見出し画像

誰かに必要とされていることを実感した瞬間に芽生えた罪悪感。

彼女のインフルエンザ発症により、人生初の看病をすることになった。病院に付き添い、着替えを手伝い、ツイッターのフォロワーさんに教えてもらった必要物資を集めて、ずっとそばで手を握り続ける。何が正解なのかわからないけど、わたしにできることを全て詰め込んだ一夜。今はやっと熱も下がってきて、だいぶ回復してくれたので一安心といったところだが、その中で芽生えた感情がある。今回はそんなお話。











自分を責めた発症期。

わたしのせいで、彼女がインフルエンザになってしまったと思い込んで自分を責め、涙が止まらなくて今すぐ消えたくなり、潰れてしまっていた。

でも、実はそうじゃなくて、むしろわたしがいるから彼女が安心して寝ていられるんだよ、ということをツイッターのフォロワーさんたちに教えてもらい、励ましてもらい、持ち直すことができたし、彼女の言動もわたしに対して向ける視線もそれを裏付けるようにホンモノであることを物語っていたので、わたしの心も少しずつ落ち着くことができた。


必要とされてくれることを嬉しく思う看病期。

看病を続ける中で、芽生えた感情がある。

それが「生まれて初めて、人間として他人に必要とされる喜び」だ。

フォロワーさんたちの言葉も手伝って、そばに寄り添い、できることをやっていたわたし。

珍しく全力で頼ってくれる彼女のぐったりした姿や、力なく握り返してくれる手の温かさを実感することで、少しずつ感じ始めた感情だった。

これらが喜びに変わり、わたしの中を満たしていく。

「わたしは彼女に必要とされている。わたしはここにいていいんだ。」

今まで生きてきて、こういう感覚は味わったことがなかった。

元彼のときも、どこか一歩引いていたのだと思う。

しかし、そこでふと思った。

「これって正しい感情なの?」


芽生える罪悪感の正体。

このnoteを描いている今ですら、まとまっていなくてうまく言えないのだが、なんとも言えない罪悪感がわたしの心を黒く上書きしていく。

形容するなら「弱った人間に頼られて勘違いしているだけ」なのではないのかという感じだ。

高熱で動けない人を看病し、お世話することでわたしが彼女を下に見て優越感に浸っているだけなのではないかという感覚。

もちろんそんなつもりはなくて、ただただ彼女に元気になって欲しいというだけなのだが、この流れの中でわたしが「頼られていることを喜ぶ」という感情を持ったことによって道を踏み外したような気がしたのだ。

わたしの悪い部分をまたひとつ見つけた気がした。


わたしの狂った感覚は、どうすれば普通に戻るのだろうか。

好きな人に元気になって欲しくて、少しでも楽に寝ていられるようにと思って接していたのに、実は自分の優越感を満たすための行動だったのではないのか。

わたしはどこまで最低なのだろう。

彼女に合わせる顔が無い。

こうして狂った感覚が、わたしの中に流れ続けている事実が何よりもツライ。

じゃぁどうしたらいいのだろう。

どう接したらよかったのだろう。

どうしたら普通の感覚に戻れるのだろう。

その答えに対する糸口すら、わたしは見つけられないでいる。

だから、わたしはまたこれからも、その答えを探し続けるのだと思う。

いつか、彼女に対してちゃんと向き合えるようになる、その日がくるまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?