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すずめの戸締まりの感想【ネタバレ注意】

先日、漸く映画館に行く機会があったので
ついに「すずめの戸締まり」を見ることができました。
公開当初はスピ界隈とか陰謀界隈でがざわついていたので
とても気になっていたので見れてよかったです。

内容もボリュームがたっぷりで
久しぶりの映画館ともあって
2時間がとても長く感じました。

というわけで
「すずめの戸締まり」について
幾つかの感想を語っていきたいと思います。


○ストーリーとしての単純な面白さ


主人公が運が良すぎたり、女子高生が保護者に無断で移動していい距離じゃなかったり、不可解な点は多いものの、単純にワクワクする冒険ファンタジー物語である。
新海誠作品の醍醐味である綺麗な空や雨の描写が印象に良く残っている。
そのほかに、歪な親子関係、家業と自分の夢との両立の難しさ、何よりも主人公の恋心などがバランスよく描かれていて、何度みても飽きがこないようなストーリーだ。

○僕が思うニッチな面白さ

ポイント1  主人公・岩戸鈴芽と「天の岩戸伝説」

物語全体を通してというか、最初と最後のループしてるところが日本神話の「天の岩戸伝説」っぽいなと思った。

「天の岩戸伝説」というのは天照大御神(アマテラス)が素戔嗚尊(スサノオ)が暴れ回ってることに嫌気がさして洞窟の中に閉じこもってしまい、それをみんなでどうにか外に連れ出そうとする話である。

幼い鈴芽が常世に迷い込み、最後高校生になった鈴芽に連れ出される様はなんとなく「天の岩戸伝説」を彷彿とさせた。

特に幼い鈴芽が少し駄々を捏ねる件が一層、天照大神(アマテラス)が引き篭もってしまったところっぽいと思った。

ポイント2 神から愛された鈴芽の描写

鈴芽は物語を通して、超絶な運の良さを見せている。
そこには神様に愛されていると思わざるおえない自然の兆候が描写されている。

まず一つは行く先々での雨だ。
神社で参拝する時に突然雨に降られることは神様に歓迎されてることを意味している。
行く先々で物語が動く前や動いた時には雨が降る描写が描かれている。

もう一つは行く先々のお店の混雑だ。
これは態々描いたとしか思えないくらいあからさまにぶち込まれていた描写で、鈴芽が泊まった、或いはお世話になったところはいつもと違ってお客さんが沢山来ている。
これは運がいい人の特徴で
閑散としたお店に入ってみると次第に、次々と席が埋まって混雑するらしい。

そして最後は猫に好かれているという点。
鈴芽は何故か知らないが要石だったダイジンにとても好かれている。作中、猫は神様として描かれているわけだが、そもそも猫は神聖な生き物で、スピリチュアル的に波動が高い人に猫は集まってくるらしい。

以上のことを踏まえて神から寵愛を受けているとしかいいようがない鈴芽の運の良さの兆候を上手く描写されていた。

ポイント3 ヒルコ•アワシマとミミズ

作中、あらゆる渦中の原因であったミミズは実はヒルコとアワシマという神様のことではないかと僕は思った。

ヒルコとアワシマというのはイザナギとイザナミがイザナミ(女神)のほうからイザナギ(男神)を誘って産まれた奇形児で、なかったことにされた神様である。
その不遇さから荒御魂として祀られることが多いそうだ。
その後に産まれてくるのが
皆さんよく知られている
アマテラス・スサノオ・ツクヨミの3神なわけだが。
(後の話に繋がるがこの2人がカグツチ(火の神)となって帰ってきてイザナミを焼き殺してしまうわけだが。)

何故ミミズは2匹いて、それを封印しなければいけなかったのか。そして何故ミミズなのか。
ヒルコから連想されるのはヒル(血を吸う奴)。
(先程言った奇形児として産まれてきたヒルコの容姿のことを如実に表しているのだろう。)

そして、ヒルでは少しグロいのと直接的表現を避ける意味で、見た目がよく似ているミミズとしたと僕は考えている。
しかも、ミミズは東と西で2匹存在することから、ヒルコだけではなく、もう1人のアワシマの存在も仄めかしていることになる。

ここも物語を面白くするためもあるだろうが、ヒルコとアワシマについて知ってないと描写できないだろうと僕は考えている。

ポイント4 ジブリ的な掃除と禊、そして猫

作中、2つの物語の転機がある。
①草太が椅子になってしまうシーン。
②鈴芽が常世で要石となった草太を助けに行くと決心するシーン

①の前には草太が鈴芽の散らかった部屋を片付けるシーンがある。
掃除のシーンはジブリではよく起承転結の転の時に挿入される。掃除をする行為は今までの流れを断ち切り、新しい流れを引き込む。開運の本なんかにもマストで「部屋の掃除」と書かれてるくらい重要な儀式なのだ。

②の後には鈴芽が草太の部屋でシャワーを浴びて身を清めるシーンが差し込まれている。
これは火を見るより明らかで、宗教的な禊を彷彿とさせている。極め付けはその後、制服をまた羽織る ということだ。正装をすることで心身が整ったことを示唆している。

最後に「猫」。
ジブリではよくジジや猫バスのように奇々怪々な生き物は猫として描かれることが多い。
先程も申し上げたとおり、猫とは神の使い的な神聖な生き物だ。

このようなジブリ要素が盛り込まれていたりもする。
ジブリ要素と言うより、アニメ映画全体に言えることなのかもしれない。

ポイント5 閉じ師の呪文と祝詞

作中、乱用されてる「懸けまくも畏き……」という閉じ師の呪文は神道に置ける祝詞と瓜二つである。

祝詞というのは神様に捧げる言ノ葉で
神様と話すわけだから、敬語よりも、どんな丁寧な表現よりも畏まっていて、失礼のない古来から使われている日本語で詠みあげるわけだが。

それが上文の
「懸けまくも畏き」だけでも充分に理解出来るだろう。
直訳するならば「声に出して言うのも畏れ多い」という意味になる。
こんな入りでお願いごとをしていると考えれば、その後の物凄く丁寧さや厳かさが想像出来るだろう。

ふざけて使うのはやめよう。

ポイント6 カグツチと常世

カグツチ(火の神)はイザナミから産まれた時にその燃える身体でイザナミを焼き殺してしまう。
それを憂いたイザナギは周りの反対を押し切って常世にイザナミに逢いにいってしまう。
(その後の話は省略)

物語の大元である
草太を助けに行く鈴芽の件はまさにイザナミを常世まで追いかけていくイザナギの姿に他ならない。
常世が焼け野原だったのも、カグツチを連想させている。

また、ヒルコとアワシマがカグツチと同一視されてることも常世にミミズ(ヒル)がいたことと全て繋がるわけだ。

○まとめ


全体を通して
新海誠監督は全てわかっていてなのか
ただのインスピレーションなのかは
本当のところはわからないが
知ってなければ
描写できないことばかりが
詰め込められてて
とても素晴らしい映画体験ができた。
まだ上映期間中に映画館で観れたことが
何よりも幸いだった。

今更、なにをと思うくらい
踏襲され尽くした考察だと思うけれど

こんなに興味深かったことを
文章にしてまとめることは
ほぼほぼないので
いい機会だった。

自分の知識量の分しか
作品の考察をできないので
もっと詳しく書かれた
感想もあるだろうが
自分の浅はかさを許して欲しい。

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