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もしも殷の紂王の時代に一汁一菜の思想があったなら

一汁一菜のご飯をするなら、自分が気に入ったお茶碗というか食器を使うことが良いとされています。
強制でもないけど。
高くなくても良いから、自分の好きな食器を使うことで食事が質素でも楽しく、豊かに感じられる…と。
高くなくても良いけど、好みの食器は何故かお値段が張るものだったりするのは仕方のないことかとσ^_^;

kinaのいつも使っているお気に入りの食器。
500円で生協で買ったお茶碗。
200円でホーマックで買った小皿。
楽天で74円で買ったアウトレットのフリーカップ。
安いけど、気に入ってる。

土井善晴さんの「一汁一菜で良いという提案」を読んで色々考えさせられることがあったのですが、その中の一つは「殷の紂王の家来がこの話を聞いていたら、歴史はどうなっていただろうか?」ということでした。
古代より悪王の象徴の一人で、「桀紂」なんて言葉もできてしまった殷の紂王には様々なダメ王エピソードがたくさんあるのですが、その中の一つに「紂王が玉の箸を作らせた」というのがあります。
「宝石でできたお箸」という感じでしょうか。
それを見て家臣は「玉の箸を作ったら、器もそれに見合うものにしろと言い出すだろう。そうなったらその器にのせる食事も質素なものではなく、山海の珍味と言い出すに違いない。そうなったら民の負担は大きくなる」と嘆きます。
事実、その通りになっていき、最後に紂王は周の武帝によって倒される…というのは司馬遷の史記にもある通り。

ところが、土井善晴さんの話を聞いていると、この話の全く違う側面が見えてくるわけで。
質素なご飯でも器や箸を良いものにして楽しもう」と。
もちろん、王の食事が質素なわけはないでしょうが。

既に古代春秋(思いっきり紀元前)の時代から「殷の紂王は言われるほど悪い王だったのか?」という疑問が法家や道家ではなく身分やしきたりにうるさい儒家、それも孔子の弟子から出ている紂王ですが、最近の研究では「殷の紂王は単なる悪王ではなく、時代が追いつけないくらいに革新的な王だったのではないか?」という説があります。
殷は神権政治的な性質が強かった王朝なのですが、紂王は神に捧げる生贄(今回の場合は人間)をやめさせようとしたようです。
そのために「悪虐非道な王」とされて王朝ごと倒されたわけですが、現代を生きるkinaとしては「一体どっちが悪虐非道だよ」と思ってしまうのはご理解いただけるかと。
こうして考えてみたら「玉の箸を使った」というのも、「鉱工業の促進発展のため」なのかもしれません。
時代が落ち着き、文化が発展すると贅沢をしたくなるのが人です。
「王が玉の箸を使ったなら、下っ端の俺たちでももっと良い箸、食器を使っても良いだろう」…というのを、紂王は期待したのかもしれません。
ちなみに、神事に生け贄を捧げる問題を解決したのは三国志の時代のことで、諸葛孔明が生け贄の代わりに饅頭(マントウ)という、小麦粉を人間の頭大に練ったを捧げたことがきっかけでした。
これが「おまんじゅう」の起源になったのは有名なお話ですね。

このことを踏まえたら、「殷の末期に一汁一菜の思想があったのなら、歴史はどう変わっていたのだろうか?」と考えてしまいます。
歴史にifはありませんし、一汁一菜の思想があって、紂王がその思想から玉の箸を用意したとしても、多分それは曲解されて後世に伝わったのでしょうけれど。

陳舜臣さんの「小説十八史略」は中々面白かったし、基本史実や十八史略の話の通りに進んでいきますが、ところどころに「小説」としての話も散りばめられていて、その中の一つが「紂王が妲己のせいで悪王になった」というお話。
中々に興味深いお話になっています。
史実ではまず認められないところになりますが、もしかしたらこれに近いことがされていて…こっそりそういう話がどこかに伝わっていたのかもしれないと思ってしまいます。
日本の哲学者梅原猛さんをして「マキャヴェリだってこんなことは言ってない」と言わしめた六韜三略が、誰の言葉を元にして書かれたかを考えたら、ね。


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