生活の不平等と平等エンド

今日内定式のみんな、おめでとです。
当時の葛藤が丸裸になった下書き発掘したので、そこに付け足す形で更新します。


有り余る希少な時間で、ひたすらに考えました。私のしていることは、詐欺だと思いました。
悪徳な営業マンが何の変哲もない水を高値で売り付けるように、何の変哲もない、むしろ劣っているまである自分を、どうにか作り話と誇張で取り繕って、企業に売り込みます。生活を勝ち取る為です。そのために、必要とされなければなりません。この世に必要のない人間は沢山います。見て見ぬふりをします。不安は大きな原動力になるからです。不安のエネルギーこそ、本質的に世の中を動かしているのだと思います。


就活真っ只中の私はこんなことを考えながら面接に挑んでいたみたいです。胃がキリつく。不安は今でも消えないけど、薬を飲むとスッと消えていく。不安なんて、そんなもんだ。

前回のカウンセリングで、ネガティブな思い込みが激しいね、と言われた。自覚はある。頭でっかちで悲観的で、石橋を叩き割って自ら一寸先を闇にするタイプ。

でも、だからなんだよ。とも思う。どうして許してくれないのかが分からなくて。悲観的であることは、いつでも悪なのかな。悲観的な人ほど、他人の苦しみ悲しみ痛みに真摯に冷静に丁寧に向き合えると、あくまでも私はそう信じている。昔、「優しさの搾取」について腹を立ててnoteに書き殴ったことがあるけど、その考え方が変わりつつある。優しさをばら撒きたい。人の心配をしたい。救いたい。悪用されてもいいよ、もう私の人生はあってないようなものだから、残り少ない人生でやれることといえば、そんなようなことばかりなので。心に刺さった棘は抜けないし、心から生えた棘は切り落とせない。けどそれ以上に相手の心を包み込んで、少しでも痛みを忘れさせてあげられることができたら、それでいいんじゃないかなと思う。生きることは誰しもが苦しいし、ポジティブに見える人でも、傷つく時は傷つく。加害者にならない限り、どう生きたって、見つけられなくなって、一人になったって、どうせ結末は全員平等に訪れるわけだから、とにかく私は無理にネガティブな性格を変えずに、ネガティブをポジティブに捉えようと思っている。素直な心で世の中の不謹慎さを笑い飛ばして、平等な終わりが来たときに、あまりの呆気なさにまた、困り顔で泣きながら怒りながら笑っていたい。

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