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数学と理科・容疑者Xの献身

数学と理科の差異を意識し始めたのはいつ頃だったかな。
小学校の頃から別の科目として習ってるんだからそりゃ別物だとは思っていたはずだけど、具体的にどう違うのかについて考え始めたのは高校生になってからぐらいだった気がする。
数学は?計算する教科。
理科は?薬品とかが出てくる教科。
それはそうなんだけど、でも理科でも計算するし、数学でも食塩水の問題とか扱うし。

実際は学問の構造が全く違う。
数学は「形式科学」と呼ばれるジャンルで、理科は「自然科学」と呼ばれるジャンルにあたる。

数学……もとい形式科学で登場する公式は、100%正しい。
1+1がいくつになるかとかそういうことから始まって、三角関数の定義がどうとか、微分とは何ぞやとか、そういうのを全部人間が使いやすく、矛盾のないように決めていった。
だから数学の証明が覆ることはない。
もちろん、証明した人が勘違いしてたとか、計算を間違えたとか、そういう理由で覆ることはあるけど、でも正しいものは100%正しい。

一方、理科……自然科学で登場する法則に、100%正しいと言えるものはひとつもない。
自然科学の法則は全部、実験して、データを集めて、そのデータ全部を上手いこと説明できるように後付けしたもの。
人間の作る公式よりも自然の振舞いの方が優先されるから、もしも後から例外が見つかったら、その瞬間に公式は書き替えられる。
物理で習う運動方程式も、ミクロスケールで見たり光速に近づけたりしたら成立しなくなる。
でも、そんな成立していない方程式が今でも使われているのは、普段使いの範囲ではこれで十分だから。
100%正しいと言える公式は無くても、例外なく車は走るし飛行機は飛ぶ。
全部後付けだけど、それがめちゃくちゃ役に立ってしまったから使われている。

そういえば、東野圭吾の『容疑者Xの献身』は物理学者VS数学者の物語だ。
厳密には数学者じゃなくて数学教師だったけど。
めっちゃネタバレになるけど、まあこの辺の内容は文庫本の背表紙に全部書いてあって、アレのメインはトリックの解明だから……

数学教師が犯行現場をごまかして疑いの目が向かないように仕向け、でもそれを物理学者が暴いていく……というストーリー。
自分自身で計画を立て、矛盾のないように緻密に組み立てていくのが数学教師。
その現場を観察し、証拠を見極め、実際の犯行がどのように行われたのかを説明しようと試みるのが物理学者。
なんとなく、形式科学と自然科学の差異みたいなものが表れてる気がする。

もし数学教師と物理学者の立場が逆だったら成立してないんじゃないかな……少なくともこんな自然な構成にはならないか、全く別の組み立て方になっていると思う。
ちょっと想像できない。

同じ「理系の人間」でも、実は「正しいこと」を見つける方策は全然違ってたりするわけだ。

学者に限らず、何かについて正しいと思うことを語るときは、それが何に根差しているのかをちゃんと意識するに越したことはない。

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