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ソーシャルディスタンス?

ある日僕は電車に乗っていた。

どこへ行くでもなくフラリと家を出たので特に荷物も持たず、スマートフォンだけを握りしめてあてもなくブラブラと。

すると人間の習性なのか、いつも使っている最寄りの駅についてしまったので特に目的もなく電車に乗ってしまった。

いつもと変わらない駅で
いつもと同じ車両に乗り
いつもと同じ行き先の電車に乗る。

我ながら普通だなぁ、と思いながら身軽さだけを頼りに心地よい揺れを感じていた。

車内のドアの上にはモニタが設置されており、いつもと同じCMが流れている。
これもいつも通りだ。

さて、そうこうしているうちに電車はどんどん進んでいき、乗客の数もまばらになってきた。
最も乗降者の多い駅も通過してしまったのでここから一気に乗客が増えることは考えにくいだろう。

そして電車はある駅に止まった。
僕の座っている車両では確認できなかったが、
恐らく数名の乗客も乗ったのであろう。
僕はというと特に何を思うわけでもなく外を眺めていた。

発車して少しすると、車両の連結部のドアが開いた。
隣の車両から誰か来たんだろうと思い、なんとなくそちらに目を向けてみた。

その人物はスーツを着ていて、年齢は40代半ばくらい、ひどく汗をかいていて、メガネはずれており、大きなカバンと週刊誌を持っていた。スーツとネクタイの色が明らかにマッチしておらず凝視してしまったのを覚えている。
確か髪もボサボサだったような気がする。

そんな、悪い意味での特徴的な人物から目を逸らす事ができずにいるうちに、どんどん自分に近づいてくるのが分かった。

そして次の瞬間、あろうことか僕の隣に座ったのである。

「???」

乗客は少なく、他にも座る場所はあるのに何故ここに?

僕は完全に戸惑った。

何故ここに?

頭の中ではこのフレーズしか再生できないようになっていた。大きすぎる疑問が他の思考を瞬時にどこかへ押しやってしまったのである。

はっきり言って乗客は少ない。
座る席も十分にある。
汗をかいているから空調のよく当たる場所でもいいはずだ。

何故わざわざここに??

孤独な攻防戦

心の中は取り乱してしまったものの、僕の表面はただただ静かな優良乗客を演じていた。
隣ではスーツ男が座っている。

はっきり言って隣に座られるのは本当にイヤだった。
他に座る場所がなくてここが偶然空いていたのなら仕方ない。

でも!今は誰が見たって席が空いているし、
自分で座りたい場所を選べるじゃないか!
それでいて何故わざわざ隣に来るのかが理解できなかった。パーソナルエリアを無差別に侵害された気持ちだ。

しかし次の瞬間僕はハッとしてしまった。
自分で座りたい場所を選ぶ?他に座る場所がなかったら仕方ない?

そもそも、自分で選んでいいのであればスーツ男が隣に来たことに対して嫌悪感を抱いているのは自分が悪いことになる。
彼は自分が選んだ席に座ったのだから。

そもそも僕は何故ここに座っているのだろう。
僕だってどこに座っても良かったはずなのに何故かここを選んでいるのだ。そしてスーツ男も大差ない理由でここに座っているのかもしれない。
その場合、僕に彼を責める権利は全くないのである。

僕は移動するべきなのだろうか、
隣に座ってほしくないと思っているのは僕の方なのである。
彼は全く気にならないからこの席に座っている。
一体どんな神経をしているんだ、と僕は思った。

そんな中、僕は彼の格好に注目した。
最初に分かっていたがスーツを着ているのである。
要するに彼は今勤務中の可能性が高い。
僕はというと何もやっていない。
文字通り何もやっていないので世の中に対して生産的な行動は何もないのだ。何の役にも立っていない。
そうなってくると僕が嫌悪を示しているスーツ姿の彼は働いている訳だし、世の中の役に立っていることになる。

そうするとやはり移動すべきなのは僕なのではないか、という思いが頭をよぎってくる。

いやいや、先に座っていたのは僕なんだから移動するのであれば彼がそうすべきだ。僕が移動するのは負けそのものを認めた事になる。

突然現れたの謎の汗かきスーツ男に何の抵抗もなしに負けるわけにはいかない。

僕の中に訳のわからない意地があった。

作戦決行

結局僕は最後までこの座席から動かないと決意した。

だが、やはりこの空間の中で隣に居座られるのは気持ちのいいものではないので少しばかり抵抗してみようと考えた。

まず思いついたのが独り言。
突然ブツブツ話し始めると気持ち悪がってどこかへ行くんじゃないかと思ったのだがこれは失敗に終わった。

失敗というか、独り言が言えなかったのである。
独りで一体何を喋れば?と混乱してしまい、僕が自滅してしまったのである。
我ながらアホさ加減に参ってしまった。

何故隣に座っているだけの無神経スーツ男に勝手に闘いを挑みにいって、勝手に一本先取されなければならないのか。
予想以上に手強い相手かもしれないのでもう少し慎重に挑むべきだ。

