人生、100年時代 わたしは何歳まで生きるのだろう それは誰にもわからないし正直その疑問が浮かんでも割とどうでもいい でも人は皆死と隣り合わせで今を生きている そしてそれを無意識のうちに理解して受け入れてる 自分もそう 23歳ともなるとだんだん身の回りの友達や世の中のカーストみたいなものが出来上がっていくような気がする 小学校、中学校、高校や大学とはまた違う感じの。 そのカーストは大きく分けて一般常識とそうでないものに分かれていて わかりやすくわたしはそうでないも
ぐちゃぐちゃな、ブサイクな泣き顔でいろんな思いを綴ろうとキーボードを打っても全部デリートしてしまう どう思われるかが怖い ・ 実はいますごく人生につまづいてる 中3のときにパニック発作を起こしてからというもの”こんなはずじゃなかった”人生を送ってる いまだに通院も服薬も続けていて感情の波もジェットコースター (というかほぼ落ちてる) 学生時代は先生達の協力ありきで何とかなっていたけど専門学校も卒業した今、完全に人生の落ちこぼれちゃんになってしまった… ・ 専門学校に行ったんだ
早起きをした 最近何もしてない自分を励ますため お昼、豚とレタスを炒めて味噌ラーメンに入れて食べた わりと美味しかったので今日は夕飯も作っちゃう?なんて気になって二日酔いのパパを誘って夕方お気に入りのスーパー”ok”に行くことにした 近くにできたらしいが車でしかいけないので連れて行ってもらう 免許のない私ってなんだか世界が狭いななんて思ったりした パパの運転が怖かった いつ事故ってもおかしくない ずっと手元でポケモンGOとLINEの往復をしてもはや運転はそのついでみ
最近の私はネガティブな言葉を連ねることが得意になってしまっている。 ・自分の価値が分からない(そもそも生きる上で価値などないのだが) ・純粋に楽しいと思えない ・常に莫大な理由のない不安を抱えていて自分で自分の首を絞めてしまう ・自分の将来が見えない 繊細な弱者はある程度バカになることが得意な強者には敵わない (バカになることはいい事、決してけなしてはない) 今思えば幼少期から親や友達、他人の評価を気にしていた気がするし周りからの評価で自分の自信をなんとか保とうとしてい
家を近くに感じる時は弱ってる 気に入った曲を何度も聴く感じと同じ 誰かに寄生したい それには過去が1番って知ってる 想い出はパワー 君は魅力的だったよ なんて言われないように努力が必要 わたしはまだ子供みたいだから 諦めを知らない強欲みたいだ 連絡は待った方がいいよ どんなに孤独でも 終電は逃さない方がいいよ あー私まだ大人になれない 君は私のことすごく好きだったよね?
わたしはまだ自分の鼓動を確認できていないのに この世はSNSと個性と多様性が膨張を続ける わたしはまだモノマネでしかないことに気付かされる 生きているのに死んじゃっていて さようならとまたねが綺麗に言えない それでも私が言いたい事を他の誰かが言うことには我慢ならない ああもうこんな時間って気づく時 見えない死を近くに感じてしまう まだ生きてもないのに それでも私の存在を誰かが想っている時に私は生きる 血は流れる 雨が降ったから今日は完璧 雪が降ったらもっといい
根拠のない”大丈夫”は時に確信にもなり得る と信じてる
Homo patiens "苦悩する人間” 生きることに意味はあるのか 何を目的に生きているのか そんなものは無い 生きる意味なんてない いかに自分で意味を ”持たせることができるか” ”持つように生きられるか” これに限ると思う 人生後付けなのかもしれない
死ぬ前にたった1人でいいから他を信用したい 死ぬ前にたった1人にだけ裏切られることを許したい 思ったよりも他人は私を理解なんてしていないし 私も他人を理解してなんていない 理解を求めるのは暴力かもしれない 日々”とりあえず”をして生きている それを忘れてしまったらただの魂 大丈夫 あなたの中にはまだキレイな水が流れているよ