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ハタラクヒトの頭の中/INTERVIEW vol.5 伊藤 大輔 氏

傍楽出版(ハタラクシュッパン)の山中 真琴です。
ここでは、活き活きとハタラクヒトに色々なことをお聞きしてます。

今回は、合同会社 IDEAL 代表である、伊藤 大輔氏にお話をお伺いしました。彼は、シェアハウス事業をメインに、それ以外にもWEBメディア運営、飲食業、オンラインサロン、物販など、いくつもの事業をされている方です。面白い経歴をお持ちの方ですが、自らで人生を切り拓かれています。今回は、高校卒業後まで遡って、ストーリーをお聞きしました。是非、参考にしてみてください。

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悔しさから大学受験を決意

━━ 高校卒業後の進路は、どうされたんですか?
高校時代は、たいして勉強をしていなかったので、進路が決まらないまま卒業しました。アルバイトをしていたのですが、ある二つの出来事をきっかけに、大学受験をすることにします。一つは、当時お付き合いしていた彼女に、「新しく好きな人ができた」と言って、振られたことです。その人は同志社大学に通っていたのですが、僕はフリーターなので、「あなたには将来がない」と言われました。それに腹が立ったというのが一つです。もう一つは、バイト先での出来事です。同じ仕事をしていた大学生より、僕の方が仕事ができたのに、僕の方が時給が低いんですよね。店長ポジションの人に理由を聞くと、「お前は高卒だから。大学生の方が時給が上がるんだよ」と返ってきました。なんかよく分からないこと言われて、腹が立って大学受験を決意しました。

F判定から半年で大学に合格

━━ 志望動機に驚きです...!
なんか腹立っちゃったんですよね。そうはいっても、塾のこともよくわからないので、電車で出ていた河合塾の広告を見て、そこに行きました。河合塾で、志望校を聞かれたので、「同志社大学、もしくはそれ以上に行きたいので、東大とかですね。一番がいいんで」と言ったら、それは無理だと言われました。それもそのはず、入塾試験が一個もわからなかったので、全部2にしたんです。そしたら、判定がFって出てきました。そこで、3教科で受験ができる、同志社大学を目指すことにしました。その時点で、9月だったので、今年は基礎固めをしたほうがいいと言われたのですが、いや今年中に合格するんだとって言って、半年間けっこう死ぬ気でやりました。結果、受けたところは全て受かりました。同志社大学も合格でした。結局、ちょっと有利な条件で入学できる、関西学院大学に入学しました。彼女に振られたことは、受験勉強を頑張っているうちに飛んでいきましたね(笑)

飲食店のアルバイトは三日でクビ

そうして大学に進学したのですが、家から遠く下宿をしたため、アルバイトをしないといけなかったんです。僕は、居酒屋さんでアルバイトしました。ところがどうやら、僕は仕事があまりできないらしくて、三日でクビになったんですよね。白菜とキャベツをずっと間違えて千切りにしていたら、怒られました。包丁を向けられて、やる気がないなら帰れって言われて、帰っちゃったんですよね。他のアルバイトも試してみたのですが、あまりうまくいかなくて...あと、当時、最低時給が900円を切ってたので、全然お金もたまらないなぁと思い、別の道を模索することにしました。大学生って、長い夏休みがあるので、海外旅行とかもいっぱい行きたかったんですけど、アルバイトの稼ぎじゃラチがあかないなと。そこで小学生の時からの趣味を仕事にできないかと考え始めます。

趣味を仕事にするために、50軒ノック

━━ どんな趣味ですか?
実は、小学生ぐらいの時から、ずっと趣味で手品をやってました。それなりに腕に自信はあったので、これで何かできないかなと考えました。テレビで、マジシャンがいるのを見て、これワンチャンあるんじゃないかなと思いましたね。大阪に「北新地」という、東京でいう銀座みたいな場所があるんですよ。裕福なビジネスマンや、綺麗なお姉さんがドレスを着て歩いてる夜の街です。そういうところだったらマジシャンがいてもおかしくないんじゃないかなと思いました。そこで、トランプを一つ持って、「マジックさせてくれませんか?」って言って、一軒一軒、ノックしました。当時は怖いもの知らずだったので、そんなこともできたんですけど、やっぱり夜の街ですから、ちょっと怖い人も出てくるんですよね。「なにしてんねん。なめてるんか?」みたいなことを言われたこともありました。

━━ 結果どうなったんですか?
50軒くらいノックしたんですけど、全然成果が出なくて門前払いでした。だけど、1軒だけ、扉に「ピアニスト募集」って書いてあったんです。ピアニストを募集しているなら、マジシャンもいけるんじゃないかって、思っちゃったんですよね。きっと、疲れてたんでしょうね。そこに「ピアニストを募集してるのであれば、マジシャンはどうですか?」って話をしたら、面白いねって興味を持ってもらえました。そして震えた手でマジックを披露して、なんと、採用していただきました。

