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十年目のアンジー #7/短編小説

走行を続けるバスのじれったい時間が流れる。バスが速度を落とし始めたので立ち上がると、運転手に「走行中は座席から移動しないように」とアナウンスで叱られた。いらだちながらバスの折り戸が開くのを待つ。理容店のサインポールの所で停車し、私はバスから飛び出した。けたたましくクラクションが鳴る。バスの陰から道路を横切ろうとして、危うく車と接触しそうになった。急ブレーキをかけた運転手が振り返り、私を睨んでいく。

走るのにスクールバッグが邪魔だと思ったのと同時に、バスの中に傘を忘れてしまったのに気が付いた。そんなの、もうどうでもいい。来た道を引き返して無我夢中に走った。何度もローファーが脱げそうになる。ゆるやかなカーブの向こうに、黄色いバイクが見えてきた。遠くて顔が見えない。私の姿に気付いている様子がまるでなく、バイクにまたがりヘルメットをかぶった。

「待って、行かないで……」

息が上がり、声にもならない。

タイヤ跡だけを残し、バイクはすでに走り去った後だった。私は陸橋のたもとでひざを抱えて座り込んだ。肩で息をし咳き込む。目の前のガードレールには、兄が好きだったCoke缶と小菊の小さな花束が並んで置かれていた。

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30分程かけて歩いて家に帰る間に、夜空が夕焼けをすっかり覆い始めていた。キッチンから鍋の噴く音がする。「おかえり」と忙しそうにする母の声だけがした。

階段を上がると、手前に兄の部屋、奥に私の部屋がある。兄の部屋のドアは開いていて、壁にかけられたブレザーの制服が見えた。もう袖を通されることのないその制服は、母によって年に一度クリーニングに出される。小まめに掃除や換気がされる兄の部屋は、私の散らかった部屋より整然としていた。

母は時々、兄の部屋のベッドに腰をかけ、ぼんやりと時間を過ごすことがある。家族の前で泣くことはもうないけれど、十年前から時が止まったこの部屋で、兄とどんな話をしているのだろう。私も兄のベッドに腰をかけてみた。

本棚には古い音楽雑誌とギター教本。CDもたくさん並んでいた。全く傷んでいない高校の卒業アルバムもあった。クラス写真を撮ったのは事故直前だったので、クラスメイトたちと一緒にそっと笑顔を浮かべた兄が並んでいる。こんな運命がやってくるとも知らずに。

机の上の青いガラスタイルのトレーには、ピックと音叉がまとめて置いてあった。壁際にはケースに入ったギターが二本あり、擦り傷のあるハードケースには白ペンで小さく書かれた「Satoshi.N」の文字。妹尾だから、NではなくてSじゃないのかな……

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「聡志の部屋で寝ているよ」

部屋の外で父が声をひそめ、一階の母にそう言ったのが遠くで聞こえた。いつの間に兄のベッドで横になり、眠ってしまった。父が私の部屋から毛布を持ってきて、そっとかけてくれた。

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