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【短編小説】あるペーパードライバーの受難

 ハンドルを握る俺の手にはじんわりと汗が滲んでいた。
 心臓がドキドキと音を立てているのが自分でも分かる。
 どうしてこんなことになった?
 自省してみても、特に思い当たる節はない。
 俺はただ普通に車を運転していただけだ。
 早すぎず遅すぎずの速度で走り、決して無理な割り込みなどせず、ウインカーは早目に出した。
 何も悪いことはしていない。と思いたい。
 なのに今、後ろの車からパッシングを何度も浴びている。
 これが煽り運転というやつか。
 教習所を卒業して以来久しぶりに車を運転するということもあってただでさえ緊張しているというのに、なんてことだ。
 散々ニュースでも話題になり世間で問題視されるようになっているにも関わらず、いまだにこんなことをする人がいるとは信じられない。

 俺が乗っているのは親から借りた軽自動車。
 後ろの車は真っ黒でピカピカなミニバン。
 向こうの方が車体サイズが大きいこともありかなりの威圧感を覚える。
 バックミラーをチラッと見るが、車間距離があり運転手の人相は分からない。
 あ、まただ。
 またライトがピカッピカッと光った。
 あのミニバンはいつから後ろにいたんだろう。
 恐らく、さっきガソリンスタンドから車道に出た時に俺があの車の前に入ったんだと思う。
 ……もしかして、その際に俺は無理やり割って入ってしまったのだろうか?
 いや、そんなことはない。運転に自信がないので、走ってくる車との距離が十分にあり間違いなく行けると確信できるまで待って、それから道路に出たんだ。割り込みであろうはずがない。
 じゃああれか。俺の前を軽自動車ごときが走るのは許せねえとか、そういうタイプの人か。
 なんてことだ。本当に運が悪い。

 やがて信号で止まってしまった。
 またミラーで後ろを確認してみると、なんとミニバンの運転手が車から降りようとしていた。
 歩いてこっちに向かってくる。
 サングラスをかけててスキンヘッドの筋肉質な男だ。
 駄目だ。何が駄目か分からないけどとにかく駄目なタイプだ。
 とりあえずドアのロックを確認した。
 そのとき、幸運にも前の車が走り出した。
 逃げるようにこちらも車を走らせる。
 後ろのミニバンの運転手は慌てて車に戻って行っているようだった。

 その後もミニバンは俺の後ろに着いて来てた。
 もうパッシングをしてこなくなったが、やはり気味が悪いことに変わりはない。
 そうだ、こういう時はどこかに車を止めて先に行かせればいいって聞いたことがある。
 ちょうど目の前にコンビニがあったので、駐車場に車を入れた。
 すると何ということか、後ろのミニバンも同じくコンビニの駐車場に入って来たではないか。
 さっきのサングラスの男が車から降りて来た。
 もう駄目だ、かくなる上は警察だ。
 俺はスマホの電話で110と入力し、いつでも発信できる状態にした。

 サングラスの男がすぐ横まで来て、運転席のドアガラスをコンコンとノックした。
 恐る恐る、ほんの僅かに窓を開けた。
 男が言った。

「すいません、エンジンキャップ空いたままですよ」

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