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新たな春の企み

1年前、ある企みが私の中に生まれてしまった。
去年の春には、その企みを決行しようと密かに目論んでいたが、コロナで何となく流れてしまった。わざわざ「密かに」とわざと意図的に書いたのは、それを実行してしまうと、ハーブ系に続き、私は二度目の浮気をしてしまうことになるからだ。多肉植物だけを愛してやまないつもりだが、この好奇心は抑えれらない…。いや、今回は好奇心だけではない。リベンジしたいという気持ちもあるのだ。そう、私は過去に一度そいつを枯らしてしまっているのだ。

事の発端は、NHKの『趣味の園芸』だった。
いつ多肉特集が放送されても良いように、NHKの『趣味の園芸』を毎週録画している。そして折角撮ったからと、大して興味がない植物だろうが一通り見ている。興味がないといいながら、多肉植物とは違う植物を観るのは意外と面白く、また驚きも多いのだ。
例えば、菊。
奥深い花と理解はしているが、聡明さと無縁な私にとって、全く興味がない植物である。しかし江戸時代の人々は菊をこよなく愛していた。その愛の結晶の一つが「百種接分菊」だ。なんと一つの幹に、百種類の菊を接木し、一斉に花を咲かせる匠の技なのだ。繋ぎたい枝に切込みを入れ、一つ一つ接ぐ作業は、大変根気がいる作業だ。愛だけではない、知恵と根気まで必要だ。
江戸の人々の菊への愛は、私の多肉愛より深そうだ。
いや、深そうではなく、間違いなく深いのだ。
なぜなら私は、これから浮気をしようとしている、不届き者なのだ。その時点で、江戸の人々に完全に負けているのだ。それでも、好奇心を抑える事は出来ない自分がいるのだ。

それほどまでに、私が春から育てたいと熱望している植物は、エアープランツだ。先にも書いたが、エアープランツは一度だけ買ったことがある。土が要らないのなら、大して水も要らないだろうと、勝手に判断し放置していた。時折スプレーで水をかける程度だった。
それでも、しばらくは変化もなく元気だったと思う。しかし真夏のある日、ふと見ると奴は枯れていたのだ。炎天下にやられたのだろうと思った。
多肉たちも真夏の炎天下でやられている最中なのだ。エアープランツも同じだと判断した。しかし、それは全く違ったのだ。

エアプランツの故郷は、南アメリカの霧深い森林。地上10mほどの木の枝に自生している。そして、常に葉には水滴がついて濡れた状態なのだ。土がない代わりに空気中の水分が非常に多い。しかも地上10mは風通しがとても良い。木陰で太陽光は木漏れ日程度。さらに鳥のフンや枯葉などがエアープランツの広がった葉にかかる。これが肥料となるらしい。

私はエアプランツのことを全く知らなかったのだ。
知りもせず、自分の思い込みだけで育てていた。ハーブ同様、エアープランツも多肉と同じ扱いをした挙句、枯らしてしまったのだ。

しかし、どうしても春から育てたい理由は、自責の念だけではない。
育て方次第では、エアープランツの花を咲かせたり、巨大化することが出来るらしいのだ。しかもたった一年で。これは試してみたくなるではないか。野球ボールの大きさが、1年後にはバレーボールなんて夢みたいだ。今年の春にハーブで失敗したが、今回はこれだけ知識はあるのだ。

あとは、江戸時代の人々のような植物への愛情と根気が、私にあるかどうかが問われるだけだ。