━━ すごいですね、おめでとうございます!
ただ、高級クラブといわれるところで、お金をいただいてやるのは、趣味とは全然違っていました。うまく台詞も出てこないし、踏んだり蹴ったりで、これってすごく大変だなと感じました。ただ、好きなことでお金を稼ぐって、すごく嬉しかったんですよね。バイトを三日でクビになるような人間だったので、こういう世界もあるんだなということを知りました。お給料もよくて、お客さんからも褒めていただいて。「頑張ってるね」って言ってチップもくれるんですよ。それも、1000円や2000円とかじゃない額です。それもあって、大学生の時から色んな国に行ったりとか、お金もそれなりに溜めて下宿生活を送ることができました。そういうことをしていると、ちょっと面白いことが起こったんです。

訪れたテレビ出演のチャンス

━━ 何があったんですか?
知り合いの紹介でテレビ局から声がかかりました。「マジックがすごいって聞いたんだけど、そういうすごい学生さんが集まる番組があるので、出演してくれませんか?」って言われました。オーディション会場には、ギネス記録保持者の学生もいたり、すごい人がたくさんいました。大丈夫かなと思いつつも、渾身のマジックを披露したら、なんと合格することができました。そして、ノンスタイル石田さんの冠番組に出させていただけることになり、テレビ朝日さんにて、生放送90分の番組に出演となりました。その番組がすごく反響があったらしく、そこから2年間のレギュラー番組に出演することになったんですよね。それが大学3年生くらいの時でした。

━━ おお...。そこからマジシャンの道に進まれたのですか?
そこから、ちょっとした芸能プロダクションに所属したりもしつつ、色々なパーティーに、マジシャンとして呼んでいただくようになりました。僕が大学卒業するぐらいの時には、会社員の初任給ぐらいは、いただけるようになりました。周りは就活をしていたので、どうするか迷ったのですが、マジシャンとしての道を進むことにしました。またクビになるんじゃないかなという思いもありましたし、マジックの方が楽しいと思いましたね。結局、就職はせずに大学を卒業し、20代はいわゆるプロのマジシャンとして、ゴリゴリ活動をしてました。テレビも色々な番組に出させていただいて、海外に公演に行かせていただいたりとかもしてましたね。

━━ 今もマジシャンの活動は続けられているんですか?
今も看板を下ろした訳じゃなくて、活動時代は行っています。ただ、マジシャンを始めた当初、プロとして活動するならこういう舞台に立てたらいいなと思っていた場所がありまして...そこに28歳の時に立てたので、そのタイミングで、新しいことにチャレンジしたいなという気持ちになりました。あと、SNSでは経営者としての発信をしているので、マジシャンとしての話は出していないんです。

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『マジシャン伊藤大輔オフィシャルHP』(https://magiciandaisuke.com)

ディオールで、夢を叶えた28歳

━━ 目標としていた舞台に立てたんですね!どんな舞台ですか?
クリスチャン・ディオールのパーティに出演させていただきました。僕は、ハイソサエティやVIPの方々に、マジックをするようなスタイルを取っていて、ルイ・ヴィトンさんやディオールさんなどの上流会員さんへマジックさせていただいていました。そういう場所で、たくさんマジックができたらいいなって言っていた時に、クリスチャン・ディオールから出演のご依頼をいただくことができました。夢ノートに「クリスチャン・ディオールから依頼を受ける」って書いてあったので、とてもびっくりしました。やっぱりこういう世界に憧れがあったんです。クリスチャン・ディオールのスーツを着て、ネクタイを締めて、特別な場所でマジックをしたいというのが叶っちゃったんですよ。8年くらいマジックをしていたら、ピンポイントで叶いました。それが無事に終わったとき、たくさんの人に支えられ、長年の夢を叶えることができて、自分の中では一区切りというか、ご依頼がある限りは舞台に立ち続けていきたいという気持ちは残しつつ「新しい世界にもチャレンジしてみたい」という気持ちが大きくなりました。

民泊という、新たな挑戦

━━ 次は、どんな挑戦をされたのですか?
いわゆる民泊をはじめました。会社員として勤めていた大学の友人が退職するということで一緒にビジネスを始めることにしました。彼は語学力にも長けていて、会社員経験も積んでいたので、自分にはない強みがあったからです。今思うと、事業が成立しているのは彼のおかげだと思いますね。2人でできることが何があるかを考えた時に、このビジネスにいたりました。当時、2018年くらいの時に、日本全国もそうだったでしょうけど、大阪道頓堀に外国人が溢れてたんですよ。

━━ インバウンドって言われてましたもんね。

そうなんです。僕も友達も、ある程度英語を話せるので、観光客相手の商売してみようかという話をして、小さな宿を作りました。それが、たまたま大当たりしました。最初にかけたお金が、100万円ないくらいの本当に、小さな宿です。貯金を切り崩して行ったんですよ。そしたら、一か月で、回収しちゃうぐらいの勢いで...それくらい時代の波が来てたんですよね。1軒成功したから、2軒、3軒増やしていったらいいんじゃないかという話になって、一年でも何軒も増やしました。

