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講演会「美術と運動ープロレタリア美術運動再考ー」聴講メモ

駒場にある日本近代文学館で、2023年秋現在
「プロレタリア文化運動の光芒」展が行われています。
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/cat-exh_current/14339/

本展の内容については、こちらの新聞記事が非常によくまとまっています。私も事前に参考にさせていただきました。


その記念講演会として「美術と運動ープロレタリア美術運動再考ー」
講師:五十殿利治(筑波大学名誉教授)
が2023年11月3日に開催されたので、聴講してきました。その際のメモです。

なお、書き手はプロレタリア文学に興味のある素人です。会場に行く前にこのあたりをなんとか読んでいきました。
山田清三郎『プロレタリア文化の青春像』 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=447950840


会場の様子

70席ほどの講堂はほぼ満席でした。年配の方が6割ほどを占めて、他、壮年の研究者、学生とみられる若い方々、という印象でした。

講演前に、今回の展示編集委員のお一人、林先生による挨拶と講師の紹介がありました。
今回のプロレタリア文化運動の展示のうち、未来派、ダダイズム、MAVOなどの表現主義に焦点を当てた展示については、ほぼ五十殿先生の著書を参考にしているとのことでした。

講演内容

五十殿先生、「やばいところから始めようかな」という一言で始まり、会場の笑いを誘っていました。
はじめにロシア・アヴァンギャルドの方面で2020年に開催された「オリジナルかフェイクか」という、館の収蔵品の真贋を検証する展示を紹介。
美術は残された作品ありきで、「”物”の歴史である」との前置きから。

プロレタリア美術運動の特質について

以下の特徴を持つ、と述べられました。
1・組織性
 :社会変革の目的を持って組織化されていた運動であった。(これはプロレタリア文学運動にも言えることかなと思います。)
2・目的芸術
 :受容者が特定(プロレタリア(労働者)向け、ということ)されており、そのため印刷や版画、ポスターといったビジュアル面のインパクトが強いものが多く用いられた。柳瀬正夢の発言として「いつの場合もエフェクト(効果)を考えてみる。模倣、未来派、浪漫派、なんでもいい。今のところ漫画が一番いい」とある。
3・ジャンル横断の活動
 :背景として、プロレタリア文化運動の各団体(作家同盟/美術同盟/映画、写真、音楽)が上落合という土地にほぼ集合しており(「落合ソヴィエト」と呼ばれていた)近場で声をかけやすかった、というのがある。プロレタリア文化運動の移動展示があると、互いに各部門で協力した。

プロレタリア美術移動展について

 1928〜1933年、各地方でプロレタリア美術展が開催された。京都・大阪移動展など。
「戦旗」29年11月号などに特集記事がある。新潟では会場として小学校を借り、2クラスほどに展示。160名程の来場者があった。
 1900年代から全国で水彩画運動があり、「小学校を会場にして展覧会をする」という一つのモデルパターンがあった。
 展示方法は壁面や棚にぎゅうぎゅうに作品を並べていた。「集密展示」という(ドンキやヴィレヴァンの店内のようなあれ)。

扇動宣伝と展示手段

当時、モスクワでは電車の車体や道の壁に大きく宣伝画を展示する手法があった。宣伝列車。
 この時期にソ連を訪れ、日本に紹介した美術関係者の紹介。
  矢部友衛/大平韋(あきら)/蔵原惟人/寺島貞志
彼らが紹介したのはアフルル(革命ロシア美術家協会)、プイチオ、マコーウィッツ、オスト(OST)など。 

「プロレタリア美術大展覧会」の展開

 プロレタリアの展示、というと取締りのイメージが強いが、第1、2回の開催は東京都美術館(=ちゃんとした美術館会場)で行われた。
第3回の会場は日本美術協会で、木造建築内に仮設で行われた。4、5回は東京自治会館が会場となり、回を追うにつれて環境が悪くなっていった。
中でも最も華やかだったのが、第2回プロレタリア美術大展覧会。岡本唐貴によるポスターによると1929年12月1〜15日。
 各展示は労働者の闘争が中心の内容。うち、橋本錦永の「黎明」という作品は千号もあろうという大作であった。作品、油彩は現在エルミタージュ美術館に収蔵とのこと。


