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ハタラクヒトの頭の中/INTERVIEW vol.3 石山 竜也 氏

傍楽出版(ハタラクシュッパン)の山中 真琴です。
ここでは、活き活きとハタラクヒトに色々なことをお聞きしてます。

今回は、ソフトウェア会社である、SBC株式会社 代表取締役 石山 竜也氏にお話をお伺いしました。

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自由気ままに育てられた子ども時代

━━ 石山さんは、どんなお子さんだったんですか?
わんぱくな子どもでした。結構リーダー的な存在で、近所の子たちを集めてみんなで遊んでましたね。めっちゃ元気な子でした。学校でもやんちゃな感じで、遠足に行った時に、集合時間に間に合わなくて、めちゃくちゃ怒られたのは記憶にあります。もう思い出せないけど、他にも色々なエピソードはありましたね。

両親からは「あれをやるな」「これをやるな」ということは言われなかったことはないですね。「好きなことをやりなさい」「やりたいことは自分で決めてやればいいじゃん」とそんな感じでした。勉強はあまりしてなくて、算数と理科と体育ができたくらいだったので、「勉強しろ」とは言われましたけどね(笑)そんなふうに自由に育てられた延長線上で、今があると思います。

アンテナをあらゆるところに張っていた高校時代

━━ 高校時代は、どんな風に過ごしていましたか?
バイトに明け暮れていましたね。アルバイト情報誌には載ってなかったのですが、友達が引越しのバイトを教えてくれたので、長期休暇にたくさん稼いでましたね。そして、学校終わりにカラオケとかボーリングに行って遊んでました(笑)引越しのバイトは、1軒8500円くらいで、お昼ご飯代ももらえたので、張り切ってやってました。勉強は全然していなかったので、大学には浪人していくことになりましたね。理工学部 電子情報科学科にいきました。

━━ 電子情報科学科を選ばれたのはどうしてですか?
プログラミングなど、今自分がしているソフトウェアの仕事の基本的なことが学べるところです。パソコンが普及し始めた頃で、就職する時にパソコン関係の仕事につけるからというのが大きかったです。手に職をつけるという感覚だったかな。その頃は、ちょうどホリエモンが発信されていたりとか、プログラミングがこれから伸びると言われていた時代でしたね。新築で情報科学科を作っている大学も増えてきて、将来伸びるだろうと思ったので、ここにしました。

━━ 高校生の時に、将来伸びる業界を予想するってすごいですね。
20歳の時には、将来起業しようと思っていたので、そういうアンテナは張っていました。両親や親戚など、周りが自営業の人が多かったので、子どもの時から自然とそういう思考になっていたと思います。親が自分で商売をしているのが当たり前という友達も、自然と多かったですね。あと、引越しのバイト仲間が、バンドマンや飲食店など、将来やりたいことがある方が多かったので、そこでも影響を受けたと思います。年上の方ばかりだったので、可愛がってもらって「将来なにで稼いだらいいと思いますか?」みたいなことを聞いたりして、色々なところから情報を得てましたね。

希望する会社には入れず、海外出張ばかりだった1社目

━━ 大学卒業後は、ソフトウェアの会社に就職されたんですか?
本当はソフトウェア会社に行きたかったんですけど、行けなくて...ラジエーター(車のエアコン)の生産ラインを納める会社に入りました。この会社には5年くらいいて、実は世界中を飛び回っていました。1年目は生産ラインを納めるのに、広島などの国内出張が多くて、行ったら最後帰ってこれないみたいな生活をしてました。

2〜3年目からは、東南アジアやインドなど、海外出張が多かったです。製品は現場でどうにか納めて来いというスタンスで、現場でなんとかする力がつきましたね。通訳も最初の1ヶ月しかついてもらえなくて、英語を必死になって喋ってました。インドいたときは、お客さんに休みの日に観光に連れて行ってもらったりとか、向こうで仲良くなった人と遊びに行ったりとか、周囲にあまり日本人がいなかったので、現地の方と過ごすことが多かったです。ここで、自分で動かないとダメだということを学びました。

ただ、出張ばかりでしんどいなと思ったので、転職することにしました。実は、僕が就職したときは景気が良くなかったのですが、景気も良くなってきたということで、ソフトウェア会社に転職しました。そこには、11〜12年くらいいました。

友人に触発されて、退職。そして、起業

━━ 2社目のソフトウェア会社を退職するきっかけはなんでしたか?
子どものからよく遊んでいた、幼なじみの子が歯医者さんだったのですが、その子が独立したことです。突然独立すると言い出し、最初は「わけの分からんこと言ってんなぁ」と思ってたんですけど、本当に独立したんですよね。その子の歯医者がオープンしたので、見に行って実感が湧きました。「これはやばい。僕も負けてられない」と思いました。そこから1年ちょっとで、自分も独立しましたね。

