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わたしのからだのこと

今のわたしで完璧。

からだの変化に向き合うこの頃。アカウントを持っていたことを思い出したので、自分のからだのことを書いてみようかと思います。はじめにお伝えしておくと、総じてわたしは元気です。

元気ではありますが、生まれつきの持病と向き合っています。

生まれて3ヶ月検診の診断

3ヶ月検診の時に、股関節脱臼と診断を受けました。
下半身をバンドで固定したり、両足を開いて吊るしたり、赤ちゃんにはよくある症状のようです。
その後、4歳の頃、右と左の両股関節の骨切り手術をしました。
骨を切って、ピンを入れて止める、ピンを抜く、計4回の手術。
幼少期は骨も柔らかく、回復は驚く速さ。
ギプスを外した翌朝、自分で手すりをつかまってトイレまで歩いた感覚を
今でも覚えています。(医師に怒られた)

そこから幼少期は自由に遊び、運動もして過ごして来ました。

ただ、今思えばマラソンをすると股関節が痛くなるのは普通のことだと思ってたのは、普通ではないことを大人になってから知りました。
完走できる人は、痛みに耐えられた凄い人。みんなすごいなぁって。
生まれつきだったので、子供の頃は何の違和感もなくそう思っていました。

高いところから飛び降りたり、急に止まったりしてはダメ。
それだけは禁止されていたので、バスケは止められました。

野望を抱くお年頃

パンツスーツを着てカツカツと都内で営業をやっていた25歳のある日、九段下の地下道を歩いていたら、股関節に痛くなってきて、階段を登れなくなりました。

これは普通じゃないと感じ、整形外科に行くと、
「このままでは歩けなくなる」と告げられ、手術を検討することになりました。そうだった、わたし股関節が悪かった。

「25歳で人工股関節は早い」(人工股関節の寿命は約20年)
死ぬまで何度も股関節を変えなくてはならないから勧められない。と主治医。なんとかして、自分の骨で治療する技術はないのか。東京、大阪、福岡、、、各地の大学病院をいくつも訪ね、セカンドオピニオンを探しました。

最終的に、福岡県柳川市にある、柳川リハビリテーション病院の井上先生なら自骨で治療できる技術があるとわかり、手術をお願いすることになりました。

手術をしても治ることはない
けれど、手術をすれば悪化のスピードを遅くすることはできる。
しかし、手術は大掛かりなので、成功の可能性は五分五分。

エネルギッシュに働く同世代の友達。
25歳という年齢での治療は、とても悩みました。

今すぐに答えを出さなくてもよい、と医師には言われましたが、
その時、井上先生は70代。

いつまでも、待っていられないかもしれない。
手術することにしました。

出血の多いことが予想される手術だったので、自己血ためるために仕事の合間に病院に通いました。ふらふらで営業に行く日々。
福岡での手術、そして半年間の治療を覚悟した頃、杏林大学病院の主治医から、「井上先生の技術を、杏林の研修医に見せたいから杏林にお呼びしたい」と提案を頂きました。

それはありがたい!

手術はなかなか大掛かりでした。
生きていることは当たり前ではないことを知りました。
執刀医の井上先生には、術後毎日杏林の主治医とメールや電話で連絡を取り合い、経過を見てもらいました。
(天国の井上先生に心より感謝申し上げます)

寝たきりの生活が続き、2ヶ月入院して、半年リハビリに通いました。復帰には時間がかかりましたが、おかげで今の仕事に進む決意ができました。

痛みは、誰も代わってはくれないが、
心の健康は、自分で守ることができる。

障害者手帳という愛の切符をいただきました。
「森歩きは主治医としては勧められないけど、あなたがやりたいことなら、私はやった方が良いと思う」
この時いただいた主治医の言葉のおかげで、今の私があります。
日々の筋トレ、ストレッチ、マッサージ、体重管理、家族の支え、おかげで森を歩き、森林浴の活動に専念することができています。

足を使うということは、限りある資源を使っていくということ。自分の中に、常にそんな感覚があります。
消耗しないように、消耗しないように、そう思いながらも、わたしの人生、自分のやりたいことをやってやる。

森を歩き、マッサージへ駆け込む。歩くために、筋トレをする。
わたしでいるためのアスリート。

股関節の消耗。

2024年、年が明け、股関節の調子が悪い日が増えました。
普段から、低気圧や気温が下がると痛みが出ることはわかっているものの、今年は例年に増して痛みがひどい。薬の量が増えました。

仕事の依頼に、ドキドキする。
歩けるか、行けるか、期待に応えられるか。

わたしは外見、とても健康に見えるそうで、障害があることを伝えると驚かれます。(このnoteを見て事情がわかってもらえたら嬉しいな)

自宅から、駅までの600mが遠い。何か支えがないと、途中で歩くことが難しくなってきたので、杖を使う日が増えました。
杖があると、足は楽だけど、なんだか惨めな気持ちになります。
こんな身体で、そんなことできるのか?と自分に問う自分がいます。

筋トレをしたいけど、痛くで難しい。
これが今のわたしです。

どうしようもなく悩んでいたとき、親しいアスリートの方に、スポーツ整形の先生を紹介していただきました。
何か手立てがあるかもしれない。痛いのは、季節のせいかもしれない。
そんな願いのような期待を胸に、診察へ行きました。
レントゲンをとり、何も隠せない自分のからだを見ると
なんとも言えない気持ちになります。

股関節へ申し訳ない気持ち
醜いものを見ているかのような嫌悪感と、落胆。

わたしが生きたいように生きてきた結果、
使っただけ股関節はちゃんと消耗していました。

ため息と共に、涙が溢れます。

ドクターはそんなわたしの心を読んでいたかのように、
診察の後、リハビリの予約を入れていてくれました。

少しでも股関節に負担がかからないように、筋肉で関節を支えるための、トレーニング。プロの理学療法士のアドバイスは、神の言葉のようです。
これまで悩んでいた筋トレも、専門家の指導は安心感があります。
と同時に、負けてたまるか。という気持ちが芽生えます。

これが今のわたしです。

このnoteを書いているのは、慰めてほしいわけでも、心配してもらいたいわけでもなく、自分にこの状況をわからせたいからだと思います。
これからは、周りに頼ることも、甘えることも受け入れていかなければ
今の思いを貫く自信がなくなってしまいそうだから。
こんな自分でも、もう少し今の仕事を続けたいから、少しペースを落とし、仲間に助けを求めてみようと思ったので、書くことにしました。

恥ずかしさと、情けなさに押しつぶされそうですが、
このからだと生きていくからには仕方がない。

母親に診察の結果を伝えると、
こんな身体に産んでしまってごめんね、と泣いていました。
その時に思いました。
これはわたしの人生に、必要なことなのだと。
今のわたしで完璧なのだと。


このからだに生んでくれてありがとう。

何か悩んでいる人がいたら、一緒に進もうと伝えたい。
挑戦し、戦っていこうとする気持ちは、自分を救ってくれると信じて。

2024.3.7


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