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ハタラクヒトの頭の中/INTERVIEW vol.1 真部 大輝 氏

初めまして。傍楽出版の山中 真琴と申します。
ここでは、活き活きとハタラクヒトに色々なことをお聞きしてます。

今回は、「不登校」を無くすという理念のもと、ご活躍されている、真部 大輝 氏にお話を伺いました。

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柔道に打ち込んでいた中学・高校時代

━━ 真部さんは、どんなお子さんだったんですか?
小学生の時から、チャリで山を2つ越えて、海に遊びにいくような子でしたね。フットワークがかなり軽くて、活発でした。勉強もこの頃は得意でした。

中学校に入ってからは、柔道をずっとしていて、勉強は嫌いでしたね。「なんでこんなんせないけんの」って思ってました。一時期は、学校行きたくねぇなって思いながら、行ってましたね。親はそこまでガミガミ言わなかったなぁ。成績悪かったら怒られましたけどね。高校進学は、柔道の特待生として行きました。ただ、ツメが甘かったです。

━━ ツメが甘かったというのは、どういうことですか?
どんなところかもう少し知っておくべきだったなと思います。入ってからがしんどかったです。親元離れて暮らすことになったと言うのと、あとね、理不尽という名の理不尽は、全て受けてきましたね。柔道部の先輩に可愛がってもらったと言うか、いじめを受けたと言うか...。体育会系としては、甘い方かもしれないけど、しんどかったですね。

柔道に絞め技があって、中学校の時からのトラウマで、すごく嫌だったのですが、先輩の機嫌によっては、落とされて気絶させられることもありました。あと、下宿先が寮だったのですが、一人で4〜5合のお米を食べさせられたり、おかずも先輩の好きな食べ物を取られて、嫌いなおかずを押し付けられたりもありましたね。

1年生の時は「もう辞める」って行って、2時間かけて実家まで帰って、何日か学校行かないっていうこともありました。この時が、人生で一番辛かったです。先輩たちが卒業してからは、寮で実質一人くらい状態になって、楽しかったんですけどね。大学では、もう柔道はしませんでした。

学級崩壊させてしまった過去

━━ 大学を卒業してからは、念願の小学校の先生になったんですよね。
そうなんです。中学生の時から、先生になることに憧れていたので、卒業後は小学校の先生になりました。ただ、実は小学校の先生になって、1年目に年度の途中でやめました。学級崩壊を起こしてしまって、学校に行くのが怖くなりました。いわゆる、先生の登校拒否みたいな感じですね。12月くらいに辞めました。小学校2年生の担任をしていたので、反抗はしないんですが、ずっと騒がしい状態でした。授業をしても聞いてもらえない状況になってしまって、しんどくなってしまって辞めました。

━━ なぜ、学級崩壊が起こってしまったんですか?
仕組み上、指導してくれる先生がいなかったことと、僕自身がヘルプを出せない人間だったことだと思います。僕は、教諭ではなく、講師というポジションで入ったのですが、指導してくれるのが学年主任だけで、ただ学年主任も担任を持っていて忙しかったので、あまり指導してもらえず、右も左もわからない状態でした。新卒1年目で、本当にどうすればいいのかわからなかったので、しんどかったです。また、もっと周りにヘルプを出せばよかったのに、そうすることで「できないやつだ」という認定をされるのが怖くて、助けを求められない自分にも問題がありました。

いろいろなことを試した10ヶ月

━━ 辞めてからは、どうされたんですか?
しばらく、フラフラしてました。大学の時に働いていた、お好み焼き屋さんに出戻ってみたりとか、結構色々な仕事を試してましたね。あとは、転職サイトを見て、仕事を探してみましたが、やりたい仕事がなかったです。自分が毎日スーツを着るイメージもないし、やっぱり子どもと関わる仕事がしたいんだと気付きました。なので、辞めた次の年の11月に、小学校の先生として復帰しました。

やっぱり、小学校の先生がしたい

━━ 復帰されてから、どうでしたか?
荒れてる学校だったので、初日から「死ね」「消えろ」など、これという暴言は全て言われましたね。子どもから言われるのも、やっぱりしんどかったです。最初の1週間は、本当に辛かったのですが、教頭に言ってもらった言葉で立ち直りました。教頭に「生徒たちの暴言は、『おはよう』とか『大好きだよ』とか『僕のこと見て』と同じだから、間に受けてたらしんどいよ」と言われて、それを聞いて気が楽になりました。

あと、この期間を通じて、僕の中での教育観が変わりました。無理やり教室入れることだけが教育じゃない。プラプラする期間があっても、それはそれででいいかな、と。僕は、ずっと携帯を持ち歩いていたので、生徒と一緒にYouTubeを見たりしてましたね。

「不登校」を無くすことが夢

━━真部さんの夢はなんですか?
僕の夢は、「不登校」を無くすことです。ただ、不登校をゼロにしたいわけではなく、不登校そのものの概念を無くしたいです。そのためには、学校以外にも、子どもたちが輝ける場所を作る必要があると考えています。今は、学校だけじゃなくても、YouTubeでも授業を受けられるし、どこでも学べるので、そんな場所を作りたいです。また、今ある学校の姿を変えないと、世界と戦える子どもが出てこないので、そういうことをしていくべきだと思います。学校が当たり前じゃなくなると思うんです。

━━ その実現に向けて、オンラインフリースクールを開設されたんですよね。
そうなんです。元々のきっかけは、Twitterだったんですけどね。去年の10月に当時付き合っていた元カノと喧嘩して、口も聞いてくれないみたいな状態で、暇つぶしでTwitterを始めました。その時、Twitterを始めるなら、目的があったらいいなと思っていて。元々は、オフラインでフリースクールを始めたいと思っていたので、オンラインでもやってみようと思って、本格的に「オンラインフリースクールまなれぼ」を始めたという感じです。

夢の実現に向けての取り組み

━━ 素敵ですね。「オンラインフリースクールまなれぼ」は、どんなところですか?
学校では学べないことが学べるスクールです。お金やSNS、実践的なネットリテラシー、社会人によるキャリア教育やだったり、まなれぼだけの、SNSインフルエンサーの講義などが受けられます。また、得意を徹底的に伸ばすことにこだわっていて、パソコンやイラスト、写真・動画の撮影・編集など、その子が得意としていることを尊重し、学べる場所になっています。そして、好きなことや子どもたちが夢を語れる場所であり、それを叶えるための場所でもあります。

━━ これからの時代を生きていくのに必要なことが、たくさん学べそうなスクールですね。真部さんの夢、応援しています!今日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


「オンラインフリースクールまなれぼ」の詳細はこちらをクリック。

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真部 大輝 氏 
Daiki Manabe

オンラインフリースクールまなれぼ代表
岡山県生まれ。岡山の中国学園大学を卒業後県内の小学校に勤務。学級崩壊を起こし、年度途中で退学。退職後、学校法人中国学園の岡山県の保育士等キャリアアップ研修会のコーディネーター、フリーターを経験。年度途中で教師に復帰。教育困難校の学校に入り、生徒指導の補佐を担当。学年崩壊した3つの学年の補佐として入り、子どもたちを指導。翌年度にはそのうちの一つの学年を担任。荒れた学年を学年団でタッグを組み、立て直す。翌年度自立援助ホームに転職。就職中にTwitter運用を開始。「不登校の概念をなくす」という夢を掲げてオンラインフリースクールまなれぼを立ち上げ、現在に至る。

SNSでは、Twitterをベースに「だいきん先生」という名前で活動。
Twitterアカウント:https://twitter.com/daikin_kosodate

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CREDIT
Interview & Text:Makoto Yamanaka

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