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心地よさの言語化

○心地よさの明確化による豊かさの発見

心地よさとはなんだろうか
心が地につくと書いて心地よさと
言語の分解から入るのは哲学関係の書物には
よくあるアプローチだ。

心地よさは人によって様々でとても繊細な癖に
人によっては非フォーカスな感覚なのではないだろうか。
潜在的な意識に任せきって
あるいはケースバイケースの規模が大きすぎて
言語化できないとがほとんどだ。

だからこその言語化のススメの足がかりとして
この文章を紡ぐ必要があると考えた。

例として
私の心地よさを言語化しよう。
・気温は5〜10℃くらい
・服装はノーカラーのシャツにスラックス。
決して長くない靴下に紐のない革靴。
カーディガンか軽めのフード付きのコート。
マフラーはあってもなくてもいい。
・髪には何も付けてなくてちゃんとドライヤーとコテで整えてある。
・耳には音質の良いノイズキャンセリングのイヤフォンとクラシカルな音楽
・人気の少ない石畳を歩いている時。
あるいは立ち止まって何か一点を見つめている時。
・持ち物は特にカバンとかを持たず、身軽で風の流れを肌で感じれる感覚。
・話してる時よりは何も言葉を発さずに考え込んでいる時。
・睡眠は十分にとっていて
・時間帯はできれば夜と朝の空が紫色の間。
…。

とこんな感じに具体的に書き出してみたけれど
ここに書いてあることと類似していることだけが心地いいわけではない。
これは変な癖かもしれないが
自分の持っているディスプレイや音が鳴るデバイスから出来るだけたくさんの音や映像を流してその情報を無意味に浴びているときは心地よさはもちろん幸福感さえ覚えた。


こういうことを一々思い起こせたり、これだ!って表現できたりすることによって、自分のゲノム解明とか先祖やルーツが間接的に想定してしまう瞬間があるから不思議なものだ。

とにかく現代に自分に何が必要で何が不必要なのか。
判断するための材料は多いにこした事はない。

書き出してみて
考えを深めてみて
拘ったり
削ったり増やしたりしていくと
ある程度のところで
共通項が見えてきたりもする。

共通項さえつかんでしまえば
あとは他の要素に最適化していくことで
人生も豊かになるに違いない。

それは限られたタイプに分類することもできるのかもしれない。

考えて生きていると
めんどくさくなってしまうけど
諦めては行けない。

小学校の時
やりたいことが大きすぎて
人生100年あっても足りないことがわかって
やるせない気持ちになったことがある。

でも手元の小さいことから
集中していくには
心地よさによって継続された豊かさが必要だ。

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