マガジンのカバー画像

吹奏楽あれこれ

102
吹奏楽に関連したあれこれを書きます。
運営しているクリエイター

2024年4月の記事一覧

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その5

 薩摩バンドの楽器一式の値段に関する記事の中に「1500ドル」と「洋銀六千ドル」と「洋銀六千…

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その4

 残念ながら詳細な記録ではないのですが、薩摩軍楽伝習生が使った楽器購入に関わると思われる…

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その3

 薩摩軍楽伝習生が使ったロンドンのディスティン社に発注された最高品質の楽器一揃いの値段は…

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生 その2

 ジョン・ウィリアム・フェントンは指導依頼を受けた薩摩軍楽伝習生のために軍楽隊で使われる…

300

黒船の軍楽隊 その00

 従来の広く知られた知識では、日本の吹奏楽は大英帝国第10連隊軍楽長であるフェントン(1)に…

黒船の軍楽隊 その19

 1853年7月8日(嘉永六年六月三日)にペリー艦隊は浦賀沖に来航投錨し、7月14日(嘉永六年六月九…

黒船の軍楽隊 番外編 ドラムスティック

 函館図書館が所蔵する「異国人之絵」には1804年9月29日(文化元年9月7日)に長崎を訪れたロシア使節ニコライ・レザノフを含む6人・鑓・5つの旗が描かれています。描かれた人物の1人は鼓手です。 異国人之絵 魯西亜帝国(Россійская Имперія1721-1917年)は、1792年にアダム・ラクスマン(Адам Кириллович Лаксман1766-1806以降に死去)を使節として派遣しましたが松前藩との交渉で、長崎への入港許可証(信牌)を交付されましたが

有料
300

黒船の軍楽隊 その18

 1854年(嘉永7年)1855年(安政元年)の米英露3カ国との和親条約締結は、外国船来航の活発化につ…

黒船の軍楽隊 その17

 1854年10月14日 (嘉永7年8月23日)に日英和親条約が締結しました。  1854年 3月31日 (嘉永7…

黒船の軍楽隊 番外編 ヘンデルの行進曲

 1854年のペリーの日本来航時には、ヘンデル作曲のオラトリオ「サウル」の「葬送行進曲」が演…

300

黒船の軍楽隊 番外編 - ロシアンホルンオーケストラ

 『発明家はホルン・オーケストラで使われるまっすぐなホルンを「牡羊の角」のようにリング状…

300

黒船の軍楽隊 その16

 18世紀後半の産業革命による工業の飛躍的な発展は、金管楽器の大量生産にもつながりました。…

300

黒船の軍楽隊 その15

 江戸時代に江戸幕府や諸大名に仕えた御用絵師は、それぞれの藩主らの命により様々な絵を描き…

300

黒船の軍楽隊 その14

 エフィム・プチャーチン(Евфимий(Ефим) Васильевич Путятин1803 -1883)は、1853年に長崎に来航し1855年2月7日(安政元年12月21日)には下田で日露和親条約を締結しました。なお、日本との交渉中の1854年12月23日(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(1)による津波による被害やその後の嵐により船を失ったプチャーチンは、代船「ヘダ号」(2)を日本で建造して帰国しました。 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜 の2)嘉永六年丑七

有料
300