見出し画像

彼の残り香と彼女の温もり。

元彼と別れたのが今年の1月17日だから、今日でだいたい10日ほど経ったことになる。
「別れた」というより「逃げた」という表現が正しいのかもしれない。なにせわたしは、彼が仕事に行っている間に荷物をまとめて同棲していた部屋から出て行ったのだから。

わたしのことを語る上で外せないこの出来事について、話そうと思う。
暴力的で不快な表現が伴うので、読んでいただく場合はご注意願いたい。












彼と別れた理由は、数ヶ月間に渡って受け続けたDVだった。

浮気もされていたけど、まぁ別にそれはいい。
仕事だと嘘を吐いてまで、わたしをひとりにして家を空けていたことには引っかかるが、一応隠そうとはしていたのだから多少は罪悪感もあったようだからね。

とりあえず、殴る蹴るは当たり前だった彼。
自分が帰宅したときわたしが寝ていても、情事の最中でも、とにかく殴る蹴る首を締める引き摺り回す。
ほぼずっと、全身がアザだらけなのが通常運転。

別れる前日も、まぁ見事にボッコボコだった。
床にしたたるわたしの血液、霞む視界、乱れる呼吸。
数時間痛めつけたあと出て行く彼の背中を目で追うことすらできないほどに、床に倒れ込んだわたしの体は内外から悲鳴を上げていた。

溢れ出る思いが止められなかった。

この日の原因も、些細なことだった。

出張に行っていた彼が1日早く、しかもなんの連絡もなく突然帰宅したので、なんとなく理由を聞いてみたところ、「突然帰ってきたら、お前が浮気のしっぽを出すと思って。」とのことだった。

もちろん浮気もしていなければ、男性と連絡すら取っていない。
ツイッターで絡む人たちはいるが、浮気なんて全くしていないし、そもそもツイッターしていることを彼は知らない。

だからその理由を聞いた瞬間わたしの中で何かが崩れる音がして、生まれて初めて怒った。

「こんなに耐えてきたのに、さらに浮気まで疑われるってなんなんだろう。」

こういう思いを泣きながら、ぶつけてしまったのだ。
長年蓄積した得体の知れないものが堰を切ったように溢れ出した。
そんなことをすれば、そりゃ彼も怒るよね。
だからわたしはボッコボコにされた、というわけである。

このときのわたしの心情としては、単純な怒りというより、悲しさと悔しさが入り混じった、実に不思議な感覚だったように思う。

実際、こんな彼のことをツイッターで呟き始めてから、フォロワーさんたちにたくさんのご心配をおかけし、たくさんの助言をいただいたことで、彼の異常性とわたしの置かれている状況の危うさを客観的に見られるようになっていた。

気付いてはいたのだが、やはりどこかで信じていたいという思いが強かったのだ。

わたしに存在理由を与えてくれた彼。

彼はとても優しかった。
付き合い始めてしばらくは、それはもう優しいひとで、今まで母親から邪魔者扱いされてまともに相手すらされてこなかったわたしからすれば、わたしの存在を認めてくれるだけで十分優しいと思えた。

しかし、同棲してしばらく経つと彼のDVが始まった。

初めは、情事の最中に首を締めたり叩いたりしてくる程度。今思えば、このときに嫌だという意思を伝えていれば状況は変わったのかもしれない。
しかしそのときのわたしは、その状況がイマイチ理解できず、されるがままになっていたのだ。
あとから聞いたのだが、彼は叩かれるわたしを見て欲情していたらしい。
わたしが叩かれることで悦んでいると思っていたのだそうだ。(もちろん悦んでなどいない)
だから彼は、わたしを悦ばそうとしてさらに酷い仕打ちへと進化していく。

「彼が喜ぶから」

彼が喜べば、わたしの存在理由がそこにできる。
彼が求めてくれることに耐えるだけで、わたしの生きる理由がそこに生まれる。

それは、わたしにはとても簡単なことなのだから。

「我慢」はわたしが生きるために身に付けた処世術。

「我慢」には慣れている。

家庭でのネグレクトも、学校でのいじめも、ずっと耐えてきた。

耐えてきたというより、無意識に抑えていた感覚に近いかもしれない。

仕事で受けたセクハラからは逃げてしまったけど、やはり逃げた事実がわたしの中で後悔となっていつまでも燻っているから、逃げることについて良い印象がなかったことも大きい。

だからこの時点で「逃げる」「拒否する」という選択肢は微塵も湧いてこなかった。

わたしが我慢すれば、居場所が守れる。

ただそれだけのことだった。

わたしの中で歪み続ける「愛のカタチ」

暴力によってわたしを悦ばせることで自分の性欲を満たし続ける彼の行動は炎の如くエスカレートしていき、躊躇なく手をあげるようになっていった。

全身にアザができ、口の中は切れ、顔は腫れ上がる。
そんなことが日常となり、わたしの中の「愛情のカタチ」がどんどん歪んでいった。

愛されているから殴られる。
わたしに悪いところがあるから、世間知らずなわたしに教えるために殴って教えてくれている。
彼は誰にも見せない本性をわたしにだけ見せてくれる。
わたしは愛されている。
だからここにいていいんだ。

