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幸せになりたかったら、人を見る目を養う事が最重要だった

断固として「ノー」 と言え


愛されなかった時どう生きるか、という人生の問題に対して、

私は次のように答える。


愛情の仮面をかぶった憎しみ、

無欲の仮面をかぶった強欲など、欺瞞を見ぬくこと、

そしてこの欺瞞の関係を断つ勇気をもつこと、

この二つである。


あなたの親は、あなたを愛してはいない。

絶対に愛してなどいない。


その証拠は、あなたが今親にしがみつこうとしていることである。


あなたの親は、あなたにどんなつらい思いをさせても、

世間にいい顔をしようとしている。 


あなたにひどい犠牲をしいても、

そのことで自分が世間にいい顔をしようとしている親に、

どうしあなたはしがみつくのだ。


正直のところ自分が世間にいい顔をするためならあなたなど死んだっていいのだ。

そんな人になぜしがみついているのだ。


あなたの友人はあなたのことを心の底で軽く見ている、

あなたを軽蔑しつつあなたを利用している。


心の底であなたを嘲笑している友人に利用されるために、

なぜあなたは真の自分を歪曲しなければならないのだ。


断固としてノーと言うことである。

あなたはノーと言うことに罪悪感をおぼえる。


しかしさきにも書いたとおり、

それこそがあなたの依存心のあらわれである。


欺瞞的な人々のあいだで育ってきたあなたの罪悪感や良心などそんな立派なものではない。


自分のことをよーく反省してみるがいい。 

他人に悪く思われることを恐れてびくびくしてきただけではないか。


そんな人間の良心だ罪悪感だなどというものが立派であるはずがない。


もし決然としてノーと言えなければ、

あなた自身、自分の依存心を良心というかたちで正当化する卑怯者なのである。 

あなた自身あなたの周囲の人々と同じく欺瞞的な人間なのである。


あなたがあなたの心のなかの欺瞞を正面きって認めることができれば、

あなたはその時こそ自分を信頼して立ち上がることができる。


ところがもし自分の心のなかの欺瞞をごまかしつつ生きていくなら、

いつになっても自分を信頼することができず、

ノーと言うことはできない。


自分の周囲の人間の欺瞞を見ぬくことは、

同時に自分のなかの欺瞞を見ぬくことにもなる。

この試練を避けた者は滅びるしかないであろう。


愛されなかった時どう生きるか、という人生の問題に対して、

私は次のように答える。愛情の仮面をかぶった憎しみ、

無欲の仮面をかぶった強欲など、欺瞞を見ぬくこと、

そしてこの欺瞞の関係を断つ勇気をもつこと、

この二つである。


欺瞞(読み)ギマン

デジタル大辞泉 「欺瞞」の意味・読み・例文・類語ぎ‐まん【欺×瞞】

[名](スル)あざむくこと。だますこと。「欺瞞に満ちた言動」「国民を欺瞞する」




毒親育ちが、良い人間関係に恵まれない1番の原因は、

親が欺瞞に溢れた人だったからです。


そして、その親の事を「良い人」だという歪んだ軸を自分の中に大切に持っているから、人を見る目が歪んでしまっているのです。




親に愛されなかった時、私達はどう生きれば良いか?

というと、とにかく人を見る目を養う、と言う事になります。




簡単に言えば、

人生とは、人との出逢いと別れで成り立っているので、

人の欺瞞を見抜く目を持っていなければ、

誰を信じて良いのか分からない状態になってしまうし、

誰を信じて良いのか分からなければ、常に不安が付きまとうという事になるからです。




もちろん、「常に不安」と心の奥底で思ってるのは、

無意識の中で思っている訳です。


だから、実は自分が「常に不安」だと思っている事に気づかない人も多いのです。




これは、昔の私がそうだったのです。


心の奥底では、とにかく不安だと感じていました。

けれども、自分の本当の感情を強く抑圧していたので、

「自分が不安だ」なんて感じた事は無かったのです。


色んな人に気を使い、社交的で、人からは明るいと言われて、

私って"そういう人”なんだ、と思っていたからです。


だから、私は問題ない、って昔は本気で思っていました。




あれだけ深刻なうつ病を経験したのにも関わらず、

自分は問題ないと思っていたのです・・・


我に返った今は、自分の心理についてよく分かるのですが、

昔は、全く分かっていない所か、

とにかく何も考えずに生きていたんだなと言う事がよく分かるのです。


これが、意識と無意識の乖離であって、

抑圧の心理なのです。




そうやって、本当は毎日不安だと心の奥底で思っていれば、

とにかく自分の不安をどうにかしようと、

手あたり次第、人と絡んでいく様になるのです。


目の前にいる人が、どんな人なのか?

