閉鎖病棟日記「疲れて死にたいけどいい日」

 今日も相変わらず疲れている。主治医にひどい疲労感と断眠を訴え、話を聞いているのだかわからない態度で接される。まあいいや。僕の憂鬱が誰かに伝わるとも思えない。なぜこんな文章を書いているのかもよくわからない。

 今日はスーパーに行き、粉コーヒーとゼロカロリーコーラを買う。ようやく地理感覚が掴めてきたが、何をするにも疲れる。その糖分やらが入っているのかよくわからないゼロカロリーコーラを飲み、配食は食欲が湧かずにサラダばかり食べている。
 こんなユリシーズ以下の行動の記録が果たして何の意味があるのかよくわからない。死にたくて仕方がないけれど、死にたいなんて言ったら隔離される。なんでも言っていい場所ではないのだ。
 カウンセラーとも話す。カウンセリングの日程についてで、深く話せない。ただ、この人が僕を救ってくれるとは到底思えない。でも、なんでも言っていいのはこの場所だけだ。だから通う。

 新しく入院した中学生女子の患者がいる。彼女は数日間ここで人を見て何も喋らずにただ突っ立っていたのだが、高校生男子が話しかけたのをきっかけによく話すようになった。高校生男子は「最年少脱出だ」と喜んだ。僕はずっと最年少でいたいよ。
 高校生男子は僕を見かけると笑顔で大袈裟に手を振ってくる。僕はそれにどうすることもできず、作り笑いをする。でもその作り笑いがマスクのせいでうまく伝わってないかもしれない。

 中学生女子はあの甲高く、一部の人だけを興奮させるあの声をしていて、とかくキィキィうるさい。だが、その甲高さは病的なものではない。君がそのまま声が低く落ち着いた声色になることを祈るよ。でも君は多分そうならないだろう。手首の傷と縫合糸の数を誇っているうちはね。
 まあ、僕だってそうなのだ。病人1Aだったのかもしれない。僕はもう年老いて、脂肪まで手首を切ることもできなくなったよ。薬だってもうあまり飲めないよ。そのくせいつだって死にたいよ。キィキィ騒げないよ。まあそれは声変わりしてからいつも無理だが。

 明日は女性ホルモンを打ちに行く。それもまあ疲れるだろうけど、人に気を使う疲れじゃないだけマシだろう。病院に入って人と関わる度に自分がトランスジェンダーだということに驚く。そういえばそうだった。社会がなければ社会適性規範なんてない。僕はただの汚い男の大人で、明後日にはエクステをつけに行くけど、それもうまくいくかどうかはわからない。

 疲れて篭る病室は寒い。ヒートテックを必要な分持って来なかったからかもしれない。コーヒーの飲み過ぎで軟便が出る。風呂に入れば少しは痩せた気がする。僕はこの胸もなければ腹もない、くびれもない自分の裸が好きだ。見たことはないけど幼い女子もそうだと思うから。それにしてはタトゥーが入りすぎているけど。
 病室までキィキィ声は聞こえる。嫌になるなあ。嫌いではないけど、辛い。中学生女子は高校生男子とばかり話すが、まあ、十五だか十三の子供にとって二十八なんて敵だ。僕はジェネレーションギャップや昔話をして笑いをとる。こうしておじさんはできていく。仕方ない。自分でおじさんを受け入れる為の手段なのだ。それでいくら嫌われようと。
 音ゲーをカシャカシャやってる二人を見る。見る人は僕含め三人くらいいる。喋ることはない。テンションが上がった二人とそれについていけないが寂しいからとそこにいる三人。なんとか茶々を入れるけれど、二人はゲームの画面に夢中だ。

 それから担当の看護師と初めて会う。個室で面会のような問診のようなものをする。「下痢はしますか?」「食事は自分で準備できますか?」などの質問に健康に答える度にこの人が僕に思っている憂鬱が目減りしていく気がする。なぜかこの人にだけは本当のことを言おうと思って、「死にたくて仕方がないんです」と言った。看護師は即妙な顔をして頷いた。嬉しかった。あの顔はあの時彼女ができる表情の中で最も僕に優しい表情だった。鬱に入った要因や環境などにとても憐憫してくれて、僕は泣きそうになった。この人は僕を分析しないでいてくれる。それだけで僕は嬉しかった。泣きたかったけど涙が出る教育は受けてないから出なかった。そして僕がよく言われる、「文章を書いたらいいのに」との言葉も出た。書いてるけど、病院のことを書いてるからこの人には見せられない。この人はきっと僕の文章を読む時に嫌な顔をしないだろうと思った。それは僕を受け入れてくれることと同義だった。あと音楽も聴いてほしい。でもそこまでは高望みかもしれない。
 バーに行けばそんなこと簡単にしてくれる人沢山いるのにね。ここではみんなが自分の話をするのに必死で、僕もまあ、似たようなものか同じだ。声に出すか文章にするかだけの違いで。

 面会室のような場所から看護師と二人で出ると、高校生男子がにこやかに大袈裟に手を振ってくれた。気づかなかったけれど、この子は容姿がいいなと思った。

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