次に試したのが咳払い、病気を装ってみようと考えた。
移されたくないだろうし、うるさいだろうからそれが原因でどこかに行くだろう、という作戦だ。

いい案を思いついた、と僕は早速行動に移した。

しかしスーツ男は無頓着なのか全く気にしなかった。むしろ僕の方がわざとらしい咳を連発したせいで喉をやられてしまい、他の乗客は少ないとはいえ恥ずかしくなってしまいすぐにやめてしまった。

これも効果がなかった。

僕はいったい何をしているんだろうという気持ちになってしまい、虚しくなってきた。
そもそも僕は何と闘っているのだろう。
自分のやっていることは正しいのだろうか。
また考え始めていた。
ただ隣に男が座っているだけではないか、
なにをそんなにムキになっているんだ、と。

しかし!先に座っていたのは僕なのである。
だから僕が嫌な思いをするのは不公平だと思う。
そんな仕方のない思いがまだ胸の中に生きているとともに、すでに放った2つの作戦は失敗している。

野球でいうところのツーストライクの状態で追い込まれてはいるが諦める訳にはいかない。

知恵を振り絞って彼を動かさねば。

窮地に追い込まれた僕が最後に選んだのは、
寝たふりをする、だった。

寝たふりをして相手の肩にもたれかかる事で物理的に嫌な思いをさせよう、という作戦だ。

僕は少しずつ頭を傾け、寝たふりを始めた。
賢い読者の皆さんはこの作戦も失敗に終わったことを既に予想していると思うが、まさにその通り失敗したのである。
そもそも作戦の発想が小学生のようだ。

僕は開始してものの数分で見事に寝てしまい、
あろうことかスーツ男に起こされてしまった。
どれくらい寝ていたかは分からない。
だけどもう日が暮れようとしている。

そこでスーツ姿男が初めて口を開いた。

そして終点へ

「もうすぐ終点ですよ」

何とも物腰の柔らかそうな、優しい声だった。

「あっ、すみません」

驚きですぐに目が覚め、思わず僕も口を開いた。

「疲れているんですか?少なくとも私よりは若く見えますが」

と、笑みをこぼしながら男は言った。

「いえ、そういう訳ではないんです。」

少し気まずくなった。

「随分長く乗ってきましたが、目的地は?」

「いえ、今日はなんの目的もないんです」

「ふむ、それは珍しい」

「どこかへ向かっているんですか?」

「いえ、そういう訳でもないんです」

スーツ男は懐かしげな顔で車窓を眺めていた。
その様子からは初見で抱いたトンチンカンな様子はなく、普通の男性そのものだった。

「女房がこの電車が好きだったんですよ。もう一緒に乗ることはないんですが。」

スーツ男は少し間をおいて続けた。

「いつもの駅から乗って、必ずここに二人で座っていたんです。今日は先客がいましたがね。」

とニコッとし、僕の席をチラッと見た。
同時に僕はスーツ男の事情を察し、今日の自分が行った事をとんでもなく恥ずかしく感じていた。
まったくアホな男だ。

「いつも、だったんですね」

「ええ、いつも、です。この電車から眺める車窓が好きだったんですよ。だからなんの用もなしに良く乗ったものです」

ほどなく電車は終点に着いてしまった。
僕はそのまま折り返して自宅を目指す。

スーツ男は終点で降りるようだ。

僕は最後に一言だけ伝えた。

「今日は大事な日だったんですか?」

「まぁ、そんなところです」

「道中、色々と迷惑をかけてすみませんでした」

「お気になさらず、久々に誰かと一緒にこの電車に乗った気分になれましたよ。しかし、もう少しマナー良く乗りたかったですね」

スーツ男は相変わらずの柔らかさでそう言った。
やはり向こうも気になっていたのだ。
あぁ、ホントに今日をやりなおしたい。
馬鹿げたことをやり過ぎた。

「すみません」

「いやいや、全然。折り返すなら地元に着くのは遅い時間になるでしょう。お気をつけて」

こんな気遣いまでしてくれるのである。
どちらがまともな成人男性なのかは既に一目瞭然だ。

そして僕はスーツ男と別れた。

何気なく始まった一日に突然現れたスーツ男、僕は彼を変人の類だと決めつけていたが、実際変人なのは自分の方であった。

全くの他人であったがほんの少し話すだけで色んなものがほどけていった。
何故もっと早く話さなかったのか、後悔するばかりだが所詮は赤の他人、然るべきタイミングが来ないとそこに会話は生まれないのである。

現実の距離ではなく心の距離をもっと早く見つけられると良かったのだが、僕のような狭い心では誰との距離もそう簡単には縮まらないだろう。

そう思って今日起こった出来事をブツブツと一人で呟きながら帰路についた。

【終】

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