ハタラクヒトの頭の中/INTERVIEW vol.6 キムラ ミキ 氏
傍楽出版(ハタラクシュッパン)の山中 真琴です。
ここでは、活き活きとハタラクヒトに色々なことをお聞きしてます。
今回は、株式会社ラフデッサン 代表取締役である、キムラ ミキ氏にお話をお伺いしました。彼女は、就労移行支援事業所の運営、コンサルタントとして講演・執筆・ラジオのパーソナリティ、そして学習支援事業と、幅広く活動されている方です。幾度の短期退職、二度の離婚も経験されていますが、楽しく人生を切り拓かれています。今回は、彼女の大学時代まで遡って、ストーリーをお聞きしました。是非、参考にしてみてください。
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変人だと言われた大学時代
━━ 大学時代は、どういう学生だったんですか?
社会福祉学部オンリーの大学に進学したのですが、支援するお仕事や公務員だけではなく、シンクタンクなどの、コンサル的な側面でフィードバックしていく働き方もあることを知り、興味を持ちました。九分九厘の学生は社会福祉の支援職・公務員方面に進む大学なので、私の考え方やカラーは違ったと思います。実際、「ちょっと変人だね」って言われてました。その姿を見ていた教授に「自分がいろいろなことを考えるような実習をしてきたら?」と言われて、例外的な実習を提案されました。通常だったら、例えば、障害者施設など1箇所に、2週間くらい実習にいくのですが、違う体験をさせてもらいました。
━━ どんなところに行かれたんですか?
生活保護を受けて生活されている方、ヘルパーステーション、社会福祉協議会での金銭管理、路上生活者支援、訪問看護など、いろんな現場を体験させてもらいました。超豪邸街で優雅に介護サービスを受けている方もいれば、生活保護で暮らしているのに競馬で保護費を使い切ってしまう方もいて、衝撃を受けたことを思い出します。社会的弱者といわれる人の生活にも必ずお金は必要。その時に「福祉ってハートだよ」って言われるけど、お金のことをきちんと理解ができて話ができる人にならないと、将来的に支援に関わる際、不十分ではないかと考えるようになりました。
社会福祉専攻で、ファイナンシャルプランナーに
そこで、独学でお金についての書籍を購入しようと書店に行ったら、たまたまファイナンシャルプランナーの試験ポスターを見かけました。運命的な出会いを感じて、大学とダブルスクールで、ファイナンシャルプランナーの資格を取りました。福祉に携わる前に、生活に身近なお金に関する仕事での実務経験を積みたいと考えて、支援職、公務員ではなく、一般企業への就職活動を選択。外資系の生命保険会社に就職しました。
転々としていたキャリア
外資系の生命保険会社では飛び込み営業ばかり。100件回っても3人しか話せない環境。営業成績では同期の中でトップ3に入ってはいたのですが、もっと人と会いたいと思いました。人と会える営業として思いついたのがマンションの営業。外資系の生命保険会社を1年で退職した後、マンション営業も行う会社に入社。しかし、人手不足のため、急きょ不動産鑑定のアシスタントに転属となりました。学びもありましたが、思っていた仕事ができず、仕事に関係のない理不尽なことも多かったので、半年ほどで退職を選択しました。
転職先が決まっていたわけではなかったので、しばらくはフリーターをして、当時の彼氏の家で暮らしながらの就職活動。テレアポ営業の仕事をする会社に入社。後に、有名なブラック企業だったことを知りました。朝から晩まで電話をかける日々。人間関係の悪化、高い営業目標のストレスから、また半年で退職。しかし、この会社で「逆算思考」を徹底的に叩きこまれたことは、今の仕事の仕方にも大きく役立っています。
ついに希望の就職先へ
━━ その後は、どうされたんですか?
結構困ってましたね。ここ2〜3年の間で、結構転職してしまったので、なかなか面接にも至らないという状況でした。ある日、以前に登録していた派遣会社に相談してみると、紹介予定派遣の案件があると言われました。それがなんと、マンションディベロッパーにおける念願のマンション営業。すぐに仕事を始めました。面白いくらいにマンションが売れて、マンション営業は天職じゃないかと思いました。その頃、マンションディベロッパーの協力会社の方と結婚。元夫の世間体を考慮して、結婚を伏せて、後ろ髪を引かれながら退職。しかし、3年後に離婚することになりました。
離婚をきっかけに独立
━━ 離婚後のキャリアは、どうされたんですか?
離婚後、関東に残ることも考えましたが、元夫がストーカー化。危険を感じて、実家のある鳥取県に帰ることにしました。ただ、特にこんな田舎で、今までのキャリアを分かってくれる人っていないだろうなと思いました。そこで、ファイナンシャルプランナーとして、自分で事業をやっていくことにしました。関東にいる間に、帰郷後の収入を得るため、仕組みづくりを行いました。まずは初期費用のかからない保険代理店を探して登録。副業として行っていた個別学習塾の運営会社に、鳥取での開業支援を依頼。保険代理店、個別学習塾ともに、もちろん最初から仕事はないので、ゼロスタート。3か月ほどは、派遣社員として短時間勤務をしながら、ファイナンシャルプランナーとして執筆や講演、有料相談で食べていくことをぼんやり考えていました。
初の仕事依頼は、フリーペーパーから
━━ お仕事の依頼が来るようになったのは、どのタイミングなんですか?
フリーペーパーに執筆しさせていただいたのが、最初のきっかけかもしれないです。ある時、「無料にはなるけど、フリーペーパーに記事を書かないか?」と言っていただいたんですね。そして、その記事を見てくれた建設会社の人がいて、提携契約を締結。建設会社の広報誌のコラム執筆や、お客さんの資金繰り相談のお仕事をくださいました。ラジオの仕事が決まったのも大きかった。オーディションでラジオパーソナリティに採用されたことで、営業をしている中で「ラジオを聴いたよ」って言ってくださる方も増えました。そのあたりから、徐々に加速していった感じです。
━━ 最初にフリーペーパーの依頼が来たきっかけはなんですか?
