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日本近代文学館「プロレタリア文化運動の光芒」展感想

2023年11月3日 日本近代文学館「プロレタリア文化運動の光芒」展に講演会併せで行ってきました。

最寄駅。京王井の頭線で渋谷から5分。

濃かったです。どの展示ケースも有名どころが並んでいて、それほど広くない文学館展示室を廻るのに、正直、2時間では足りませんでした。

https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/14339/

公式ページの文字数も多くて、事前に目を通すだけで熱量がすごい。

「第一部 第一次世界大戦前後」

 展示は全四部で構成されていました。
 入口にまず堺利彦と幸徳秋水の「共産党宣言」二ヶ国語掛け軸がドーンとある。「共産党」。日本のプロレタリア文学が、共産思想に強く結びついてる側面を象徴するような冒頭の2品。
 で。
 それはそれでインパクトあるのですが、この掛け軸を書いた二人が、どんな経歴でどんな立ち位置だったか?、とか、…ない。大逆事件とか萬朝報とか、初めて日本でこの思想を翻訳したのがこの二人だったとか、うっすら把握はしていますけれども。
 個人的にはもうちょっと説明欲しかったです。軸の説明だけ。
 展示コンセプトとして、日本のプロレタリア文化活動の、”大きな思想の流れを展示していく”という趣きだったので、個別の用語説明がない、のもなんとなくはわかるんですけど、インパクトある資料を原液そのままお出ししました、という感じで「観に来る人はプロレタリア文化運動の大まかな流れや関係者は頭に入っているよね☆」という感じで、いや、うん。
 うん。正直いきなり、少し敷居の高さを感じてしまったり。

 ただ展示を食い入るように観ている人たちも多く、つまり最初からわりと玄人向けなんだろうかなと。
 そんな中で、入口近くの壁に大きく掲示された、世界情勢とプロレタリア文化運動とを突き合わせた年表は良かったです。(いやでもこれも、欲を言えば、展示と連携させるような番号をふる、など今一歩欲しかったなあ。)

 その年表、一行目が「石川啄木 没」から始まっているのは象徴的でした。
 石川啄木とプロレタリアといえば、先日、ころがろう書店さん

のおまかせ定期便で選書して頂いた本が、ちょうど啄木の評論集

だったのですが、歌人として著名な彼の思想方面をピックアップした1冊で、こんなに色々書いてたんだ、と見る目が改まる内容でした。ナイスタイミング。
 ちなみにこの本、解説が松田道雄さん。同じ岩波文庫から出ている、私の最推し「中野重治詩集」の解説と同じ人でした。この頃の知識人、一度は左の道を通っている印象ある。

 掛け軸の次に目に留まった展示は、森鴎外訳「未来主義の宣言十一箇条」という、彼の晩年の著作というか海外トピックの翻訳群『椋鳥通信』からの抜粋。
 未来派は、「1910年代イタリアに起った文学と芸術の革新運動。(コトバンクより)」速度、機械、都市といった近代文明を賛美し過去を破壊する、その後ダダイズムに連なる芸術運動ということで、展示の始めに据えられているのかなと。さすが晩年まで最先端の思想に目配りしている森鴎外だなと思いました。

 合わせて劇作家、村山知義と籌子夫妻の写真。
 籌子さんのお名前は、中野重治や小林多喜二の書簡集で、獄中のやり取りが頻繁にあった印象があり。ああこういうお二方だったのかと。モダンな雰囲気のご夫婦でした。

プロレタリア文学のはじまり

 そして展示ケースを移動し、プロレタリア文学の始まりに位置付けられることの多い雑誌『種蒔く人』の、東京版創刊号! おお、これが実物。
この雑誌の執筆家には有島武郎、小川未明が入っているそうで(会場キャプションにはなかったですが、予習で読んでいた本にそうあったので)特に有島氏は、自分が書かない時も雑誌発行資金を編集担当の山田清三郎に百円単位で援助してくれていたそう。
 その横には、幸徳秋水から堺利彦、有島武郎に譲られ、最後は有島生馬が所蔵していた英訳版の「資本論」。合わせて、日本語版の二種の「資本論」。高畠素之訳と生田長江訳がそれぞれ並べてありました。各人の思い入れが詰まった墨痕黒々と残る書き込みの残る見返しを開いて展示されており、物が持つ迫力がありました。

 で、天井からのライトに照らされたケースに、プロレタリア文学の檜舞台、雑誌『戦旗』28年5月の創刊号。と、30年4月の号が展示されていました。
 びっくりしたのですが、とても状態が良かったです。時代と背景からさぞボロボロになっていると想像していましたが、復刻版かと見まごうきれいさでした。当時の情勢、持っているだけで官憲に目を付けられかねない環境で、どんな思いでこれを保存していたのだろうと思いました。

 と、併せて『文藝戦線』創刊号も展示されており。
「いやこれ『戦旗』と隣で並べるの?」て内心でわーってなった。しかも横で開いてあったページ、青野李吉の「自然生長と目的意識」。これ分裂のきっかけになった論では。

