ねむのき

そうだったこと、そうであること

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文字を纏う

平等ではない。生まれも育ちも特性も性格も、人類全てが当てはまる項目などない。試験管で作為的に産まれさせられない限り存在する不公平さ。にも拘わらず、群れを保つために一定の理性と決まりは是とされる。その檻からはみ出た生き物は軽蔑される。群れを保つために。 恐らく檻には、上手く入れなかった。 上手く扱いきれない自分を持て余して鉄骨に頭をぶつける。一人だけ大縄跳びに上手く飛び込めないような違和感。「存在してはいけなかったのではないか」という、存在してはいけない思考が浮かんでは消え

    • 萌芽

       光を見た時に目を細める仕草と、笑った顔が似ていると綴ったのは伊坂幸太郎だっただろうか。その感性の豊かさに感銘を受けながら、ただ光を遮るために目を細める自分が同時に脳裏に浮かぶ。  光に背くのは後ろめたいから。言い訳など何の意味もないほどに彼らが正しいから。誠実と例える方が的確だろう。私が狭い視野の中で歪さに甘えている間にも、彼らは誠実に実直に時を積み重ねてきた。高い灯台の先で光るサーチライトが広く、広く宝物を照らす。  私はそちら側ではないと目を逸らしたくなる。持ちえな

      • 緑の葬列

          自分ではない存在になりたい。漫然と蔓延る希望に似た絶望。なれば良いじゃないかと背中を押されても、肩甲骨から翼は生えてこない。飛べない体を抱え、崖の縁で怯えて過ごしている。   ここまで明確な変身願望を持ちながら、コスプレの文化に興味が無いままここまで来た。コスプレイヤーの方々が華麗に変身する様を見て憧れを抱けど、そこに自らを置換する想像はついぞ出来なかった。   変身願望?その時点にすら立てない。本当は一刻も早くこの身体を脱ぎ捨てたいのだから。自分に纏わる意志、人

        • 名は体を表すとして

           高校時代の現代文の教科書。在りし日の私は、一つの現代文のタイトルに強く惹かれた。  名づけの魔力。不明な物体に理解できる名前を与え、自分の柵の中に囲い入れる。恐怖を納得に置き換えるために、人は名前を求め、授け続ける。当時は高校3年生。多感な年ごろも相まり、目の前に現れたこのタイトルはさながら天啓にすら思えた。そして今も、実感を伴いながらより強く心に刻み込まれている。  人が名づけに託す使命は、情報共有が加速化する中でより強固になっているようにも見える。名前が体を表し、体が

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          惚気

           世間を風靡してから大体1か月後。周回遅れで片手間に始めたポケモンスリープは、瞬く間に私の生活習慣を一変させた。とっくの昔に途絶えたと思われた某コンテンツへの執着を燃料に、計り知れない光源として生活の中心に君臨したのである。後回しにされがちだった眠りは手段と目的になり替わり、その他あらゆる家事や仕事は最速で終わらせる。奴隷?いや、このサイクルの名こそ「健康」である。何ならポケモンの奴隷なら喜んでなる。ペンドラーに羽交い絞めにされたい。あとカビゴンは皿まで食べないでほしい。

          理別

          時折何も書けなくなるのは、執筆に意味を見いだせなくなったからでも、お題に飢えているからでもない。理解を理屈と履き違えたまま食い散らかされていく既存の存在と、どこまでも草花のように強かな解釈。そして、解釈を使わねば咀嚼して書き下せない自分自身のせいだ。 濾過装置として使っていたはずの解釈という手段が、徐々に目的にすり変わっていく。解釈している自分自身の内側をさらけ出す快感にすり潰される。糸の上を渡るような感覚。間違っていないか、まだはみ出していないか。見落とさないように見張っ

          反骨

          どこまでが自分の意志なのか。立ち止まらない方が良い、不必要な穴に落ちたいと願う時以外は。 丁寧に挽いたコーヒーと同じくらい、片手間に湯を注いだだけのインスタントコーヒーを好んで淹れる。爬虫類専門店にぽつりと展示されたタランチュラに視線を向け、血統の優れた花々が零れ咲く植物園にひっそりと根を張る名もない野草に心惹かれる。枯れる寸前の椿の綻びに美しさを見出す寸前、選ばれない/選ばれるべきでない脇役を選ぶ自分にふと、気が付く。 雑音、肥大した自己、漏れ出た自意識で視界が煙る。自

          リフレイン

          何度書いても、何を書いても抜け出せない。繰り返すごとに首を這う指の湿度が無視できなくなる。大嫌いで忘れられない8月の末日のように、心根の去勢はどの世界でも受け付けていない。駆除しようとしても、繁茂した言葉の枝葉がそれを赦さない。 薄い硝子でも重ねれば到達できなくなる。その奥で繰り返される呪詛のような言葉運び。どの管を通しても漏れ出るどろりとした、醜悪で得体のしれないものども。信念や決心の元では消えてしまうほどもろい癖に、粘度は衰えることはない。所以も理屈も無視して流れ出るそ