つなぎの仕事を探すために、就職活動をしている中で出会った、保険代理店のオーナーが紹介してくださったんです。そのオーナーの会社での仕事することは、お断りすることになったのですが、その方と仲良くなったんですよね。そこから人を繋いでいただいた感じです。縁だなーって思います。
「親なき後」を考える
━━ どういうきっかけで、就労移行支援に興味を持たれたんですか?
「親なき後」というテーマに触れたことです。もともとは、普通のファイナンシャルプランナーとして動いてたんですよ。主に、住宅ローンや保険の話を扱ってました。ただファイナンシャルプランナーがたくさんいる中で、差別化できないなと感じてました。だけど、そのためにどうすればいいかまだ見えなかった時期に「親なき後」っていうテーマに出会ったんです。障害のある人が、親が亡くなった後も生きていくために、どんな準備が必要なの?というテーマです。これくらいのお金を残さないといけないという話もしていましたけど、それだけじゃないよなと、ふと思ったんです。結局お金があっても、使い方を知らなければ意味がないし、生活スキルがないといけないし、それを相談できる場所も知らないといけない、「親なき後」の問題って、お金だけじゃないなって感じました。
また、その障がいの種類、レベルによっては、仕事できる方もいる。仕事したいと考える方もいる。そう考えるのであれば、そのためのスキルを身に付けておかないといけない。ただ、就職するためのスキルをつけても、企業の理解がないんですっていう声がお母さん方から結構出てきていました。であれば、「私が橋渡しをしたらいいんじゃないか」と考えました。この頃の私は、ファイナンシャルプランナーとして、経営者の仲間がだいぶできていました。最初は、中高生専門の、進路を考えるための放課後デイサービスを作ろうと思っていました。しかし、色々なことが重なり、流れで、全く予想していなかった就労移行支援事業所を立ち上げることになります。
そして、就労移行支援事業所を立ち上げる
━━ 流れっていうのは、何があったんですか?
知り合いと飲みに行った時に、実はその知り合いが転職してて、就労移行支援事業所でお仕事をしていたんです。そして、そこの副社長がその飲み会に合流することに。副社長に「キムラさんがやりたいのって、放課後等デイサービスじゃなくて、就労移行支援じゃないの?」って言われたときには、何を言ってるんだこの人は!って思いました。考えたこともなかったけど、社会勉強だと思って事業所見学をさせてもらったとき、これできるかもしれんなって思っちゃったんです。しかも、具体的な物件まで頭に浮かんだんです。お金も貸してもらえる段取りもつきそうだし、スタッフも揃いそう、なんかパーツが揃ってしまった、外堀が一気に埋まっていくなという感覚を覚えました。
「福祉」とは「しあわせ」であり、全ての人に当てはまる
━━ 「福祉」って、なんだと思いますか?
実は、高校生の時に、「福祉」を国語辞典で調べたことがあるんです。そうすると「しあわせ」と書かれていました。社会福祉っていうと、どうしても狭義で、いわゆる高齢者とか障害者といった社会的弱者に限定されたサービスというイメージが強い。だけど、わたしはもっと広義で「福祉サービス=人の幸せのサポート」と、とらえたいと考えました。社会的弱者といわれる方を含め、人の生活には、必ずお金が必要になってきます。お金の根拠に裏打ちされた、その人が望む幸せを実現するためのライフプラン作りをサポートしていきたい。ファイナンシャルプランナーと社会福祉は、かけ離れたものではなく、私の中では密接に関わりあっています。
さまざまな手段で、背中を押していきたい
━━ 今後の展望を教えてください。
資格やキャリアにとらわれることなく、人の背中を押したり、サポートできる活動を続けていきたいです。障害のある子供への学習支援、就労移行支援事業、その他、様々な活動の中で、人ができることを増やしていく経過を、目の当たりにしてきたんですよ。できないことも、色々な工夫やサポートがあったり、本人の努力を重ねたりしてできるようになることも多いんです。もちろん、できないこともあります。だけど、ちょっとしたサポートや、自分の努力でできることも多いから、その勇気をもってもらいたい。その一歩を、背中をポンって押してあげる人でありたいとおもいます。それを具体化したものの一つが、就労移行支援事業所です。今は鳥取県の米子でしかやっていませんが、必要としている人はいると思うので、もっとたくさん展開していきたいと思っています。また、就労移行支援事業所だけではなく、様々な媒体で、背中を押す発信や取り組みにチャレンジしていきたいと考えています。
━━ 大学時代に専攻されていた福祉が、独立後に繋がってくるというのが、印象的でした。自分で道を切り拓いていく大切さを、改めて学ばせていただきました。今日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!
キムラ社長が運営している、就労移行支援事業所は、こちらです。
キムラ ミキ 氏
Miki Kimura
株式会社ラフデッサン 代表取締役
1977年生まれ。鳥取県在住。日本社会事業大学卒業後、生命保険会社を経て、マンションディベロッパー、不動産仲介業の営業を経験。現在は株式会社ラフデッサンを運営し、就労移行支援事業を行っている。また、ファイナンシャルプランナーとして、ウェブサイトなどへの執筆業務、セミナー講師、ライフプラン相談など多方面で活動。BSS山陰放送ラジオパーソナリティもしている。
Twitterアカウント:https://twitter.com/miki_tsuyomi
CREDIT
Interview & Text:Makoto Yamanaka
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