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言葉を綴る、伝える、与える。

上高地に行った。

朝3時半に起床し、やけに冴えた目でメイクをして、2つ結びのお団子が中々上手くいかないことで焦燥に駆られながら準備した。ほんのり空が淡いベールに包まれ始めた4時頃に家を出発した。
連れの彼が忘れ物をしたことで2回も家に戻った話はおいておこう。

諏訪湖を通ったあたりで朝日が上り始めた。燦々とした太陽が山から徐々に顔を出すその光景は、私たちを車ごとまるっと、温かく、大きく、そして優しく、包み込んでくれるようであった。助手席の彼は感嘆の声を上げていた。出会ってまだ4ヶ月も経っていない人と朝日を見て、一緒に感動して、上高地に向かっているその場面に、人生は不思議なものだなと私は思いながらも、彼の子どものようにはしゃぐ姿を見ただけで、今日は来てよかったと、そう思えた。

朝の上高地は少し肌寒かった。バスに乗って、大正池に着くと、朝の靄に包まれて幻想的なその風景に立ちすくんでしまった。喩えるなら、この世とあの世の境目のような、そんな非現実的な風景が広がっていた。
なんて美しくて儚いのだろう。鶯の鳴き声と風が揺らした木々の音だけがそこには響いていて、様々な感情が溢れ出しそうになりながらシャッターを切った。

時々立ち止まり、自然を眺め、連れと様々な会話をしながら歩いた。熊よけの鈴を身に付けている人が多くいて、静かな森にチリンチリンと鳴り響くのが心地良かった。もっともっと、森に響き渡って、動物たちがみんな揃って歌い出すような、そんな夢物語を描いて歩いた。

私が特に気に入ったのは青く澄んだ梓川の横を気品のある白樺が立ち並んでいる道だった。美しい。この一言しか出てこないくらい美しい眺めだった。
河童橋に着くと、多くの観光客で賑わっていた。芥川龍之介の本に河童橋が出てきたよなぁと不意に思い出した。沢山食べ歩きをして、上高地のお水を水筒に入れて、お腹も心もいっぱいになって帰りのバスに乗った。
連れと絵しりとりをしてくすくす笑い合いながらバスに揺られている時間は、私に幸福を与えてくれた。


おまけで、上高地を後にして諏訪湖を一望できる立石公園に寄ったのだが、言葉を飲み込んでしまうほどの壮大で美しい大パノラマであった。告白するなら夜の立石公園で間違いなし。騙されたと思って行ってみて欲しい。

今回の日帰り旅行で感じたのは、何処に行くかではなく誰と何を感じるか。その為の「何処か」は必要かもしれないが、考え方次第で吸収されるものは大きく変わってくる。「何処か」よりも自分がどれだけ感じようと、考えようとしているのか、それが大切だと思う。
そして、最大限にひとつのものから何かを得ようとする。それだけでも十分だが、ここに「誰かと」が加わればより良い。自分だけではなくて、その「誰か」が私に与えるインスピレーションは私だけでは得ることができないからだ。その「誰か」は非常の重要な役目である。しかし、自分も誰かにとってのその「誰か」であることを忘れてはならない。自分も誰かに伝える、与える。伝えられる、与えられる。その繰り返しで私たちの人生は色付いていくと思う。
だから私はこれからも自分の言葉を、気持ちを、想いを、文字にして綴り続ける。

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