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「東京タワー」③
東京タワーでの初デートの日以降、僕とキョウコさんは頻繁にメールのやりとりをするようになった。
『バイトお疲れさま!』とか、
『こないだレンタルで〇〇〇〇の映画を見たよ』とか、
そんな他愛のない内容のメールがケータイに届いているのを映画館バイトの休憩中に眺めては、ひとりニマニマしている僕がいた。
当時僕はボンクラな文系大学生で、バイトの合間に講義に出たり出なかったりというヘラヘラした毎日を送っていた。かたやキョウコさんは映画の宣伝会社でバイトをしながら「弁理士になる」という夢のために日々勉強に明け暮れていた。なんというか、僕とはだいぶ人間のランクが違った。
キョウコさんは同じ年生まれの学年はひとつ上。僕が10月に誕生日を迎えたばかりだったので、2002年の11月時点で僕らはいずれも21歳だった。
そして、タワーでの初デートから約2週間後。以前から約束していた『一緒に映画を見に行く』という目的のために僕らは渋谷にやってきた。
見た映画は『凶気の桜』。
窪塚洋介が丸坊主にして役作りし、極右の青年を演じたバイオレンス映画だ。どう考えても若い男女の初デートに向いていない内容な気もするが、キョウコさんが「見たい!」と言うのでこれにした次第。
横に女の子がいるという緊張感もあって正直映画の内容がどうだったかはさっぱり覚えていないのだが、終わった後に渋谷の東方見聞録(現在は閉店)で2人で飲んだのははっきり覚えている。というか、忘れられるわけもない。
テーブルを挟んで向き合って座り、僕らはジョッキのビールを傾けながら映画の感想を語り合ったりしていた。キョウコさんはお酒に弱いわけではないが顔が赤くなりやすい体質で、頬を上気させて若干トロンとした目つきになっているのがかわいらしいなと思ったりした。
何杯目かのジョッキを空けて、我々2人ともだいぶ上機嫌になってきたあたりで不意にその瞬間は訪れた。
「ねえマスヤマくん」
「ん?」
「一回しか言わないからちゃんと聞いてね」
「……え、なに?」
「んあー恥ずかしいなあ。やっぱやめた!」
キョウコさんの顔がさらに赤くなっていた。
「な、なに! 言いかけてやめないでよ!」
「えーもう。わかんないかなぁ! ……なんだと思う? 当ててみて」
「わ、わかんないよ!」
……いや、正直、わかりつつあった。
21年間彼女がいなかった身の上でも、さすがにこの状況では、彼女が何を言おうとしているのかぐらい、察しがついた。
ただ、それをにわかに信じられない自分もいたので、お許し願いたい。
キョウコさんは「ふうっ」と小さくため息をついて、口を開いた。
「……好きになっちゃったの」
「…………」
「…………」
「……だ、誰を……?」
「は!? バッ……バカか! あんたに決まってるでしょーが!」
「あっ、ごごご、ごめん!」
「え、なに、イヤなの!?」(やや酔ってる)
「いや、イヤじゃありません! イヤだったらこうして会ってないし! むしろあの……(長い沈黙)僕も好きでして……」
「え!?」(やや酔ってる)
「僕も好きだよ!」(酔ってる)
「…………」
「…………」
「…………そうなんだ。よかった」
しばしの沈黙。
僕は店内を見渡した。さいわい、居酒屋の喧騒にかき消されてまわりのお客にはこの恥ずかしいやりとりは聞かれていなかったようだ。
しかし……? これはどういうことだ?
これは僕に彼女ができた、ということでいいのか? いや、まだ「小生と交際していただけませんか」「はい」というやりとりがあったわけではないから、契約上(?)はそうではないのか? などとグジグジ思っていると、
「ねえ、カラオケ行こっか」
と不意にキョウコさんが言った。
センター街付近のカラオケ店にふたりで入った。
特に手を繋いだりするでもなく、話のトーンもさっきまでと全然変わらない。
(ん…これは、どうしたらよいのだ? 今、どういう状態になっているのだ?)
受付を済ませ、エレベーターで上階へ。
個室に入る。電気をつける。カバンをソファに置く…
「ねぇ」
後ろのキョウコさんから呼ばれて、振り向く。
「ん?」
<チュッ>
あ、
あの、
これは、
これは噂の、
キ、
Kiss……というやつでは……
「え、あの、ごめん。しない方がよかった?」
フリーズしてしまった僕を心配そうに見るキョウコさん。
「んあ! いえいえ、むしろ、ありがとうございます!」
「なら、いいんだけど」
「う、歌いましょう!」
僕はソファに腰かけて、リモコンで曲を選び始めた。が、正直さっぱり集中できない。こんな形で人生初のKissが訪れるとは思っていなかった。というか、女の子の唇というのはあんな感触だったのか。ちくしょう、急すぎて感触の記憶が曖昧だ。えーとなんだっけ。なに歌うか。サザン、電気グルーヴ、筋肉少女帯、氷室京介……えーと……。
「となり座っちゃおっと」
キョウコさんは僕の真横にストンと座ってくる。
「あっ」
キョウコさんの方を見る。
「ん?」
という感じで首をかしげて僕の顔を見てくる彼女。酔いは少し落ち着いてきたようで、頬の赤味も引いてきていた。
というか、距離が近い。
明らかに東方見聞録以前とは距離感が違う。これが女性というものなのか。マルコ・ポーロもびっくりである。
「え、えーと……あの……」
僕は、真心ブラザースの「この愛は始まってもいない」を選んで、歌った。童貞のくせにこの状況でなかなかキザな選曲をするものだと思われるかもしれないが、よくよく歌詞を読んだら彼女と別れた(であろう)男の泣き曲だった。失敗した。
キョウコさんは椎名林檎やCHARAやYUKIといった、我々世代の女性がほぼほぼ通過するであろうアーティストの曲を見事に歌いこなしていた。というか、めちゃくちゃ歌がうまい。なんだこの人は。なんでもできるのか。
それ以外は、緊張のあまり何も覚えていない。
問題はこの後だ。
酔いに任せてカラオケで歌いまくっている間に夜は更け、僕はもう終電のない時間になっていた。
「そろそろ行かないと……」
そそくさと会計を済ませてカラオケ店を出る。
外は寒く、小雨がパラつき始めていた。
「マスヤマくん、電車だいじょうぶ?」
「いや、もうないけど……まあ、マンガ喫茶とかあるし」
「よかったらさ」
「ん?」
「……私のうち、来る?」
「えっ」
これは長い長い、あまりにも長い夜の、まだ折り返し地点にすぎなかった。
続く
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