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羞恥心と仲良くする

聴いていて恥ずかしくなる曲があるらしいので聴いてみた。
なるほど、私が中学生だったなら間違いなくゾクゾクしていた。(いい意味で)
そんな自分を懐かしく思う気持ちとともに
途中で再生を止めた。
実際に私が中学生だった頃もこういった曲は必ずあって、冷ややかな評価をした大人も必ず居た。と思う。

ともあれ件のアーティストさんは一定の層には支持されているように見えるので何よりだ。それぞれの層にはその層なりのヒーローが必要だと思う。

ところで第三者がつい小っ恥ずかしくなってしまうような作品や振る舞いなどは、わざとそうしている人はさておき、よほど本人に客観的な視点というか頑丈なストッパーがなければ完璧に防ぐのは無理だ。
それに何かを発信する以上、誰かには響かないと存在意義がないのでストッパーが時には邪魔になるし、ストッパーが仕事し過ぎて誰からも無反応なのが一番つらい。

ちなみに私はストッパーが有能なので割と頑張った発信が思いのほか小さくまとまってしまい素通りされやすい。

今回はそんなnoteの執筆を通した私と私のストッパーである羞恥心との関係について語りたい。

初めての記事、マイブック回

とにかく公開するのに緊張した。
記事自体は1時間ほどで書き上がったが
そこからタイトル修正を3回ほど、内容の添削を数時間おきに6~7回ほど重ねてしまった。
読めば読むほど恥ずかしくなってきたからだ。
実は心のノブはもっと登場していたし、「!」も沢山あった。
ええいままよ と執筆してすぐのテンションで投稿するのもできたが絶対にあとで非公開にする自信があった。

添削する上で気を付けたことは、読みながら自分が昂ったりニヤけてしてしまうところをできるだけ削るなり表現を抑えるなりしたことだ。私の自惚れはスベる。(持論)
エモいとサムいは紙一重だし、面白いの価値観も人それぞれだ。
私はその「人それぞれ」に合わせる技量はないし、ましてや「これがありのままの私!」とオープンでいられることもできないノミの心臓なので、できるだけフラットなテンションで読んでもらえる文章を目指している。
それに本当に伝えたい部分へ辿り着いてもらう前に、テンションに任せて書いた空回りな文章を晒したせいで読み手を恥ずかしくさせた挙句そのままブラウザをそっ閉じされたら悲しい。

けれど自分自身で添削することの副作用として、照れポイントを削り過ぎた為に無難で印象の薄い文章にまとまってしまうことが挙げられる。
それはそれで「詰まらない。」と途中退場されかねない。
せっかくなら少しでも読んだ人の心が反応してくれたら嬉しい。
なので、これぐらいなら白けないかな…や
どこか一言だけでも印象づけられたら…など
良きところまで照れポイントを微調整する。
目安は公開ボタンを押す時にそわそわするレベル。

結局この絶妙なそわそわレベルまで持っていくのに大分かかった。私は照れ始めたら無限に照れることができるからだ。いかんせんストッパー(羞恥心)が働き者なもので
(大丈夫?この内容で本当に大丈夫?)と何度もプレビューを確認しては照れていた。
こうして自分の中の羞恥心との度重なるミーティングで
心のノブ登場回数を1回にすることで合意し
初めての記事が公開されたのだった。

自分の作品は基本なんでも大切で可愛い。

頭をフル回転させてできたものなら尚更。
大切で可愛い作品だからこそ読んでほしい人にちゃんと届かせるために整えるのだ。
そして自己満レベルではあるけれどもそれなりに整えるため、羞恥心が「手伝うよ!」と今日もひょっこり顔を出す。

そんな感じで文章は細心の注意を払っているが、対人では渾身の一言を発してウケるかスベるかの瀬戸際を攻めるギャンブルが止められない。

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