当時は、Airbnbというアプリが日本に来たところで、民泊という言葉が、まだ日本にも広まってない時代でした。その時にやってたものですから、民泊スタイルの小さな宿というスタイルが認知されてなかったんです。そして、不動産会社に、大きいホテルを回して欲しいと言われて、コンサルティング案件みたいなものが受けられるようになりました。売り上げ規模も、桁が2つ、3つ変わる話だったので、個人事業で2人で適当にやってますっていうのは良くないから、会社にしましょうという話になり、法人化することになりました。順調ではありましたけど、そうこうしているうちにコロナがやってきました。

コロナ襲撃で大打撃

━━ ホテル事業は大変ですよね...?
そうですね。ホテル事業は大打撃でした。予約はほぼキャンセルで、会社が潰れちゃうのかなとか思ったくらいの状況でした。ただ実は、シェアハウス事業もやっていて、それはそこそこ上手くいっていたんです。許認可の都合で、ホテルの部屋にできなかった部屋をシェアハウスとして運営してた物件がいくつかありました。そこは、人が集まってくるし、観光客をおもてなしをするのではない、楽しみがありました。もしかしたら、シェアハウスに方向転換をしなければいけないんじゃないかと思ったので、このタイミングで一気に方向転換をしたんですよね。それが、現在のシェアハウス事業に繋がっています。

シェアハウスは女性専用

━━ 切り替えが大事なんですね...!シェアハウスは、女性専用ですよね?
そうです。最初は男女混合でやってたんですけど、恋愛トラブルが多いんですよ。テラスハウスみたいになっちゃって...幸せにカップルにならいいんですけど、そうじゃないパターンもあったりとか、他のトラブルに飛び火したりとかがあったので、女性専用にしました。結果的に、マーケティング的にも、ある程度尖らせることができたので、よかったかなと思っています。女性が好むような、インテリアのデザインにしたりとか、女性向けに発信できるというのが、結構うまくいったのっていうのが、今のところの感想です。

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(写真:女性専用シェアハウス「ジュリエット」の共用部)

━━ 男性ではなく、女性専用でされている理由はなんですか?
女性の方が、シェアハウスに住んだ人数が多いというデータがあったので、それに基づいて決めました。また、色々な事情で、低価格で住めるお家を必要とされている女性をたくさん見てきました。例えば、家族からDVを受けたり、彼氏と住んでいたけど、突然出ていけって言われてしまったりとかという感じですね。なので、そういう女性の力になりたいという意図もありました。

シェアするからこそ、豊かになれる暮らしを届けたい

━━ 今後の展望について教えてください。
事業としては、10億円規模の会社を作るというのが、目標の一つです。そのために、今は関西に集中しているシェアハウスを、全国に展開して、シェアハウスという文化を広げていきたいと思っています。会社としての理念は、Twitterのプロフィールにも書いてますけど、「世界を住みやすく」を掲げています。安いからというのではなく、シェアするからこそ、豊かになれるような暮らしを届けていきたいです。また、色々な事情で住まいに困ってる方がいらっしゃるので、ビジネスの枠の中にはなりますけど、できることをして力になりたいと考えています。

一定のラインまで考えたら、飛び込もう

━━ なかなか行動できない方へ、アドバイスをお願いします。
考えることに、時間をかけすぎないことが必要だと思います。結局、行動しないと見えてこないことも多いんですよね。夜の街をノックして歩くって、今となっては怖いし、それに関しては、もう少し考えてもよかったかなとは思います。だけど、考えても分からないラインって、どうしてもあるんですよね。そうなると、もう飛び込んでみるしかないんです。あとは、「考え方」も大事だと思っています。僕が最近思うのは、何かを話してて「これ、いいかもしれませんね」って言うと「ちょっと考えます」って、みんな言うんですよね。考えるのはいいんですけど、何を考えるのかを、あまり分かってないなと思います。あと、考えるのに時間をかけすぎだなと思います。調べれば、一瞬でわかることが多いのに。例えば、何か事業をやる場合は、調べられる範囲のことを調べて、リスクをリストアップして潰していく。そして、それでも起こる最悪の状態を想定する。あとは動いてみるだけかなと思います。


━━ 行動することで、掴めるチャンスがあるということが、とてもよくわかりました。思考と行動のバランスが大切なんですね。今日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!


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YES!シェアハウス


伊藤 大輔 氏
Daisuke Ito

合同会社IDEAL代表/株式会社BRIDGE&BROTHERS取締役/プロマジシャン
関西学院大学法学部卒業後、20代はプロマジシャンとして、企業のパーティやテレビなどで活動。現在はシェアハウス、ホテルなどを運営する会社を経営。「世界を住みやすく」を理念に様々な事業を展開している。

Twitterアカウント:https://twitter.com/DaisukeIto1989
YES!シェアハウスHP:https://yes-sharehouse.com/
マジシャン伊藤大輔オフィシャルHP:https://magiciandaisuke.com


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CREDIT

Interview & Text:Makoto Yamanaka

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