この辺り、流れとして
(1)「文藝戦線」という雑誌にプロレタリア文学者達が思想問わず集結
(2)マルクス主義が流入してきて反発した者(労農派)が多数脱退、「文藝戦線」も彼らが持っていく。
(3)残った者が「プロレタリア芸術」という雑誌を興す(プロ芸)
(4)3.15の弾圧をきっかけに労農派から更に分裂した前衛派と、プロ芸のマルクス主義者達が合流してナップとなり、雑誌「戦旗」を作る

…という紆余曲折があったわけなんですよね。数年の間で。
図にすると、↓こんな。ような。

昔自分で理解するために作った図

 その発端である2誌。なんですよなこれ。さらっと並べられてましたが、一つのケースでそこを!並べるのか!
 このケースの中にドラマが詰まってる。濃いなと思いました。
 あ、30年4月の戦旗は表紙画にグラデーションが使われていてとてもきれいでした。プロレタリアの絵といえば、赤と黒の角ばった記号的な人物や背景画のイメージありましたが、戦旗、一番勢いがある頃はデザインも洗練されていたのですね。とても目を惹く表紙でした。

プロレタリア文学の花形 ”小説”

 そこからプロレタリア文学のうち小説のコーナーへ。
 葉山芳樹の「獄中記」「淫売婦」と本人の手による獄中ノート。小林多喜二「蟹工船」中野重治の「鉄の話」、佐多稲子「キャラメル工場から」や徳永直「太陽のない街」初出の雑誌。プロレタリア文学の代表作家の展示品が目白押しでした。
 「太陽〜」は翌年にはもう発売されていたドイツ語訳版も隣に展示されていて、いかに早く彼らの作品が世界に展開したかが迫ってくる感じでした。
 また「蟹工船」は、小樽の頃からの友人大月源二による挿絵がついた状態での展示。雑誌の実物を見て実感しましたが、挿絵大事ですね!圧倒的にわかりやすい。特に普段文章を読み慣れていない人々に、積極的にアプローチするなら尚更見たこともない状況を想像するのはどうしても難しいところを、ページの半分くらい入ってくる見やすい挿絵が助けている感じでした。

 この辺りからキャプションに作家紹介文も入ってきました。小林多喜二は肖像写真に「徳永直が労働者グループのところに彼を連れて行ったところ、ちょっと席を離れて戻ってくるともう人々と打ち解けていて、女性はショールを口元に当てて笑っていた」という説明がついてて。なんとも彼らしい逸話!
 小林多喜二の原稿の字は、今回初めて見ましたが、とてもきれいで丁寧に書かれている印象を受けました。遺品のコート。とても状態が良くて、あたたかそうで。おそらくご遺族の方が保存していたのであろう思いにしんみりとさせられたり。

 また、壁面にはプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)の映画および記録映像が三本、繰り返しずっと上映されていました。
 そのうち一つは工場移転に伴うであろう首切りに反発し「移転反対」と集まる様子を短い映画に仕立てたもの。
「このままだと何が起きるか」「どうすべきか」をこうやって各地で上映して説明、煽動していったのだなという映画でした。実物こういうものだったのか、と。貴重な映像を見ることができました。

外地との関わり

 続いて、切り口が面白いなと思ったのが、「植民地・内国植民地問題」というコーナー。
 当時のプロレタリア文学のうち植民地の問題を取り扱った作家と作品、という視点で、中野さんの「雨の降る品川駅」初出の版はここで紹介されていました。
他、黒島伝治の「武装せる市街」、平林たい子「施療室にて」。確かにどれも大陸が舞台だ。こういう補助線は切り口として上手いなと思いました。
また、ここで同伴者作家(積極的にプロレタリア運動に参加したわけではないが理解を示す立場を取った)として、広津和郎の作品「さまよへる琉球人」が紹介。
 広津和郎とプロ文、といえば、徳永直が「太陽のない街」の絶版を決意する前に相談しに行った相手である、というのをまず思い出します。戦時に中野重治と玉電(現在の世田谷線)内で出会った時の思い出を書いていたりと、豪徳寺界隈のご近所さんでもありましたね。

 また「プロレタリア文化運動の世界的連動」コーナーでは、ウクライナのハリコフ(現ハルキウ)で開かれた国際革命作家同盟に出席した勝本清一郎と藤森成吉の旅立ちの写真が掲示されていました。このハリコフ会議で、ナップが正統な日本におけるソビエトの系譜だと認められた、という感じで認識しています。
 この頃って、官憲に目をつけられていても外国行けたの?て思ったけど、年表を見たら1930年なので、まだ本格的に厳しくなる前、一番プロレタリア文学に勢いがある頃ですかね。
 勝本勝一郎は、ナップの初代委員長で、小林多喜二の原稿を戦時中に銀行の貸金庫に入れて官憲の目から守った人物。
 藤森成吉は、細井和喜蔵「女工哀史」を雑誌『改造』へ斡旋した人物。
 他にも色々とご活躍されていたのだろうけど、私はプロ文方面で主に認識している人々なので、そんな感じで展示は流し見。

