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造り手の自然派志向がうつす影

自然派ワイン、ナチュラルワインという言葉を聞くようになってしばらく経ちました。定義や位置づけが曖昧なのは依然として変わっていませんが、最近ではそうした背景を持ちつつも受け入れられる土壌は広くなってきているように感じます。

飲まれる機会が増えれば造られる機会が増えるのは経済合理性から当然のように思えます。一方でこの手のワインで興味深いのは、飲み手よりも先に造り手がこの概念に傾倒していった例が少なからず存在していることです。

さらにはこうした動きにも2つの流れが見られます。1つは従来型のワイン造りを盛んに行っていた国や地域において新しいワインの1つの形として生まれた流れ。そしてもう1つがこれまではワイン造りがそこまで盛んではなかった国や地域にこうしたワイン造りへの取り組みや考え方が持ち込まれ、そこから従来型のワイン造りを半ば飛び越す形で取り入れられ活発化した流れです。この2つの流れのそれぞれにおいて、造られているものに大きな違いはありません。一方でその背景には大きな違いがあることは明確です。

こうした違いは文明の発展に同じような光景を見ることが出来ます。

昔から長い時間を費やして発展を遂げてきた文明がある一方で、そうした先行者があるレベルに達した時点でその結果だけを取り込むことで一気に文明水準を引き上げ、横並びの位置に立つような事例です。このような事例において一気にジャンプアップした後者はそれまでの歴史的なしがらみを持たないため、きわめて効率的に完成した技術を取り込み、その技術を運用するための無駄のないシステムを構築することが出来ます。一方で前者は仮に自分たちで築き上げた技術であっても、そこに至るまでの間に積み上げた非効率で、その技術に最適化されていない土台を持っており、さらにはそうしたシステムや慣習に束縛されることで技術自体の運用効率を上げることが難しくなっています。こうした土台は「伝統」という言葉で表現されることも多くあります。

さて、こうした伝統の有無は存在1つで完結する技術であれば効率を阻害する要素になる可能性が決して低くありません。一方で、連続した時間的、経験的積み上げが影響する対象に対しては全く逆の意味を持ってきます。

ワイン造りを取り巻く環境を見渡した時、重要となるものはなんでしょうか。

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