少数精鋭の部隊

━━ いよいよスタートされたんですね。どんな風に始めたんですか?
あまりお金をかけたくなかったので、最初は自宅から始めました。最初は自分のテナントを出すことも考えて見積も取ったんですけど、200万円とか300万円だったので、やめましたね。また、ソフトウェアの業種だと個人事業主という選択もあったのですが、会社じゃないと相手にしてもらえないところが多いので、最初から株式会社を作ることにしました。メインの仕事内容は、システム開発のコンサル(コンセプト・スコープ定義・業務要件定義など初期段階から関与)やPMO(品質・進捗管理)です。最初は1人で初めて、2〜3年目で増やしました。今も4人でやってていて、新卒はとらず中途の少数精鋭みたいな感じですね。独立思考がある人も多いので、辞めたかったらいつでも辞められる感じになっています。

付き合いたくない人とは、付き合わない

━━ 会社経営している中で、特に意識していることはなんですか?
嫌なことは嫌だと伝えることと、ストレスを溜めないことですね。2年目の時に、大手のお客さんとの契約になったのですが、かなり上から目線で...バッチバチにやりあって、3ヶ月くらい経った時に、もう厳しいってなりました。サラリーマンの時は、上司の言うことを聞かないと、査定やボーナスに響きますが、独立したらそういうのは関係なくなります。ただ、仕事があるかないかだけ。なので、お付き合いしたくない方と付き合わないようにして、他のところで仕事を確保できるようにしています。

案件を確保したいときは、仲良くなった方や過去の取引先に電話をしたり、HPやリスティング広告を使っています。一番お客さんになっていただくケースが多いのは、過去のお客さんやトヨタ案件ですね。トヨタ案件に関しては、直接取引ではなく1社挟んでいるのですが、これも過去の実績の評価でお仕事いただけることが多いです。

遊びの延長に仕事がある

━━ 活き活きとハタラクコツを教えてください。
好きなことをすることと、Win-Winの状態を維持することです。「継続は力なり」だけど、嫌いなことは続かないので、好きなことをする必要があると思います。嫌だと思ったら、やらないことが大事。今の仕事をしていても、先ほどの通り、円滑に進めるために言うべきことは言うし、それでも難しかったら、更新のタイミングで契約終了にしています。例えば、人格を否定したりする人とは仕事しないし、一緒に仕事をしていて楽しくない人とはやらないようにしています。サラリーマンの時は、やらされている感が自分に合わないというのをとことん感じていたのを覚えています。だから辞めたんですけどね。あとは、遊びの延長に仕事があると感じられることをするのがいいかなと思います。

ソフトウェア品質を守り、新分野に挑戦する

━━今後の展望を教えてください。
今は名古屋だけなので、東京や大阪でもお仕事していけるようになりたいです。ZoomやTeamsが使えるので、僕が行かなくても現地に任せて、何かあったらZoomを繋ぐ形でやっていきたいなと思っています。実際、ソフトウェアの案件は、リモートが増えてきているのでできそうですね。東京や大阪で一緒に協業できるところが必要になってくるので、今はアプローチ中の段階ですね。

ソフトウェア案件は、実はすごくたくさんあって、コンサルやプロジェクトマネージャーが必要とされています。実は、プログラミングやSEのお仕事はあまり単価が高くないんですね。IT業界は人手不足だと言われていますが、その中で欲しがっているのは、プロジェクトを管理できる人です。今後プログラマーは必要なくなるとも言われていますよね。コンサル・プロジェクトマネージャーは5年後10年後、すごく需要があります。なので、どんどん人を入れていって、新しい分野の案件にも挑戦できるようにしていきたいです。

━━ これからの時代に間違いなく必要な会社ですね。お話をお伺いしていて、ソフトウェア関連のコンサルタントとしてお仕事したい方は、石山社長と働けたら楽しそうだなと感じました。今日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


「SBC株式会社」についての詳細はこちらをクリック。

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石山 竜也 氏 
Tatsuya Ishiyama

SBC株式会社 代表取締役
愛知県名古屋市生まれ。外で遊ぶのが大好きで、昔からガキ大将的な存在。高校時代まで遊びを全力で楽しみ過ぎて浪人。人生賭けて勉強した「浪人時代」が今の原点。ソフトウェア開発が将来伸びると予想して、情報科学科に入学。学生時代は居酒屋でバイト三昧で生活費を稼ぐ。卒業後、ラジエーター製造会社でものづくりのイロハを学び、FA制御装置をプログラムし国内、海外出張で世界中を飛び回る。5年間勤務したのち、上場企業に中途入社。FAの知見があり、ソフトウェア開発から品質管理までを12年間実施する。将来に不安を感じていた頃、幼馴染が独立した影響を受けて、リスクを最小限に抑えたソフトウェア会社を設立。将来需要がある、コンサルタント、PMOをメインに活動中。リスクを抑えて起業すれば成功すると確信して、経験談を広めたいと思いTwitter運用を2021年1月から開始。

Twitterアカウント:https://twitter.com/SBC2021

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CREDIT
Interview & Text:Makoto Yamanaka

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