プロレタリア文化活動の終わり

 そして展示はここから彼等の退却に。
 小林多喜二、貴司山治、中野重治の獄中からの書簡は、今より一回り小さな封緘葉書に書かれており、どれも米粒のような文字で隙間なく埋められていました。
 唯一の外部のやり取りの手段であり、書くことのできる紙、と思うと、一つ一つが小さな作品のようなものとも言えるなあ、とびっしりと埋まった紙面を見て思いました。貴司以外の書簡は翻刻されて書籍化されていますが、小さな紙に文字が詰め込まれた実物を見ると、また印象が改まりました。こんなに小さかったんだ…

 なお展示図録には翻刻文までは収録されていないのですが、小林多喜二の書簡は、岩波文庫「小林多喜二の手紙」のNo.100、127の鹿地亘宛2通。

 中野重治の書簡は、「中野重治書簡集」のNo.22徳永直宛、28黒島伝治宛の各1通。

で読めます。各本で内容確認できました。

 また世間の空気との対比として、1928年という同じ年にあった二つの出来事、治安維持法制定の公文書と、御大典の華々しいアサヒグラフの幾つもの写真記事が並べてありました。官製の派手なお祝いには、裏で何か進みがち。並べられると、この二つが同時期だったんだな、と改めて別の視点が得られました。

転向とその後の作品について

 そして1933年、共産党の指導者であった佐野学・鍋山貞親の二人が転向声明を出したのを皮切りに、雪崩をうったように転向者が増えたとされています。プロレタリア文化活動も、相次ぐ弾圧により人員を失い、各団体が相次いで活動停止状態となりました。
 という時期の展示。

 ここで。ここで最推し、中野重治の人物紹介キャプションが入ってきました。ここでー?!ってなっちゃった。やはり彼は研究される時には、プロレタリア文学はなやかな時代に活動していた時よりも、転向後の方に注目される男なのか……。
 いや、 DMMゲーム「文豪とアルケミスト」から彼を知った身としては、あーやっぱりそうなのね、というのと、複雑な思いと半々。
 中野重治の転向小説の白眉とされる「村の家」をはじめ、第一部で夫婦揃って写真があった村山の転向小説「白夜」、林房雄「青年」など、どれも初出雑誌が並んでいました。聞いたことあるタイトルばかりー。
 へえそうなんだ、となったのはこの時期に「シェストフ論争」が流行ったというあたり。小林秀雄、三木清の名前が出てきて、確かにこの二人の評論にこのシェストフという名前が出てきてた記憶はあるけど、時期が同じだった、とまでは知らず。そういう”流行り”があったんだ、というのはここで初めて知りました。

その他

 展示全体を見ていて、事前には意識していなかった二人の名前が印象に残りました。

1.稲垣達郎
 稲垣達郎文庫強いな!というのが展示見終わっての印象でした。
 いや展示品リストを見ると、特に主要な雑誌関係は、ほぼ彼の旧蔵(稲垣達郎文庫)だったのですよね。日本近代文学館さん所蔵プロレタリア文化関係資料、これが一つの肝ということなんですかね。
 さすが日本近代文学館の設立にあたり、高見順、川端康成とを表に立てつつ奔走した方。のち理事の一人になった方、稲垣氏。
 近代文学についての資料を今のうちに収集しておかなければ、という研究者の危機感から、上野の旧帝国図書館内に蔵書の置き場を間借りしていた時代、駒場に現在の近代文学館が据えられるまでの経緯については、彼の随筆「角鹿の蟹」を読むとなんとなく一端が見えてきます。以前読んだけど面白かった。

2.貴司山治
 展示されていた写真。ほぼ貴司山治撮影。
 会場でずっと流れていた当時の記録映像も彼が撮影したもの。小林多喜二の遺体を取り囲んだ皆が見下ろしているあの写真や、ナップ創立大会まで、キャプション見ると大体彼でした。
 

 というわけで後半時間が足りなくなり駆け足で回りましたが、大変ボリュームある展示でした。本当、記録を残すこと、残して伝えてくれる人がいる大切さがよくわかります。特に、写真や映像を撮ったり、プロレタリア文学者たちの原稿を戦後まで守ったりと、居てくれてありがとう貴司山治。

 冒頭で、敷居高くない?とは書きましたが、そもそもがごく短期間に怒涛の栄枯盛衰のあった分野、且つ「何故そうしたのか」「どうしてこうなったのか」と現代に問うてくる題材なので、見る人に手放しでぼうっと見ることを許さない重いものなんですよね。どうしたってそうなる、とも思い直したり。

 展示期間終了前に、図録の方が先に完売していた、というのが、見にきた人、来られなかった人共に、この展示から持ち帰りたい何かがあるんだなという関心の種類が垣間見える気がしました。

 おしまい。

※ 講演会の内容は別noteにまとめました。


図録と出品資料一覧。と中野さんの詩集。

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