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仕事を辞めれば9割うまくいく〜無職(期間限定)でも豊かに生きる思考法〜2

第1章  無職(期間限定)になった理由

「無職になった理由」というよりは「退職して移住した理由」に近いです。

今まさに熾烈なにらみ合いを続けている預金残高
これが少なくなったら、
無職というアイデンティティは崩壊を迎えます。
いずれ働かざるをえません。
何事にも終わりがあるのです。

時間がない方は太字部分だけを読むとざっと内容がつかめます)



京都が大好きである

宇治上神社参道

最低年2回〜最高4回は京都に旅行していました。
古都の世界観に心奪われているのです。
大好きな京都に住んだら幸せになれる」と思いました。
なぜこんなにも心惹かれるのか。

おそらく前世は平安時代のおかめ顔の女性。
京都、とりわけ宇治をこよなく愛していたのではないかと思っております。
今世で引き継いだのは、「京都を愛する心」と「おかめ顔」です。
本当にありがとうございます。

(京都を愛する理由は、後々語り散らかそうと思っております。)


老後の楽しみのために若い今の時間を削っていいのか

65歳、下手したら70歳くらいまで働いて定年退職して老後を謳歌する。
はたして老後は元気なのでしょうか。

朝早く起きて祭りに行き、夜遅く帰り、
次の日も祭りに行く。
そんな生活が定年後にできるでしょうか。

運動不足で不摂生な私のことである。
関節という関節は悲鳴を上げ、
歯も抜け落ち、
髪の毛に至っては、
不毛な砂漠か、
良くてわたあめの残りかすになっているだろう。

どうも老後では京都を存分に満喫できる気がしなかったのです。
老後の1日の価値 ≠ 若い時の1日の価値だと思っています。
「若い今の時間を犠牲にして、老後の楽しみのために働く」ことは…………

こうして老後の資産を生贄にささげ、
今の京都生活を召喚するに至ったのである。


死を意識した時に後悔する

30代になり、
私にも「このままでいいのかな?」現象が発生いたしました。

考えたくもないくらい怖いことですが、
今まさに昇天するか、地の底に落ちるかという時を想像しました。
死の瞬間に「京都に住めばよかったな」という後悔をすると確信したのです。

その時は、
平将門をも凌駕する
未練がましい最強最悪の怨霊となっていたでしょう。
祟りにより誰も就職できません。

「やらない後悔よりやる後悔」
という都合の良い金言を胸に抱き、
職を辞し移住したのである。
文句あるか?


精神を安定させ自由になる

皆さんの中の多くは会社などの組織に所属していますね?
自分の意見を言えなかった。
衝突を避けるために我慢することや気を使うことが多い。
そういったことが窮屈に感じた経験がありますね?

「そんなもんはない」と思った人は働け


あまり言いたくはないですが、
正直者や真面目な人が割を食っていることもあったと思います。

私は決して仕事ができる人間ではなく
仕事をサボる度胸を持ち合わさず、
どこで手を抜いて良いのかわからず、
仕事量が増えるというあるあるパターンにハマっていました。

おそらく仕事ができる人は、
その仕事量を平気でこなしてしまう。
仕事をサボる度胸がある人は、
その強靭なメンタルで仕事をせずに日々を過ごす。

私は能力を持ち合わせない変に真面目な社会人だったのでしょう。
悲しきかな(´;ω;`)

その反動で今はふざけ散らかしているのである。
文句あるか?

決して前職を批判しているわけではありません。
むしろ色々体験させてくれて、
今も仲良くできる人たちに出会えました。
前職に感謝
なんとか気合いと根性で仕事したこと。
これが、素敵な体験や出会いに繋がったと思っております。

ではございますがというところでございますが、
私(わたくし)、非常に自分勝手な性格でして、
収入の安定より精神の安定の方を選ばせていただきました。

責任転嫁をできる者はなく、
全て自分の責任のもと、
誰にも強制されず自由に楽しく生きたいと思ったのです。

ステップアップです。

自分では階段を登っているつもりですが、
他の人からは階段を転げ落ちているように見えるかもしれません。
生き様で表現するトリックアートです。


こうして西暦2023年。
資本主義社会の化け物が生まれた。

コスパ主義による価格競争は無限地獄である
人件費を安く抑え人材を使い捨てにしてまで、
価格を下げようとする。
給料が安くなった労働者は低価格を求める。
さらに価格競争が激化する
負のループである。
また、社会保険料などの
支出は上がり続けても給料は上がらず。
自由に使えるお金はなかなか増えない。
歳をとるにつれ業務量は増え、
責任の重い仕事もこなしていかなければならない。
精神をすり減らすヤスリは年々粗くなっていくのです。

「ならば最低限の収入で気楽に生きてやろう」
という社会の歪みから生まれた化け物が私である。

2023年3月31日、退職。

しばらくは無職として、
誰にも強制されず、
自分勝手で怠惰な、
しかしながら情熱的で心豊かな生活を送ることにしました。
働かずにお金がもらえるようになったら無職期間は延長します。


次回予告

次回「無職(期間限定)になるにあたって準備したこと」
無職スタンバイ!!


あとがき

(無職が語っております。読みたい方だけどうぞ)

不経済極まりないこの第1章ですが、
「社会のレールから外れた生き方もある」
ということだけでも心の隅に置いていただければ幸いです。

本当に仕事で死にそうなくらい辛い時、
「こういう選択肢もあるんだった」と思い出してほしいです。
仕事だけが自分がいられる唯一の世界ではないです。
他にも自分がいられる世界はあります。
人はどこででも生きていけます。

幸せの形は社会のレールの上だけにあるものではないと思います。
定年まで必死に精神を削ってでも働き続けること「だけ」が幸福になる方法ではないと思うのです。
ここらへんも後々書き散らしていきたいです。

ちょっと真面目に語りすぎましたわ!
みなさん、これ語ってるの「無職」ですからね?
無職列車の線路はどこまでも続かないですからね。
持ち込むお手荷物の事前確認と途中下車推奨ですわガハハ!


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