最後に、プロレタリア美術運動において風刺画、ポスターなどで活躍した柳瀬正夢と佐多稲子の交流について紹介されて終わりました(書簡2通の資料コピー配布)。


【質疑応答】

講演後、15分ほど質疑応答の時間が取られました。

Q1.コミンテルンや共産党の影響に触れなかったのは何故ですか?
→A.先行研究がない。自分もそういった方面の視点を持つこと、研究を正直に言えば怠ってきた。
 対外文化協会のアルヒーフ(?)をもとにした本でやっているので、そこと党の関係性を研究したものはまだない。
私見だが、画家たちは展示に画業に活動にと忙しい中で、思想方面にそもそも関心があったかどうか?薄かったのではないかと思っている。

Q2.組織ではなく個人で活動していた人はプロレタリア美術運動というのはあったか? 例えば現代でいうバンクシーのような。
→A.そういった人たちがいたとして、プロレタリアと名乗っていたかどうか。そもそも活動は孤立して出来ない。当時は発表する場所がない。今のように個人のままで社会に訴える手段がなかった。

Q3.プロレタリア美術展の地方展が小学校で展示されていたのは当時の水彩画運動に便乗していたとみられる、とあったが、つまり全国の美術教師にネットワークおよび思想的な共感があったということか?
→A.そのまま乗っていたとは思わない。ずっと乗っていられたわけでもないだろう。一時的なものだったのではないか。

Q4.最初に紹介されたロシア・アヴァンギャルドの展示についてもう少し詳しく聞きたい。
→A.自分も今回の発表近くになって知った展示であり、あまり詳しくは知らない。ただ該当の展示は現在いくつかサイト確認出来なくなっており、訴訟中とみられる。美術館に収蔵されているというのはそれだけで本物であるという一つの保証のようなものなので、フェイクと暴くのは訴訟と隣り合わせ。
また、アヴァンギャルド美術でロシアへ寄贈を検討しているが現在の国際情勢から見合わせている件を知っている。
平和でなければ学問はできない、と実感している。

Q5.プロレタリア美術の中で漫画という手段が高く評価されていたが、アニメーションはどうか?
→A.アニメーションは当時今以上に金も手間もかかり、プロレタリア文化運動の手段にはなっていなかった。
ただ村山知義は「三匹の子豚」というアニメーションを制作している。また柳瀬正夢はミッキーマウスのノートを使っていた。※ただミッキーマウスというキャラクター自体はどちらかというと右派なので、風俗的に見ていただ毛ではないかと推察される。

Q6 美術家たちは転向とどのように向き合ったのか
→A.アメリカに渡った人もあり、全体的にどう、とは言えない。敢えて言うと「原点に帰った」ではないか。セザンヌ、農村、自分たちの足元の風景を描く方向。


個人感想

「学会発表かな???」

いや、聞き取りやすいテンポでわかりやすくお話し頂いているのは察せられたのですが、流れていくスライドとトークに専門用語、固有名詞が多く、メモで単語を拾うので精一杯でした。
 特徴説明を聞いていて、「漫画」が最も効果的という評価になっていたのにまず驚きました。この時代で既にそういった認識がされていたのですね。
今でも漫画は、各方面の広報に活用されていますし。紙とペンで作り出せて、広く解りやすくアプローチする手段として強いのは確かだなと。

 また最後の質疑応答で、最初に思想方面の取り上げについていきなりぶっ込んだ質問が来たのには聞いててびっくりしました。でも真正面から気持ちいいツッコミでもありましたね。日本のプロレタリア文化運動は(特に小説方面)は思想統制が強く、党と表裏関係に近い時期もあったという認識なので。
 それに対して先生が真摯に答えておられたのも、印象深かったです。

 会場は皆正面を向いて、ノートを取る人も多く、熱気に溢れていました。映像紹介も多く、当時の日本のプロレタリア美術作品がエルミタージュに収蔵されているものもある、という辺りでは、行くところへ行ったのだな、となんとなく思ったり。

 なかなか全体は咀嚼しきれていませんが、濃い展示及び講演会でした。

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