞれの入浴時間はもちろんバラバラです。
私の祖母は正にカラスの行水。
とても入浴時間が短いです。
ですが、妹はと言うととても長いです。
湯船につかりホイットニーヒューストンを歌っています。
ここでも異なる生活が発生します。
たった2つの日常の行動
ですが、こんなにも違います。
そうなると考え方も違ってきます。
当然、意見の対立も。
祖父と父がケンカをしているのはしょっちゅう。
祖父は自分の常識が強い人です。
具体的に言うと
自分の言っていることは世界の常識で
周りの人が自分の言う事を聞くのは当たり前。
自分は間違っていない。
反対意見は受け付けない。
こういった人です。
父はそんな祖父にイライラしていました。
早くに会社を父に継がせ昼間からお酒を飲む祖父。
酔っ払って文句はさらに増え
お前の仕事の仕方はダメだ
お前のやり方じゃ会社が無くなる
お前のお前のお前の…
ずっとこんな調子です。
もちろんその『祖父の常識』は私にも適用されます。
祖父が言ったことを手伝わなかったり
無視をすると怒って手をつけることができません。
どんどんと祖父からは離れていきました。
そしていつの間にか家族は完全に他人となりました。
家族でもない。
ただ同じ家に住む他の人。
その中で上手く立ち回り自立を図らなければなりません。
そこで大切になってくるのは
自分以外の他の人との距離
です。
その為に私は紙に書いてみることにしました。
親密性、関係濃度、不可欠か否か。
様々な距離感を紙に描き
『それぞれ個人との関係性の距離感の最適さ』
これを図に表しそれに習って対応をしていくことをしました。
すると不思議なことにケンカや自分の不快感が軽減されたのです。
中には冷たい人だと思う方もいらっしゃると思います。
ですが人より心が弱い人は冷たい人になる事も必要不可欠なのです。
そして紙に書いて可視化することにより一層理解がしやすく
効率的に日常をほんの少し楽に過ごしていけるのです。
家族とは近しい他人だ。と割り切れないが
適切な距離感で対応することにより
自分の心の安定を図る。
これが精神疾患を抱えて一緒に生きていく人に必要だと思います。
割り切るのは難しくても距離をとるのは難しくありません。
もし今、家族との距離感で悩んでいる方の参考になればと拙いですが
noteに書かせていただきました。
どうか心穏やかに過ごせますように