オレンジの壺

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1993年発刊、宮本 輝のオレンジの壺を読了した。簡単なあらすじと今の私が思ったことを記しておく。夫にわずか1年でつまらないと言われ離婚された商社の娘、佐和子。そんな折、ふと今まで気にもとめていなかった亡き祖父からの遺言の品である祖父の日記を思い出す。

読んでいくとそれは祖父が今の商社を立ち上げるべく、奮闘した渡欧日記だったのだが、そこには驚くべき事実が隠されており、日記一つに一喜一憂される物語。

思ったことをつらつらと

渡欧日記だからとにかくヨーロッパに行きたくなってくる!

コロナで行けないから余計もどかしくなるかもしれないけど、旅行気分も味わえる。あと、世界史の勉強にもなるかな。 日記の時代がちょうど世界大戦が始まる前、1920年代あたりからだから、世界情勢も含んでいるけど、出てくる人物や関係性がだんだん複雑になるからこんがらがる。

ただ終わり方が、ん?ってなるから全部解決してスッキリしたい!っていう人にはオススメしにくい本。

えー!?ないわー!!

って私はなりました。(個人の感想)

渡欧日記はすごく面白かったし、世界情勢もだんだん絡んで祖父は結局、日本を裏切る秘密結社に入ることになって、そこまでは面白かったのにイマイチ全体像がつかめないまま終了。

祖父は渡欧中に取引先の娘とマリーと名付けられた赤ちゃんができるんだけど、祖父が日本に帰ったのちマリーと嫁が死んだと手紙で知らされる。それが疑念で調べるも真相がつかめず日記を佐和子に託して死去。

佐和子が調べていくうちにマリーは生きていることが判明したのに

「たいしたものではないのよ...」

の一言で物語は終了

えー!?えー!?えー!?えー!?えー!?

ってなる。マリーにも会わないしマリーが生きていることを知って、だからなんだ?え、なんだ??ってこんがらがってしまった。そのほかにも謎のまま、伏線回収なしのまま物語が唐突に急降下して終わった気分

残るモヤモヤ感を払拭したくて久々に真剣考察。(いつも色々考えるけどこんなに腑に落ちてこないの久しぶり)

1.筆者がただ物語を書くのが飽きた

2.連載ページ数が足りなくて慌てて終了させた

3.そもそも伝えたいことが「たいしたことではない」

1はそのままただ筆者が飽きたのかなあと思っただけの説。

2はこの話はもともと雑誌「Classy」に92-93 年に連載されていたようだったので、気づいたらページ数が足りなくなったのかな説。

3がまあ一番妥当なんだろうし、人の人生をどこまで暴くのか、探究心とのせめぎ合いみたいなのがあるのではないかなと。

ならどうして祖父は佐和子に日記を遺したのか。私なりの考察は、佐和子と祖父の人柄。佐和子は祖父と自分にはどこか似ているところがあるような気がすると日記を通して思ったのではないか。

ここで考えられるのが、祖父が自分自身の人生を誰かに見てもらいたかったこと、創業者で立派な自分であり続けるだけではない自分を佐和子に託したかったのではないかと思う。

佐和子自身も元夫に告げられた「悪いところもなく、いいところもない」という言葉に苦しめられ自我を失いそうになったところでふと日記を思い出し、祖父の過去を探るものの、深いところでは自身の成長のために動いていたのだと思う。

自分が日記をもとに行動し、変わり、自身の成長が遂げられたからこそ、日記の真実を暴くのは「たいしたことではない」のではないのかなと考えた。

んー、でも終わり方はもう少しスッキリして欲しかったな。日記が大したことなくなったなら大したことする人生の描写が少し書き出されていても良かった気がする。また同じ日常に戻る感も否めないのでは?でも心は成長したと言えるからいいのかな、うーん。六番目のさよこの時も終わりがうむむむってなったけどそれくらいうむむむむ。



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