そんな、歪んだ感覚が育っていった。
生きていることを認めてくれるなら、サンドバッグとしてでもいいと思っていたのだろう。

しかし、そんな異常で危うい状況は長くは続かなかった。

孤立を選んだわたしに外の世界を教えてくれたツイッター。

母親から相手にされないことが当たり前ではなく、一般的にはおかしいことだと自覚し始めたのが小学生くらいのころ。

そこから、何が正しいのかを理解できないでいたわたしは、周りの全てを拒絶するようになる。

友達と呼べる人はひとりも作らず、学校でもずっとひとりで過ごしていたわたしがいじめられるようになるまで、そう時間はかからなかった。

当然だと思う。

だって「変なやつ」だもんね。

そうした幼少期を過ごし、ずっと外界とのコミュニケーションを一切絶ち続けながら母親と彼とだけに「飼育」されて育ってきたわたしに、ツイッターを通してさまざまな情報や常識がインプットされたことで、自分の中にあったけど見ないフリをしてきた微かな違和感が日増しに顔を覗かせるようになってきたのだ。

生まれて初めて「怒る」という感情が芽生えた日。

そんなときに起こった、わたしの激怒事件。

これはたぶん、自己保身のための最終手段だったように思う。

わたしは今まで怒られることはあっても怒った記憶がない。
わたしの生命線である母親に怒っても、いじめてくる同級生に怒っても、事態は好転するどころが悪化するということを知っていたから。

そんなわたしが感情に任せて生まれて初めて、彼に対して怒ったのだ。
生まれて二十数年、溜まりに溜まったヘドロのような黒いモノがわたしの中に収まりきれなくなった。
もう限界だったんだろう。

わたしの激怒を受けてさらに激昂する彼の拳を受け続け、過去最大級に痛めつけられたわたしは、受けたダメージによって起き上がることもできず、気を失うように眠りについた。

このときに全ての糸が切れ、フォロワーさんの助言も手伝って、別れを決意するに至る。

そして翌日、現在の彼女である「なっちゃん」に助けてもらい、彼女の家で同棲することになった。

生まれて初めて感じる幸せの重さに耐えられなくなった。

わたしの傷を見て泣いてくれる。
遠くから車を出して助けに来てくれる。

そんな彼女になんの得があるのか。
これまでわたしが避け続けた周囲の人間のひとりだった彼女は、なぜわたしに優しくしてくれるのか。

全く理解できなかった。

でも、頼るしかなかった。

彼女しか、今のわたしの頼る先がないのだから。

そこから始まる同棲生活。
生まれて初めて、心から安らげる場所を得た気がした。

これが平穏。
これが平和。
これが幸せ。

正解はわからないけど、わたしにはなんとなくそんな気がしていたのだ。

わたしの話を真剣に聞いてくれて、支えてくれて、優しく抱きしめてくれて、守ってくれて、時にわたしが彼女を支える相互関係。

生まれて初めて体験するそれらの事柄が、わたしの中の黒いモノを少しずつ浄化してくれているように思えてならない。

でも怖い。

この幸せがいつまで続くのか。
いつか彼女もわたしに手をあげるのか。

大きすぎる幸せは、わたしには支え切れなくて、何度も家を出ようと決意した。

人を信じてみようと思わせてくれた彼女の存在。

逃げ出そうとするたびに、フォロワーさんや彼女が言ってくれる。

「ここにいていいんだよ」

と。

そんな日々を過ごすうち、わたしは彼女に性別を超えた恋心を抱くようになった。

ただ、助けてくれる彼女に依存し、わたしが彼女を求めているだけかもしれない。

父親の顔を知らないわたしは男女の正しい関係を知らず、彼以外と付き合った経験もないから、恋愛がなんなのかを理解していない。

それでも、わたしは確かに彼女を求めていた。

そんな中、彼女から付き合ってほしいという申し出を受けたのだ。

わたしをひとりにしておけないから心配であること。
カップルになることで、ここにいて良いという理由をくれようとしていること。

そんな理由があることも理解していたが、それでも女同士で付き合った経験のない彼女が意を決して伝えてくれたその思いにわたしは心から幸せを感じ、溢れ出す涙とともに快諾した。

好きという気持ちに性別という壁は不要なのかもしれない。

女同士という、少しズレたところにいるカップルになったわたしたち。もちろん、わたしも女同士で付き合った経験などない。それでもお互いを求め、必要として、愛し合っているという事実があるなら、性別なんて関係ないんじゃないだろうか。

そう思えるようになった。

人を好きになるということ。
人を愛するということ。

そんな些細なことですら知らないまま大人になったわたしに、たくさんの愛情を注いでくれる彼女をこれからも大切にしていきたいと心から思える。

少しでも長く、平和な時間が続くことを願って……。

殴られた傷が治ってくると同時に消えていく、彼の残り香のような肉体的な痛みが、わたしと彼との関係を過去のものへと追いやり始めている。

それが寂しいと感じるうちは、まだまだダメなんだろうなと思うけど、そんな辛い過去に蓋をして目の前にいる彼女の温もりに抱かれ、フォロワーさんに見守られながら、わたしはここにいて、今日もぬくぬくと生きている。

この先、またいろいろなことがあると思う。
でも、きっとなんとかなるんじゃないかな。

長い間自分を殺しながら遠回りして、たくさんの血と涙を流しながら積み重ねた経験があるからこそ、出逢うことができた幸せの中にいるからこそ、今はそう思える。

これからもどうか、平穏な生活が続きますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?