映画備忘録 JOKER

最近何かと話題のJOKER、通り魔的犯罪を犯す理由づけにされてしまっているが私は違うと思う。

この映画ではJOKER(アーサー)は徹底的に虐められっ子である。
それも虐待を受けて、障害があるが故に受ける弄られ、虐めである。
しかも母も過去を振り返るばかりで現実の息子と向き合っていない。
はっきり言って悲惨だ。
不幸な自分を見もしない社会に対しての復讐、これもわからんでもない。

だがこの映画のアーサーはけして通り魔では無い、
他の作品はともかく無差別に人殺しをするわけではないのだ。
アーサーはまず電車で人に絡む質悪サラリーマン三人にリンチを受けてやむを得ず、半ば事故的に二人殺してしまい、口封じでもう一人も追いかけて殺す。

次に母親を殺す。
虐待や、妄想、今の環境。
様々な要因が重なり殺す。
今の不幸の根本はこの母の妄想だと考えたのだろう。
なぜ母の精神、発言を信じきれないか?
なぜならアーサー自身にも妄想の気が多いからではないかと思う。
脈絡なく急に妄想が挟まって居るので視聴者には妄想とわからないかも知れないが。
私は最初の殺人も妄想だと思ってしまった。
誰もがとは言わないが気に入らない奴を殺す妄想くらいはする人もぼちぼち居るだろう。

だがその後写真で母とトーマスが付き合っていたのは事実だと知る。
母親は恐らく元々依存的な性質の持ち主ではあったものの(病院に放り込まれてから本当になったと思われる)トーマスウェインと恋仲だったのは妄想では無い。
ようするに面倒な女だったので捨てられたのだ。
よもや面倒な女は捨てても良いとする現代人はおるまい。
つまり無実の母を自分の手にかけてしまう。

さらに銃をくれたが事態が悪くなれば手のひらを返して上司に告げ口した同僚。
この職場は皆が相手の事を常にからかいあうような冗談ばかり言っている職場で、そもそもアーサーには精神的に負担だったのだ。

そして最後の象徴的な殺人。
毎週欠かさず見ていた(であろう)テレビ番組の司会者殺しである。
これも理由は明快。
笑い者、晒し者にするために呼んだのだ。
馬鹿にされたら殺す、恥をかかされたら殺す。
現代では犯罪だが鎌倉武士なら基本。むしろ必須のメンタリティである。

このように善悪はともかくアーサーにはアーサーなりの事情、理由がある。
事実3番目の殺人ではアーサーを馬鹿にしなかった小人症(っていうんですかね?)の同僚ゲイリーには脅かしこそすれ手をあげない。
帰りに鍵をあけてあげるくらい冷静である。

電車で無差別に人を殺す映画ではないし、社会への無差別な復讐を肯定、推奨している作品では無い。

この作品ではどちらかと言えば空気に乗せられ暴れまわる民衆は肯定されていないと私は思う。
ただ自分の為の殺しを見て、アーサーをまつりあげる民衆が暴れている。
それを見てアーサーは笑う。
彼は泣きたい時に泣けないから笑う。
アーサーは何が可笑しいと言われれば律儀に理由を考えて返すのだ。
普通の人がそうするように。
アーサーは自分が発端となった暴動を見て泣いていたと思う。
これを見てこの映画が通り魔を助長するというのは短絡的であると考えられる。

倫理的にはともかく復讐は私はしても良いと個人的に思う。
私自身子供の頃は障害学級の子達のなんとも言えぬふるまいについつい笑ってしまった事があるし、加害者としても、被害者としても虐めと無関係の人生では無い。
自分が復讐の対象となるのも致し方なしと思う。

だがアーサー自身が言っているように善悪は自分で決めるべきだ。
復讐するなら最低限、自分の中では正しい理屈を持つべきだ。
はたして無関係の人間をいきなり切りつける事に自分の善があるのかを考えて欲しい。

最初の発言通りJOKERという映画は無関係な通り魔を増やす、推奨するようなものでは無い。
やるなら(自分の中では)大義名分を伴った復讐にするべきだ。

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