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「東京タワー」⑥(最終話)

「よ。久しぶり」

僕のバイト先の映画館にお客として現れたキョウコさん。
どう見ても僕に責任がある自然消滅的な別れ方をしてしまってから約2年半。あれ以来何度か連絡を試みようとしたもののできなかった彼女が、いま、目の前にいる。2年半経っても風貌はまったく変わっておらず、小柄で、お団子頭で、笑うと猫のように目が細くなる。

「あ、ひ、久しぶり……」

「元気そうでよかった。パンフください」

「あ、は、はい! 700円です」

接客のバイト中に友達がやってきた時の、敬語にしてよいかタメ口にしてよいかとっさにわからなくなる感じ。おわかりいただけるだろうか。まわりに他のお客さんもスタッフもいないタイミングだったのが幸いした。
代金と引き換えに、映画のパンフを渡す。

「ありがとうございました」

「はい、どうも。マスヤマくん、まだここで働いてたんだね」

付き合っていた当時にそのことは話していた。キョウコさんは大学を卒業後、もともと目指していた弁理士ではなく、映画の宣伝会社に就職してバリバリ働いているということだった。僕はといえば……留年し、大学5年生。情けない限りだった。

「そうだ、これ私が宣伝担当してる映画。よかったら見てね」

と、キョウコさんから一本の映画のチラシを渡された。ミニシアター向けの上品そうなアート映画だった。

「あ、ありがとう。すごいなぁ……公開されたら見に行くよ」

「じゃあ、またね」

キョウコさんは足取り軽やかに帰っていった。


僕はバイトが終わるとすぐにキョウコさんにメールをした。
2年半連絡をしてしなくても、こういうきっかけがあるとメールできてしまう感じ、おわかりいただけるだろうか。と言ってもあまり気張った内容を送れるわけでもなく『今日は久しぶりに会えてうれしかった。ありがとう』的な感じだった。
さほど時間をおかずにキョウコさんから返事がきた。

『こちらこそありがとう!また今度飲みにでもいきましょ(猫の絵文字)』

……あら?

『行こう行こう! じゃあ日程調整しましょ…』

的な感じで、あっという間に次に会う予定が決まってしまった。
……この2年半、モヤモヤウジウジしていた日々はなんだったんだろう?


後日。僕とキョウコさんは渋谷にいた。
適当な居酒屋でビールをあおり、ここ最近見た映画では何が良かったとか、最近どのバンドが好きだとか、そういう話をした。僕は、かつてキョウコさんが追いかけていたGOING STEADYにハマり、その解散後に峯田和伸によって結成された銀杏BOYZのライブに行ったりしていることを話した。
キョウコさんは「マスヤマくんは好きになると思ったよ」と笑い、彼女自身はスパルタローカルズというバンドが大好きでよく聴いていると話した。(案の定、僕も後日そのバンドにどハマりすることになった)

趣味の話はとにかく弾んだが、2人とも、彼氏彼女だった時のことには触れなかった。少なくとも僕は触れられなかった。よくわからないうちに連絡を絶ってしまった僕に、キョウコさんが腹を立てているのではないか、という気持ちがあった。

そうこうしているうちに、僕らは終電を逃した。
いや、狙って逃したわけではないんだ。もう15年前のことだし酔っぱらっていたし、なんで終電を逃したのかよく覚えていないが、とにかく帰れなくなった。

「あの……僕は、ネカフェでも行くので」

どうやっても、付き合うことになった2年半前の夜のことが頭によぎる。でも、今の僕は彼女に甘えられるような立場ではない。

「じゃあさ、カラオケ行こうよ。私明日休みだし」

………なんと。

「え、大丈夫?……じゃあ、そうしようか」

僕らは、センター街にあるカラオケに入った。当然ながらイチャイチャするでもなく、ひたすらにお酒を飲み、歌った。
途中、銀杏BOYZの「駆け抜けて性春」を僕が峯田パート、キョウコさんがYUKIパートを担当して、歌った。キョウコさんはやはり歌が上手かった。
GOING STEADYの「You&I」も一緒に歌った(銀杏バージョンではなく)。
「きみと僕は永遠に 手と手つなぎどこまでも」
別れた2人が歌うにはなんと皮肉な歌詞か、と思った。