          リフレイン

          唯一 唯一無二という言葉に惹かれて目に付くもの全てに飛びつく、その姿が既にかけ離れている。結果を目的とはき違えた凧は大海原に一瞬だけ舞い上がった後、千々に割ける。演者の居なくなった後の紙吹雪に拍手が聞こえる。 唯美 唯美を語ろうが耽美に溺れようが、泉にも底はあると気が付いたら終わりだ。塞ぐ目をつぶした後に、四肢を少しずつ削いでいく。無いものは存在しないと唱えながら。青緑色の目だけになって、漸く美しさに近づける。 唯心 唯心論の果てをあなたの眼差しの中に見たい。そうで

          鏡面

          自分を見ろ、とばかりに外界に表出した自我は鏡の形で手元に戻ってくる。鏡に囲まれて狂った科学者は寓話でもなんでもなく、自分の無数の反復が身を滅ぼしていく。誰かにかけたつもりの言葉も、優しさも、憎しみも、届かないまま自分に反射して延々と木霊する。 久遠の拷問にも見える自我の無限の増殖。本当は誰にかけたかも分からない言葉に、いつか自分が刺されてもおかしくない。それならせめて自分以外の、綺麗なものを写していたいと思うけれど、主役に憧れる呆れた自分がどう足掻いても映り込む。心霊?それ

          手札

           嫌になるほど探して回っている。  既に頭の中は手の付けようもない程に溢れている。それでも尚情報を集める行為を止められないのは、鬱屈を祓う手段を手元から切らさないためだろう。砂漠のように不毛な議論や、意思すらない言葉の羅列に心をすり減らしながら、未舗装の人生を痛みなく歩くための神具を夢見てしまう。誰がために、正しく己の為に、無味で曖昧とした海に今日も分け入っている。  「パイを焼け。目を温めろ。湯船に浸かれ。音楽。入ったことのない路地裏を散歩しろ。電動歯ブラシを買うと良い

          或る日

           目に映る全てがざらざらと障る。  日頃の心の不養生が祟り、心身が限界を迎えた状態でライブ当日を迎えた。ぼろぼろの外装と精神を纏って慣れない土地を歩く。生身の魂で次から次へと目に飛び込んでくる新規性を捌ききれる筈がなく、上擦り続ける呼吸を抑える。剥き出しの魂は刀の如く誰かを傷つけるどころか、ぼろぼろと刃こぼれするように削れて脳内を赤く染める。対策に繋がらないならエラー表示も唯億劫なだけだ。  ライブ開始の時刻ぎりぎり、なんとか会場に体を押し込める。自分の存在が小石に近

          霧散と収束

           耳にイヤホンを刺す。コードの有無より先に、イヤホンであることが僥倖である。ただでさえ雑多に跋扈するサブスクリプションが撒き散らす無数の音を、耳に収束させる。霧散しかけていた楽曲の言葉が、意思が、息遣いが、何より熱が、漸く我がものとして認識できる瞬間。どれだけ音楽の姿かたちが変わっても、やはりここがスタートラインだ。このやり方しか知らないし、知りたくない。  今日もイヤホンを耳に刺す。音楽を血肉として噛み砕く手段として、これからも手に取り続ける。  方向性を定めずに言葉を放

          霧散と収束

          屑箱

          ▼ この場所に書き落とすのは、醜悪な現実を文字という生まれつきの濾過装置で濾した後にうまれる星屑のなり損ないばかりなので、いつか天の川になるのだと思う。偽物の天の川に。 ▼ 何重ものヴェールに包んだ空間を守っている。たとえ中に何も存在しなかったとしても、ヴェールが機能する限りその場所は神聖である。神聖でなければならない。 ▼ インターネットという架空の海はどんな姿でわけ行っても平等に存在を赦してくれる稀有な場所にも関わらず、結局最後に辿り着くのは現実の吐露である。嘘をつき

          酔凝

          昼夜を問わず大量の情報が流れ込むSNSに身を委ねていると、時折入力と出力のバランスが崩れる。 情報酔いとも呼べる状態に陥ると、目だけが肥えて手が追いつかないアンバランスさに更に巻き込まれていく。創作のスタグフレーション。作ろうとしてもネット上の素晴らしい作品たちが頭を過ぎり、最早自分が作る意図すら見失う。他者の経験を自分の経験に置き換えられれば、どれだけ楽だろう。 それでも、見るのを止められない。創作の坩堝に情報を次から次へと放り込む。そのやり方しか知らない。化学反応に近

          盲信と贖罪

           綺麗な物を作れば綺麗になれると思っていた。美しい言葉を知る度に美しくなれると本気で信じていた。  自らに快と不快の感情しか備わっていないことを恥じて、身の回りの人に擬態しようとした。溶けるようにそのものになれると信じ込んでいたから、当たり前のように真似をした。人に近づく方法をそれしか知らなかった。  結局信仰は全て自らの望むものでしかなく、普遍ではなかった。  猿真似よりも先には行けず、真似をした跡だけが累々と残って継ぎはぎの様に体を包む。何度も折れ曲がった植物は美

          盲信と贖罪