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「東京タワー」②

キョウコさんからの提案で、僕たちの初デートの場所は東京タワーに決まった。

僕は夕方に映画館でのバイトを終えて大急ぎで電車に飛び乗り、JR浜松町駅に降り立った。11月。すでに陽は落ちかけていてうっすらと寒い。

改札を出たところでキョウコさんがすでに待っていた。定番のお団子頭に、ダッフルコートがよく似合っていた。

彼女は僕の姿を見ると、

「やあやあ」

と少し笑って手を振った。

笑うと目が線のように細くなる、あの笑顔。

「マスヤマくん、いきなりでごめんね」

「え、いやいや! 予定もなかったし、大丈夫だよ」

僕らは東京タワーに向けてホテホテと歩き出した。

だが…いかんせん、仕事の場以外でふたりっきりで会うのは今日が初めて。

僕は緊張してしまい、あまり言葉が出てこない。向こうにもその緊張が伝わってしまったのか、キョウコさんも口数少なだった。

タワーのふもとの駐車場まできたあたりで、キョウコさんがポツリとつぶやいた。

「……私ね、悲しいことがあったら東京タワーを見に行くことにしてるんだ」

「え」

「東京タワーの灯りを見てると、なんか元気が出てくるんだよね」

「そうなんだ……なにかあったの?」

「ううん……別に。なんもないよ」

僕らはタワーの真下まで到着し、窓口で展望台に上るためのチケットを買った。


「わーっ、無理! これは無理だって!」

東京タワーの展望台に僕らはいた。

ご存知の方も多いと思うが、展望台には一部がガラス張りの床になっていて、その上に立って真下を見下ろせるスポットがあるのだ。

「えー、そんなにコワイかな」

キョウコさんは平気でガラスの床に乗って笑っているが、高所恐怖症の僕はなかなか足を踏み出せずにいた。

「ほら、強化ガラスだから大丈夫だよ」

「いや、強化ガラスと言ったって経年劣化であと一人乗ったらその重みでついに限界を迎えて崩れ落ちる可能性も否定できないし安全を考えたら上に乗らないに越したことはないよ」

「……マスヤマくんはおかしな奴だなあ」

キョウコさんは半ば呆れながらも笑っていた。


僕らは展望台からさらにエレベーターに乗って、上階にある特別展望台にやってきた。もちろん、高所恐怖症の僕はそのエレベーターの中でも「揺れた」「落ちる」などと声をあげてキョウコさんを苦笑させがちだったけれど。

特別展望台は通常展望台に比べて全体的に薄暗くムーディな雰囲気で、先客はほとんどカップルだらけ。

(こりゃまた…な雰囲気だな…)

当然僕はドギマギしてしまったけれど、キョウコさんは「あのへん空いてるよ」とスタスタと窓側に歩みを進めてゆく。

キラキラした東京の夜景が眼下に広がっていた。

このミニチュアのような街並みの中で、人はそれぞれに日々の生活を送っているのだなぁ、などと当たり前なことを思ったりした。

照明の暗さは不思議と心を落ち着かせてくれて、僕らは横並びで手すりにもたれ、夜景を見ながら好きな映画や音楽の話を延々とした。

「マスヤマくんピチカート・ファイヴ好きなんだ!私も!」

「うん。シティボーイズの舞台に野宮真貴さんが出たのも見たし、曲としては…『大都会交響楽』が一番好きかな」

「あの曲いいよね。私FFとかけっこうやるんだけど、ボス戦の時にあの曲流したりするとなんか、気持ちが盛り上がる(笑)」

「あぁー、なんかわかる気がする!」

そんなこんなで、僕らは実に2時間近くも特別展望台で話し込んでいた。えらいことだ。

ふと、話し疲れもあって会話がしばし途切れる瞬間があった。

クローズの時間も近づき、まわりのカップルももう、ほとんどいない。

静かだ。

「…………」

「…………」

ふと、手すりに置いていた僕の右手に、キョウコさんがそっと自分の手を重ねた。

「あっ」

「……マスヤマくんの手、あったかいね」

生まれて初めて感じる、やわらかい感触。

心音のBPMが一気に上がるのを感じた。

「えっ、いや、あの、あはは、いやほら、よく言うでしょ。手があたたかい奴は心が冷たいって。それだよ、あはは」

しどろもどろだった。

「えーそうなんだ。マスヤマくんは冷たい奴なんだね」

キョウコさんはそう言うと、パッと手を離してしまった。

あれ、僕なんかミスった…?

