橋とミミと、 ー 山梨の秘境 大柳川渓谷吊橋群を歩く ー
毎度、なぐなぐツーリスト(なぐツー)のツアーに参加いただき、ありがとうございます。 本日は、山梨県の南、峡南地方へと、ご案内いたしま~す (^^♪
今回の旅程は、
です。
集合場所は、大柳川渓流公園、現地集合なのだ。今回も歩きやすい靴をご用意ください。そして、暑さ対策も忘れずにね。あっ、お弁当は不要です。ミミをご用意しております。
峡南ってどこよ(美川憲一風に)
山梨県をオタマジャクシに例えると、しっぽのようにペロンと突き出た部分がある。山梨県の南部、富士山の西側にのびる地域。ここが、峡南地域と呼ばれる場所だ。
今回は、この峡南地域を巡るタビなのだ。
ところで、この峡南地域のしっぽの先、山梨県の一番南に、「南部町」という町がある。一番南だから、南部町かと思いきや、「南部氏」が統治していた場所なんだって。
面白いのは(ウンチクは)、ここから
「南部」と言えば? そう、日本酒好きな方なら「南部杜氏」、お茶の好きな方なら「南部鉄瓶」、食いしん坊なら「南部せんべい」ですよね。
岩手県から青森県にかけての陸奥地方、東北地方の北部なのに、なんで南部? と、ずーっと思っていた。
はい、ここで、問題です。なぜ南部なんでしょう?
「陸奥の国の南だから!」
ぶー! 「はい、消えた!」(なるほど!ザ・ワールド 愛川欽也風に)
(昭和ネタばかりですいません・・ついてこれるかな?)
そう、鋭いアナタ、正解です。
正解はコチラ!
甲斐の国にいた「南部一族」が、源頼朝の命を受け、陸奥の国まで敵を討伐に行った。そして、そのまま引越し! その後、南部藩として治めたのだ。それが南部地方の始まり。山梨県と岩手県がこんなところで繋がっているのだ。
(歴史好きな方ならご存知『奥州合戦』の事です。今年の大河ドラマ、鎌倉殿でも、奥州合戦ちょこっと出てきたみたいですね。)
以上が、現地で仕入れたネタでした。こういった、歴史と地理が交錯して織り成す織物が、タビの醍醐味。面白いですね~
タビをすればするほど、この沼にハマるのだ。
あっ、ネタをもう一つ、その後ここを治めていた武田氏が南下しようとした理由は、「塩」。当時は、石油より大事な資源「塩」。これが、山梨県(甲斐国)が(いまだに)オタマジャクシのしっぽを持っている理由なのだ。歴史はつながっているんですね。
昨年(2021年)に開通した中部横断自動車道、この道は、しっぽのど真ん中を走る。今回は、この高速道路と、高速道路と並走するJR身延線を利用する沿線タビなのだ。
まずは
腹ごしらえ、
ここ(大柳川渓流公園)を訪れた理由は、渓谷美。と、大柳川渓流吊橋群と呼ばれる橋たちだ。傾斜のキツイ吊り橋や、途中で折れ曲がる吊り橋。さらに階段途中に踊り場のある吊り橋もある。
これでもか! というくらいに、多様な橋が架かる渓谷なのだ。
そして、『ミミ』
この辺りは、十谷地区と呼ばれる、山村。このあたりだけで食べられている郷土料理があると聞き。それは、食さねば。と、来たのだ。
自宅のある愛知県から、新東名~中部横断道を経由して、大柳川渓流公園に着いた時には、お昼の1時を回ったところであった。
駐車場どこ?
やばい・・
本日は、平日。しかも、山村の食堂。
2時を回ると、営業が終わる可能性が高い。焦る。やはり、さっきの「道の駅 富士川」で食べておくべきであったか・・ 今から戻っても30分はかかる。そうなると、滝めぐりも諦めることに・・ いや、ミミを食べに来たんだ。妥協するわけにはいかぬ。 勝負だ! 店がやっている事に賭けるのだ!
なんとか駐車場に車を停め、歩く。
くねくねと登る遊歩道。
暫く進むと、民家の間を縫うような細い道になる。
突如、林の中に、大きな保養所のような建物の影が現れた。
これか!?
開いていてくれ! 祈りながら建物に近づく、
つづく・・
勿体ぶるのだ
(次回予告)
なぐなぐ一味は、無事、ミミにありつけ、滝めぐりは出来たのか!
お腹を満たして、多様な吊橋群を楽しめたのか!
これからも、なぐなぐ一味が主催する「なぐツー」をご期待ください。
峡南地方に、明日も来ますが、この渓谷を楽しめるのは?
今日なんです。
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