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短編小説・ポートピアのプルメリア

世界のどこでも夕陽は美しいのだろうか。
日本は全県行ったし、世界は4大陸に足跡を残した。
数日の滞在から、1年間の留学までの経験で、それぞれ違う夕陽を見てきた。

地球にぶつかってくるのではないかと思えたほど大きな夕陽もあったし、
線香花火の最後の塊のような夕陽もあった。
燃え続けながら水平線へと落ちていく夕陽もあったし、穏やかなピンク色に変化しながら海に沈んでいく夕陽もあった。
国が違うと見える夕陽が違うことにやがて気がついたが、どれも全て美しかった。
世界中のどこからきたのかわからない人たちまでもが、その美しい夕陽を前にすると立ち止まり、ため息をつき、見つめずにはいられないことも知った。
それほどまでに惹きつける夕陽、サンセットが似合う女性に出会ったことがある。

世界一周の途中、東洋の真珠、モルデイブに一人旅で来る人はほとんどいないことに気づいたのは、リゾートホテルに到着して翌朝朝食レストランに行った時だった。
全てのテーブルは家族、カップル、ハネムーナーで占められていた。
ひとりで座っているのは、本当に私くらいだった。
誰も私のことは気にしていないが、私は彼らを十分に観察する時間と余裕があった。それは、おしゃべりと引き換えだ。

窓やドアがなく、屋根だけがあるレストランには、すぐそばにあるプールからの風が静かに入ってくる。
レストランの中央にあるフルーツカットのエリアには、白いシェフ帽を被り、自信と誇りでシェフ服を着こなしている男性スタッフや、淡いブラウンのチャドルを被って、キラキラした黒い瞳を向けてくる女性スタッフがいる。卵を調理するスタッフは、ニワトリになれなかった卵に選ばれたかのように全員がにこやかで丁寧で、心地よかった。

いつも一定数の宿泊客たちが、誰ともぶつかることなく、器用にスムーズに多くの種類のフードとドリンクを求めて歩き回っている。ショートパンツ、カジュアルパンツにTシャツ、キャミソールなど、着ている本人はもちろん見ているこちらもリラックスさせてくれる服装ばかりだ。

それぞれのテーブルに注目すると、一つ一つの世界が繰り広げられている。

オーストラリアアクセントを持つ、60代くらいの夫婦は言葉はほとんど交わさないが、妻のジュースがなくなれば夫が無言で立ち上がり、ジュースコーナーへ向かう。夫がライスをぽろっとこぼせば、妻が黙って取り上げる。
隣のテーブルの子どもたちが歩き回るのを、二人でじっと眺めている。笑顔を浮かべて。

大きな声で中国語を話している、20代のハネムーナーはスマホを片手に早口でしゃべり、次々と肉や魚料理を口に放り込んでいく。周囲にも同じようなハネムーナーが座り、テーブル越しに、時には立ち上がり席を移動して、大きな声でのおしゃべりが続く。
中国人ホテルスタッフは、彼らと自分たちに有益な情報を母国語で教えている。どうもクルーズチャーターが気に入ったようで、スタッフが見せているアプリを指差し、周囲を巻き込んでモルデエイブの2000もある島々のうち、できる限りを回る計画が立ったところだ。

インド系ファミリーは、3世代プラス、おそらくきょうだいや叔父叔母までの、大ファミリーだ。長い10人がけのテーブルに座り、フードを取りにいく者、食べ続ける者、おしゃべりをする者、うなづくだけで絶対に一言もしゃべらないぞ、と決めているかのような、日本では死語になりつつある一家の大黒柱のような男たち、と役割がきっちり果たされているのがわかる。

テーブルにひとりで座る女性を見つけたのは、夜中に雨は降っても、朝にはピタッと止んでしまう10月のモルデイブでの3日目だった。

彼女のテーブルの周りだけ、しんと静まり返って周囲のおしゃべりも食器の触れ合う音も遮断されているかのように見えた。
そこだけが透明なボックスで覆われているようだった。

白い肌
ブロンドのロングヘアー
魅力的という言葉以外が浮かばないほど、均整の取れた体を包んでいるのは、ウオッシュアウトしたワイドデニムパンツに、白の細いヒモつきキャミソール。
一口一口味わい尽くすかのように、何度も咀嚼して食べ物を丁寧に体の中に送り込んでいる。
彼女が立ち上がったのを見た瞬間、四メートルほど離れた席から私も立ち上がった。
20種類ほどのパンが並ぶコーナーに向かう彼女を追いかけ、プレートを取った彼女と同じようにプレートを手にした私は、自然な動作で隣に立ち、パンを選ぶふりをしながら話しかける。

