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ありがとう、は冷めないうちに

新入社員の頃、先輩に言われた
「お給料の半分は人間関係ご苦労様なんですよ」
これは事実だと思う。

給料や残業の過多よりも、上司と折り合いがつかない
社内で浮いてしまっている、などなど
人間関係をベースにした退職理由が多い。
一生を預ける会社での人間関係がうまくいかないと
確かに精神的にキツイものがあるよね。

私が就職氷河期にやっと正社員で入社できた会社を
一年で辞めたのも人間関係が原因だった。

会社だけでなく学校が楽しいか楽しくないかも人間関係に左右される。
誰にも関わらずに生きて行けるなどあり得ないから
人間関係から逃れるなんて不可能だ。

幼少期からあまり人と喋らなかった私は人間関係にとても苦労した。
でも、中学校のときの友だちとは
卒業して30年以上経った今もずっと続いている。

何かで「中学校の友だちは一生の友だち」と目にした事がある。

いつのときの友だちを一生の友だちと呼ぶのか
人それぞれだろうけれど、私は中学校のときだ。

あの時が人生の中でいちばん飾らない素の自分で居られたと思うから。

小学校のとき、上級生のお姉さんに
〇〇ちゃん、遊ぼうと言っても許されたのに中学入学すると
〇〇先輩と呼ばなくてはならないことにとても違和感を覚えた。

たかが1.2年早く生まれただけなのに・・・
それに、先輩後輩という呼び方に
どことなく田舎臭いヤンキー臭を感じていた。

中学は全員が強制的に部活動に参加しなくてはならない。
友だちと一緒だからという理由でバレー部に入部した。
私はスポーツに全く興味が無くおまけに運動音痴。
部活の上下関係も面倒臭い。
案の定、休みがちになり、入部一か月で行かなくなった。

2年生のとき美術部が新設され、そこに入部した。
淡い色彩で描く水彩画を描くことが好きだったから。
でも、実際に描いていたのは、血の涙を流すマリア像的な・・
そう、完全に中二病を炸裂させたような絵だった。

「なぎちゃんて、大人しいのになかなか激しい絵を描くのね」

そんな先生や友だちの言葉が嬉しかった。

同じクラスの美術部の子と仲良くなったのも2年生のときだった。
絵を描きながら、ふたりで好きな絵はもちろん
好きな音楽や本や将来のことなど色んなことを話していた。

夏休み明けに卒部してからは
クラスの仲が良い友だち5人と放課後の教室に
先生に、もう帰りなさい!と言われるまでずっと残ってお喋りしていた。
田舎だと、遊ぶところがないからね。

何に笑い転げたり、何に腹を立てたり、何に涙したのか
今となっては思い出せないことがほとんどだけど
あの頃がいちばん楽しかったなぁ。
私にとって一生の友だちは中学時代の友だち。

2011年の震災以降、5人とも遠く離れ離れになってしまって
今はなかなか会うことも難しくなった。
5年後とか10年後に
5人みんなで集まって同窓会ができたら素敵じゃない?
そんなことを考えてみたりしている。

昔を思い出して、心に浮かんだことを取り留めも無く書いていたら
私、やっぱり、場面寡黙症なんかじゃないね。

話せないのではなくて
話す前にちょっと考え込んでしまって、話し始めるのが遅かったり
要するに、よく言えばのんびり屋、悪く言えばトロいだけ。

マイペースな私を許してくれて、友だちで居てくれて、ありがとう。
こんなこと、面と向かって言ったことないよ、恥ずかしいし・・・

でも、今度、会えた時はちゃんと言葉にして伝えよう。
「友だちでいてくれて、ありがとう」って。

そう、言葉にして伝えることが大切なんだ。

家族や仕事や友だちはまるで自分の持ち物のように
ずっと当たり前にそこにあるものだと勘違いしていた。
きちんと感謝をつたえなければ、足元から崩れ去ってしまう。
そうなる前に、きちんと伝えなきゃ、伝えなきゃ。。。












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