「じゃ、そろそろ降りよっか」

「うん…そうだね」

キョウコさんに促され、僕らは下りのエレベーターに乗り込んだ。


なんだか微妙にモヤモヤした気持ちのまま、東京タワーの1Fから表に出る。

あたりはすっかり暗く、人通りも少ない。

キョウコさんがふと立ち止まった。

「ちょっとゴメン」

カバンから携帯を取り出すと、それを耳に当てた。どうやら、録音されていた留守電を聴いているようだった。

キョウコさんの表情が曇っていくのが見えた。そして彼女は携帯をカバンにしまい、こちらに向き直った。

「ごめんね、お待たせ」

「うん…だ、大丈夫?」

「うん」

僕らは、増上寺の横にある暗い道をとぼとぼと歩いた。

「あのね」

キョウコさんが口を開いた。

「うん」

「私たちが働いてたイベントで一緒だった男の人がいてね。マスヤマくんのたぶん知らない人」

「うん」

「その人からね、私最近よく誘われてて」

「……ほお」(間の抜けた声)

「さっきの電話もその人でね。私、どうしたらいいかな…って」

「そ、そうなんだ」

「マスヤマくん、どうしたらいいと思う?」

彼女いない歴21年の男になんという難題を出すのだ、この人は。(ちなみにキョウコさんは僕のひとつ上)

「え! いやそれはあの…キョウコさんの、したいようにしたらいいんじゃないかなとしか…。もし、その人とお付き合いしたいと思ったらしたらいいと思うし……うーん、そう、じゃないんだとしたら、そう、しないで、ほしい、かな、僕は」

苦しみながら言葉をしぼりだしているうちに、キョウコさんの様子がおかしいことに気がついた。

……泣いている。

「え、いや、え、ごめん! すいません! 僕…」

「ううん、大丈夫。大丈夫だから……」

キョウコさんはそう言いながらも両の瞳からポロポロ涙をこぼしていた。

いやいやいやいやいやいやいやいや。

どうしたらいいんだ。

考えろ。

まともな成人男性は、こういう時にどうするんだ。

どうするんだ!!!!!!

そして僕は悩んだ挙句、

キョウコさんの頭に、そっと手をおいた。

「大丈夫、大丈夫だから…さ。ね。泣かないで」

あろうことか、少女マンガでよく見る「女の子の頭を撫でる」という人生初のトライを選択してしまった。

ドン引きされたらどうしよう…と思っていたけれども、キョウコさんは「ありがとう」とだけ小さく言葉をもらし、その後も少しのあいだ、泣いていた。

僕らは、増上寺の敷地内にあるたくさんのお地蔵様に見守られながら、しばらくそこで時間を過ごした。


JR浜松町駅。山手線のホーム。

キョウコさんは先ほどの涙はどこへやら、いつもの快活な様子に戻っていた。

「今日は楽しかった!付き合ってくれてありがとう!」

「う、うん。よかったよかった!」

これでよかったのか、全然わからなかったけれど、いま目の前にある笑顔を信じよう。

僕らが乗る電車はそれぞれ反対方向だった。

先にキョウコさんが乗る方面の電車がやってきた。

「じゃあ…」

言いかけた僕の言葉を制して、キョウコさんが口を開いた。

「マスヤマくんさ、全然心が冷たい奴じゃないと思うよ。今日はありがとう。また遊ぼうね!」

そう言うと、彼女はヒラッと電車に乗り込んだ。

ドアが閉まる。

電車の中から、笑顔で手を振っているキョウコさんが見えた。

僕も手を振り返す。

電車が発車し、見えなくなるまで、僕はボーッとホームに立ち尽くしていた。


それが、僕とキョウコさんと付き合うことになる、2週間前の話だ。



続く







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