音楽的な敗北…山下達郎さんのサブスク反対論を考える

今年6月、山下達郎さんがインタビューでサブスクリプション解禁をしない旨を述べた。残念ながら元記事が消えてしまったのでWebArchiveからのリンクを貼っておく。Yahoo! ニュースオリジナル記事であり、内容としても達郎さんのキャリアや考え方がよく分かるものなので取り下げは勿体ない。

音楽の聴かれ方は、半世紀の間に変化してきた。サブスクリプションでの配信を解禁しないのか尋ねると、今の時点で山下は「恐らく死ぬまでやらない」と答える。
「だって、表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」

この発言を私は奇異に思った。理由として曖昧に感じたのだ。まるで達郎さんの中のサブスクへの違和感がうまく言語化されず、ふわっとした業界批判に終わってしまっているような気がした。「自由に曲をばらまいて」いるのはラジオにも当てはまるし、「表現に携わっていない人間が」「もうけを取ってる」のは大半のレコード会社(達郎さんが所属するMOON RECORDSは自身が役員だったこともあるほど深いつながりがあるので当てはまらないが)も同じだ。そして、自身はSpotifyをチェックしているということも気になった。

その違和感はそのまま忘れてしまったが、今月になってその答えが見えたような気がした。

同じくサブスクに消極的だった矢沢永吉さんが一転、配信を始めた。その胸中を語るインタビューはもちろん学ぶことが多かったが、そのことと気づきにはそれほど関係ない。思ったのはこんなことである。「永ちゃんも達郎さんも自分の楽曲を大事に思っているのに、なんでスティングやブルース・スプリングスティーンは自らの楽曲の権利を手放してしまったのだろう?

著作権へのドライさ

海外アーティストの著作権売買が後を絶たない。ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ニール・ヤングなどの大御所が次々とレコード会社や著作権ファンドに楽曲を売り渡している。日本では2010年(権利譲渡が盛んになる遥か昔)、小室哲哉さんが楽曲の権利譲渡をネタにお金をネコババしたことくらいである。

権利売買はミュージシャンにとってみれば過去の楽曲で細々と食いつなぐよりも、目先のまとまった利益を得られるというメリットがある(小室さんの詐欺事件もまさにそれ)。買う側にとっては利益を間違いなく生み出す有用な資産を手に入れられるというのが大きい。つまりWin-Winなのだ。

そこで私は考えた。日本では著作権というのが正しく権利、つまり楽曲を生み出した時点で自分と楽曲の間に生まれる関係として考えられているのに対し、アメリカなどでは楽曲というのは成果物であって、著作権はそれにくっつく株式のようなオプションとして捉えられているのではないか(おそらく著作権を権利としてとらえるアーティストも多数いるだろうが、彼らは話のタネにならない)。

楽曲を子どものように捉えるか、コレクションとして捉えるかの違いを示したエピソードがある。YMOの「Behind the mask」をマイケル・ジャクソンが本歌取り(リミックス)して、「Thriller」に収録しようと考えた。その際に、マイケルは著作権の50%を作曲者の坂本龍一さん(クレジット上は高橋幸宏さんもあるけど、彼の扱いに関しては妙に不明瞭である)に要求したが、教授はそれを断ったため、マイケルの歌は没後まで封印されることとなった(本歌取りした楽曲自体は他のアーティストが発表し、教授も自身のアレンジでカバーしている)。マイケルはビートルズの楽曲の著作権を購入するなど、著作権を商品として考えていた節がある。しかし、教授は自分の曲の権利を権利としてとらえ、守り抜いたわけだ。

コンテキストの欠落

無類の音楽ファンであり、ポップスやロックに精通している達郎さんは、海外で著作権売買が横行していることを当然知っていたはずだ。

とすると、達郎さんが考えていた「マーケットとしての勝利」というのはサブスクそのものでは無くて、楽曲の権利を物として売り買いする文化の方を指しているのではないか? そう考えると「音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけない」という言葉の意味が分かる気がする。だとするとこのインタビューは大事な部分が欠落している可能性が高い。上の引用からも編集者の裁量でかなり省略していることが伺えるが、以下の点をもっと掘り下げられるはずだった。

  1. 話の前後関係をしっかり伝えるべきだった。インタビュー自体も長時間にわたったはずだし、7ページというYahoo! ニュースでもかなり長い記事の中にも伝えられない部分は多かっただろう。しかし、インタビュー記事を分けるなどしてその真意を正しく伝える必要があった。話をつまみ食いした結果、意図がうまく伝わらなくなってしまっている。

  2. 達郎さんが楽曲権利の売買とサブスク参入を同一視、もしくは延長線上として考えていないかどうかをはっきりさせるべきだった。正直これを探るのは失礼にあたる気がするが、インタビューを読む限りそう考えているようにしか思えない。これは編集者が言葉をフランケンシュタインした結果であって、私の誤解であってほしい。

  3. 達郎さんがSpotifyを活用しているのに、自らはやらないという点に関してももっと聞くべきだった。明らかに矛盾しており、そこを掘り下げることで達郎さんがサブスクをどう考えているのかより分かりやすく伝えられるはずだった。実はサブスクというサービス自体には嫌悪感を感じていないのかもしれない。そういう点がこのインタビューでは伝わらなかった。

ただ、この記事もインタビュイーチェックが入っているはずである。達郎さんが伝えたいと思ったことは網羅しているはずだ。だとしたらインタビュアーの力量が不足していると言わざるを得ない。

達郎さんのサブスク待望論はたびたび俎上に上がる話題だった。それを本人がやらないと明言するのだから、ビュー稼ぎのためにも記事に載せないわけにはいかないだろう。だが、それに対する扱い方が雑に思われるのは残念という他無い。アーティスト自身がサブスクに対して立場を述べることは貴重なので、それだけでも独立した記事として丁寧に語られるべきだった。

海外アーティストの権利的な動きが日本で話題になることは少ないが、編集者も音楽を知る身、当然常識だったはずだ。両者の共通認識としてあまり気に留められていなかったのかもしれない。それが大事な話題の掘り下げ不足につながっているのではなかろうか。

最後に

達郎さんがサブスクを拒否する理由が「自分のCDを買ってくれる人にこそ作品を届けたいから」というものであってほしかった。というよりも達郎さんの本心はそうであると今でも信じている。達郎さんほどの手腕と立場があるなら、そのようなことを言っても誰も傲慢と思わない。実際新譜「SOFTLY」は売れているわけだから。

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