「数が多くて迷うわ」
独り言に聞こえるように言うと、「本当ね」と、初めて見せてくれたその笑顔は、全ての頬の筋肉を使い愛というエッセンスを混ぜたようだった。
一瞬見惚れ、あわててこの機会を活かすように、「一人旅?」と聞くと、「
そうなの、周りから変な目で見られているわ」と、しょうがないわね、とずっと年上のお姉さんがわがままな子どもにするような表情を浮かべた。

「私も一人旅なの。ここでは珍しいらしいわよね」
「そうなのよ」
一段彼女の声が大きくなった。
「よかったら同じテーブルで食べない?」
「あー嬉しいわ。少しおしゃべりしたいな、と思っていたのよ」
「私も」
二人で一緒に悪いことをした時のように、共犯者の笑顔を見せ合い、私はクロワッサンと、レーズン入りスネイクパン、彼女はブルーベリーマフィンとプチドーナッツを持ってプールが見える私の席へと座った。

「ミカよ」
「ジェーンよ」
「会えてよかったわ」
「私も」
「どちらから?」
「日本よ、あなたは」
「アメリカのアリゾナ」
「あー、コロラドは行ったことあるし、ユタ州までは行ったことはあるけど、グランドキャニオンはまだ見てないわ」
「来る時は行って。私も日本は去年行ったのよ」
「え、どこに?」
「京都、大阪、東京。京都は素晴らしかったわ」
「みんな京都は好きよね」
「あなたは日本のどこから」
「東京。次回東京に来るときは行ってね、うちに泊まっていいわよ」
「わお、じゃあ早速日本行きを計画しないと」
「旅が好きなのね」
「そうよ、だって人生は短いんですもの。行ったことがないところに行きたいわ」
「私も、全く同じ」
「モルデイブは初めて?」
「そう。まさかこんなにファミリーやカップルで来るところだとは思ってなかったけど」
「私も。それがなかったら、本当にいいところよね。毎日プライベートビーチのデッキチェアに寝そべって本を読んで、透明な海に入ってるわ」
「私も、まったく同じ」
どんどん彼女の表情が、旧友へのそれに近づいている。

「友達にひとりでモルデイブに行くって言ったら、普通は彼氏とかと行くでしょうって言われたんだけど、私3ヶ月前に彼氏と別れたの」
「私は3年前に夫と別れたわ」
彼女が驚きが喜びの表情になり、思わず手を取り合う。同士の握手だ。
「だからその友達に言ってやったの。ひとりで行きたいところに旅するのが、普通なのよ、ってね」
「うん、それが普通だわ。私にとっても」
hahaha。
ははは。
周囲がちらっとこちらを見るくらいに、40代女性二人が朝から大笑いをしている。
「楽しいわ。今日は何か予定あるの?」
「ホテルのアクテイビテイの水中エアロビに参加しようと思って。あなたもどう?」
「そうね。美味しいものばかり食べてるから、少し運動しないとね」
「じゃあ、ご飯の後また会いましょうね」

結局私たちは水中エアロビでも、ランチでも、デイナーでも、カクテルでもなく、彼女の部屋に一日閉じこもった。

白いシーツとベッドカバーの間で、「これが私たちの普通よね」と、軽く唇を触れながら、あの顔全体で微笑む笑顔にまた私は見惚れていた。

彼女はアリゾナへ、私は次の旅行先のメルボルンへ向かったのは、その4日後の夕暮れ時だった。
まさにこれから夕陽が沈むその時、彼女は「ここで写真を撮って」と私にスマホを預け、燃え続けている太陽とオレンジとグレイの入り混じった海をバックにシャッターを押した。
あの笑顔を永遠に私の心のアルバムにも刻んだ。
空港まで向かうスピードボートで夕陽が見える側のシートに並んで座ると、彼女は夕陽を、私は彼女の横顔を見ていた。
彼女の頬がオレンジ色に染まり、多分今世の中で一番美しい造形物を私は見せてもらっていると思いながら。
言葉がなくても、いまここで同じ夕陽を見ているだけで十分だった。
私たちは、あの時あの瞬間、一番欲していたことに時間を使ったのだから。

船着場でスーツケースをホテルスタッフが運び出してくれている。

「楽しかったわ」
「あなたに出会えてよかった」
「私も」
これ以上ないほどの優しさに包まれたブルーの瞳と、あきらめと悲しみのブラウンの瞳が絡み合う。

それぞれのスーツケースを手にすると、周囲の同乗者たちはそれぞれの目的地に向かうため一斉に空港入口へ吸い込まれていく。

「また、いつかどこかで会いましょう」
「本当に」
「きっとどこかで会えるわ、私たち」
「そうね」
「じゃあ、良い旅を!」
「あなたもね」

大きく手を振ってエアラインカウンターへ向かう彼女の後ろ姿を十分に見送った私は、モルデイブとの別れを惜しみながら、ゆっくりとスリランカ航空ビジネスクラスカウンターへと向かった。



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