優しい人なのか?

言葉だけが優しいのか?

本当に優しい人なのか?

実は、ただお金が欲しいだけの人なのか?

私じゃなくても誰でも良いと思っているかどうか?

実は怖い人なんじゃないか?

この人は信じるに値する人なのか?

などなどなど



そんな事をしっかりと考える事なく寂しさから恋愛をしたり、

不安だから友人と思っていたりしてたのです。



つまり、誰でも良かった訳です。

この人が好きだから一緒に居る、

この人が信頼できるから一緒に居る、

そんな軸は全く無かったのです。



幸いにも、恋愛で怖い目に遭った事もなければ、

友人関係でとんでもなくひどい目に遭った事も無く過ごして来れました。


かと言って、恋愛が長続きした事も無かったし、

心の底から大事と思える友人もいません。

それは、ただただ自分に問題があったからです。

そこに気づけた事が、私にとって最大の運が良い事だったのです。


子供の事を愛せない親の事を「良い親」だと信じている様な、

人を見る目の無さ、信頼するという軸が何も無い心の空虚さなど、

自分の事も、人の事も、何も分かっていなかった自分に気づいたのです。



どんな人が信頼出来ないということなのか?

どんな人が人をだますタイプの人なのか?

どんな人の事を愛が無いというのか?



そんな人として基本的な事を、
40才を過ぎてから学び始めたのです。



それは同時に、自分の不甲斐なさを痛感する事でもあったので、

最初は本当に苦しかったです。


苦しい以外の表現はありません(笑)


でも、そこを何としても通り抜けないと私には明るい未来は無い、

と言う事も心底分かっていたので、死ぬ気でやりました。




死ぬ気、というのは、

本当に自分が死んでいったから、そう書いているのです。

ただの表現ではありません。



ただし、死んだのは、歪んだ軸を持った自分です。

見る目が無かった自分が次々と死んでいっただけの話しでした。



そうやって、本当の私じゃない私が死んでいったおかげで、

本来持っていた、本当の私が出て来れたのです。


嘘の自分だったとしても、それも自分なので、

すごく苦しかったけれど、とても意味のある死でした。


ずっと不安だった私は、意味ある死によって、

やっと報われて死んでいけたのです。


この作業を、自我の統合と言います。


愛情の仮面をかぶった憎しみ、

無欲の仮面をかぶった強欲など、欺瞞を見ぬくこと、

そしてこの欺瞞の関係を断つ勇気をもつこと、

この二つである。


自分の中の、愛情をかぶった憎しみ、

無欲の仮面をかぶった強欲、

そんな嘘の自分(欺瞞)に気づいて、その自分に意味ある死を与えていけば、


本当の自分に気づいていく事が出来ます。


そして、本当の自分に気づく事と、

欺瞞に溢れた嘘の自分の両方が分かった時、

人を見る目が養われているのです。



人を見る目が養われると、

そこからは、信頼できる人、人の事が愛せる人、

本当に優しい人、そういう人の事が分かる訳です。



違う言い方をすれば、

信頼できない人、人の事を愛せない人、

人を貶める様な人、そういう人の事も良く分かる様になります。



分かるから、自分にふさわしいと思う人を選べるのです。

そうやって、本当の自分で選んだ人とは、

色んな意味で幸せな関係性を築いていけます。


人生とは、人との出逢いと別れで成り立っているので、

幸せになりたければ、

人を見る目を養う事が最も重要な事なのです。


毒親育ちで、愛されなかった人は、自分の心の中を見抜いていけば、

その先には想像もしなかった幸せな人生が待っているのです


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