朝5時。僕らはカラオケを出て、渋谷駅に向かって歩いた。
人はほとんど歩いていない。カラスが路傍の生ゴミをついばんでいる。
僕はおそるおそる口を開いた。

「あの……本当に、すみませんでした」

「ん? なにが?」

キョウコさんはケロッとした口調で言った。

「あの……連絡も、しなくなってしまって。ごめんなさい」

彼女の顔を見るのが怖い。でも、今ちゃんと謝らなかったらもうきっと言えなくなってしまう。言わなきゃ。

「んー。わかりました。まあ、もういいよ」

キョウコさんはそれだけ言うと、また渋谷駅に向かって歩き出した。

「ごめん。ありがとう」

僕は早足で後を追う。
キョウコさんはいつも足が速かった。


僕らは京王井の頭線渋谷駅の改札前までやってきた。僕はJRだったけれど、京王線で帰るキョウコさんを見送りにきたのだ。

「じゃあ、このへんで……」

キョウコさんが言いかけたところで、僕は酔いのせいかオール後のテンションのせいか眠気のせいか、余計な一言を言ってしまうのだった。

「あの……今もう、彼氏さんとか、いらっしゃいますよね」

きょとんとするキョウコさん。数秒の間があり、僕が(言うんじゃなかった。今すぐ目噛んでしのう)と思ったあたりで、彼女は口を開いた。

「んー彼氏さんねぇ。それが大変残念ながら、いないんですよー」

「そうなんだ……。あの、こんなことをいきなり言うのは大変おこがましいしお気を悪くされるかもしれませんが」

「はい」

「やり直させてもらえませんか。また」

「はい」

「そうですよね。やっぱり虫がいい話だし、ダメですよねごめんなさ……って、え、いいんですか!?」

「いや、だから『はい』って言ってるでしょ!」

「ぼく、将来性ないですよ!?」

「自分で言っといてなんだよ! だったら、私のために将来性のある人になってよ!」

「あっ、ハイ。なります! ありがとうございます!」

2005年初夏。朝5時台の京王井の頭線渋谷駅改札前。
僕に人生2番目の彼女ができた。
人生2番目の彼女は、1番目と同じ人だった。


映画や漫画なら、ここで「めでたしめでたし」となるところだろう。
だが、現実はそううまくはいかない。
僕とキョウコさんはその3ヶ月後に再び別れた。
理由は色々とあった……いや、相変わらず僕がダメダメだったのだ。しつこくなるので、そのあたりは細かく書くまい。楽しいことも、そうでないこともあったけれど、圧倒的に楽しいことの方が多かった。それは確かだ。
じゃあこの一連の物語はバッドエンドなのか?
それはわからない。
僕らの人生はまだそのあとも続いているので。


「よーい、スタート!」

さらに時は流れて2006年夏。
僕は市ヶ谷のとあるアパートで、ビデオカメラを回していた。
バイト先の友人たちと一緒に「アンチバッティングセンター」というコント劇団を立ち上げた僕は、その第2回公演で流すための映像コントを撮影していた。友人のS君が脚本を書いたその映像コントはなかなかにシュールな内容で、真夏でもクーラーのない木造アパートの一室(S君の自室)で僕らは汗をダラダラかきながらカメラを回していた。

その中心にひとりの女性がいた。

「はい、キョウコさん、オッケーです!」

「はい。あー、暑いよここ……」

S君の書いた脚本には女性キャストが何人か必要だったが、僕らはいかんせんボンクラ男だけの劇団。バイト先の女の子に声をかけて来てもらったりもしたがどうにも1人足りない。そこで僕は何を思ったか、2度の破局を経たキョウコさんに出演依頼をした。銀杏BOYZの「SKOOL KILL」という曲のMVに峯田和伸の元カノが出演しているのを見て、なんとなくそれに憧れてしまったのである。今思えば本当に、厚顔無恥だ。
だが、キョウコさんからの返事は意外なものだった。

『私にそうまでして頼むってことは、それだけ困ってるってことでしょ。お芝居とかしたことないけど、いいよ。出るよ』

なんて素晴らしい女性なんだろう。
いざ現場入りすると、キョウコさんは僕らの誰よりも演技がうまく、あっという間に撮影は終わった。時間が余ったので、キョウコさんは僕の劇団仲間のボンクラ男たちと一緒に麻雀をした。クーラーもなくゴミだらけなS君の部屋のド真ん中に座り僕の友人たちと雀卓を囲む、くわえタバコのキョウコさん。なんともはや、シュールな光景だ。

僕は麻雀ができないので、それをじっと横で見ていた。
キョウコさんは麻雀も強く、僕の友人たちを打ち負かしてゆく。本当にこの人は、なんでもできてしまう人だ。

「マスヤマくん、喉かわいた。ビール飲みたい」

「あ、ハイ! 買ってきます!」

僕は財布を持って、ニコニコしながらアパートを飛び出した。なんだかこの状況がとても面白くて、うれしかった。
僕らの第2回公演は、みんなの頑張りにも関わらず動員的にも内容的にも決して褒められたものではなかったが、アンケートでは映像コントの評判がけっこうよかったのを覚えている。


僕とキョウコさんはその後もたまに映画を見に行ったり飲みに行ったりした。ただもう、部屋に泊まったりすることもなければ手をつなぐこともない。会って、映画を見て、お酒を飲んで、趣味の話をして、帰る。そんな間柄だった。


奇妙だし調子がいい話だが、2度の交際と破局を経て、僕らはやっと普通の友達になれたような気がした。


お互い仕事が忙しくなったのもあり、僕とキョウコさんはだんだん会う頻度が減り、連絡を取ることもなくなっていった。
ある時、どこかの街のタワーレコードのDVDコーナーで、僕は1枚のDVDに目をとめた。
『東京タワーのすべて』
的なタイトルのドキュメンタリーだったと思う。
なんとなく僕はそれを買って、誕生日が近かったキョウコさんの自宅に送った。
送った後で「僕は何をやっているんだ。元カノの家に、初デートの思い出の場所のDVDを送るなんて、最高にキモいではないか。今は彼氏がいるかもしれないのに。目噛んでしにたい」と思った。

DVDを送って一週間、二週間経っても、キョウコさんから連絡がくることはなかった。変にほっとした自分がいた。というか、本当にごめんなさい。

それから何年かが経って、何気なく見た彼女のFacebookで(やってしまうよね、世の男子)キョウコさんがお子さんを抱いている写真を見た。
料理もうまくて、なんでもできるキョウコさんならきっと素敵なお母さんになっているのではないかと思う。

その後僕はなにを思ったかアイドルオタクになり、日々アイドルを追いかけまわしてライブやイベントに通う、将来性のない人生を送るようになってしまった。


それでも、渋谷や恵比寿でアート映画を見たり、峯田和伸の歌声を聴いたり、東京タワーを見ると、時折彼女のことを思い出してしまう。


「悲しいことがあると東京タワーを見たくなる」と言っていたあの子が、どうか、これからもずっと笑顔でタワーを見ることができますように。



ありがとうございました。



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