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「東京タワー」⑤

2002年のクリスマスが近づいていた。

11月中旬、正式に彼氏彼女としてお付き合いをすることになった僕とキョウコさんは、週に1回くらいのペースでデートをするようになった。

映画を見に行ったり、洋服屋さんをぶらぶらと回ってみたり、表参道にスイーツを食べに行ったり。

人生で初めて彼女ができた僕にとってはどれも新鮮な体験だった。

バイト先の映画館で働いている間も、僕は浮かれまくっていた。

同僚にも「マスヤマに人生初の彼女ができたらしい」ということはあっという間に知れ渡り(まあ僕が言ったのだが)、

「あぁー、僕はクリスマスはシフト入れないかもしれないなぁー、ごめんね」

などと言ってまわり、ウザいくらい調子に乗っていた。

「マスヤマさん、彼女とはどうすか? もうヤりました?」

などと下卑たことを聞いてくるのは当時のバイト先の後輩のユウコさんという女の子。実は、この人との間にもいくつか語られるべきエピソードがあるのだけれど、それは本作が完結した後にいずれどこかで。

「や、やってないよ!」

「本当ですか。チキンじゃないすか。へへへ」

ユウコさんは笑っていたが、それは本当だった。あの告白の夜以降、お泊まり的なこともなく、僕らはそれこそ中学生カップルのごときプラトニックを貫いておったのだ。おそらく先方は過去に彼氏がいたこともあっただろうけれど、いかんせんこちらは人生初の恋人関係。そういった方向にどうやって話を持っていってよいかわからず、デートの時も手さえ繋がず終電までにはきちんと帰るという日々が続いていた。


クリスマスを前にした、12月上旬のある日。

キョウコさんと僕は渋谷にいた。

「クリスマスツリーを飾ろう!」という目的のためだ。

僕らは東急ハンズで室内用のツリーと、たくさんのオーナメントを購入した。荷物が多くなったのでまたタクシーに乗ってキョウコさんのアパートへ。部屋の中でさっそく開封し、えっちらおっちらとツリーを組み立てた。キョウコさんは「ワインでも飲むか」と言って、赤ワインを出してくれた。豪胆だ。

「なんか音楽流そうか。マスヤマくん選んでいいよ」とキョウコさんが言うので、僕は彼女の部屋のCD棚から真心ブラザーズの『夢の日々』をピックアップして、再生した。

キョウコさんと初めて行ったカラオケで僕が歌った「この愛は始まってもいない」が流れる。なんだか、あの夜とは違って聴こえる気がした。

ツリーの飾り付けを進めるうちに、ラジカセからは「人間はもう終わりだ!」が流れ始めた。真心ブラザーズの活動休止前最後のシングルだ。過激な歌詞と曲調で、カップルがツリーを飾り付けするBGMにはとても合わない。

「なんか、この曲流してると爆弾つくってるみたいだね」

と、キョウコさんは笑った。僕も笑った。ふと、部屋の壁を見ると、黒い、編みかけのマフラーが吊るしてあるのが見えた。

「いま、マフラー編んでるんだ。完成したらあげるね」

「おぉー、ありがとう!」

「あんまり慣れてないから、へたくそかもしれないけどさ」

全然そんなことはないように見えた。

映画も音楽も僕より詳しく、お酒も強く、頭もよくて、料理も編み物もうまくて、キョウコさんは本当にすごい人だ。

ツリーの飾り付けは無事完了した。ためしに部屋を暗くして、電飾をつけてみる。

「わぁ……」

電飾は美しくきらめいて、部屋の中が一気にクリスマス模様だ。キョウコさんのうれしそうな顔がチカチカと照らされている。

「よかったねぇ」

「クリスマス楽しみだね」

「うん」

キョウコさんは「泊まっていけば?」と言ってくれたが、僕は次の日にも朝からバイトがあったため、終電で帰ることにした。

「じゃあ、またね」

「うん、おやすみ。またね」

キョウコさんの部屋を出る。外はえらく寒い。

ふと、頭にズキッと痛みを感じた。

(ん……ワイン飲みすぎたか……風邪かな。やだな……)

僕はふうっとため息をつくと、駅までの道を小走りで突っ切っていった。


僕とキョウコさんがクリスマスを一緒に過ごすことはなかった。

僕はあの日以来体調を崩し、彼女への連絡が途絶えがちになった。キョウコさんも僕の病状を心配してメールや電話などをくれたけれど、僕がだんだん返事を返さなくなってくると次第にその頻度は減っていった。そして無言のうちにクリスマスは過ぎ、年が明けた頃にはお互い新年の挨拶を交わすことすらなくなっていた。

これは完全に21歳の僕の愚かさ以外の何物でもなかった。ずっと夢見ていたはずの「彼女のいる生活」をやっと手に入れられたのに、いつしかそれをプレッシャーに感じて、勝手にひとりで疲弊してしまっていた。素直に彼女に内心を打ち明けて相談するという知恵も回らず、ただ、逃げてしまった。

本当にキョウコさんには申し訳ないことをした。2人で部屋に飾ったクリスマスツリーを彼女がひとりで片づけている姿を想像すると、死んでしまいたいような気持ちになった。

自分には彼女のいる生活というものが、きっと向いていないのだ。もう、夢を見るのは諦めよう。一生ひとりで生きよう。

僕はこれまで通り、映画とバイトとたまに学業という毎日に戻っていった。

「マスヤマさん、彼女と別れたんですって?」

バイトの休憩中に、後輩のユウコさんに言われた。

「……そうだよ」

「結局、ヤらなかったんですか?」

「……やってないよ」

「ウケる。だからダメなんですよ。マスヤマさんは」

ユウコさんはケタケタ笑いながら去っていった。

(んなことは、わかってるんだよ……)

携帯を見る。キョウコさんに一言、お詫びのメールを入れようかと悩む。だけど頭の中の僕が悪魔の顔をして「なにを今さら!」と笑うのだ。

僕は、メールを送れなかった。


あっという間に2005年に話は飛ぶ。

初夏のある日、僕はいつも通りバイト先の映画館で映画のパンフレットを売っていた。

ひとりのお客さんから、「パンフください」と声をかけられる。

「はい。700円になりま……」

お客さんの顔を見て、時間が止まった。

「よ。久しぶり」

小柄な体躯。お団子にした髪。


……キョウコさんだった。




続く(次回最終回)

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