ゴムボールの憂さ晴らし
僕は一度、ひどく憂鬱になったことがあります。
たしか中2か中3の頃。
中3は恋に恋していたので
きっと中2だったと思います。
学校が退屈だったのか
よく消しゴムを盗られてイライラしてたのか
体育祭がたまらなく億劫だったのか
・・・いろんなことが重なったんでしょう。
ものすごーく、どんよりしていたんですね。
「ああ死にたい」
ぼそっと口に出すんですけど本当に死にたいわけじゃなくて
何かから解放されたくて言っている感じ。
自分でもどう感情を言語化していいかわからなくて
一番近い言葉を当て込んでいた気がします。
そんな感じでどよどよしながら
放課後部活動をしていたときのこと。
列に並んで順番にゴムボールを打ち込んでいきます。
フォアハンド、バックハンド、サイドステップで。
打つときには「はいっ!」とかけ声が必要でした。
なんで声出さないといけないんだ。
何度思ったことか。
小さなことでもイライラしてきます。
「死にたい感情」が練習中も膨らみ
どうやって死のうか考え始めた瞬間、
僕が打ったボールはきれいな弧を描いて
ネットを越えていったのでした。
「ナイスショット」
何も知らない先輩がリアクションします。
たしかに良いコースに良い高さで飛んでいる。
僕から見ても本当にナイスショットでした。
・・・それを見て、なんだかおかしくなってきました。
普段は真面目にやってナイスショットしたくても
たまにしかナイスショットにならなかったのに
めんどくさがって死にたがっていたときに
皮肉にもナイスショットが炸裂したのです。
(こんなときにナイスショット?)
一瞬で気持ちがパッと晴れてしまった自分も
なんだか滑稽に思えてきて
「また明日も頑張ってみるか。」
という気持ちになれたのでした。
僕はゴムボールに助けられたのかもしれません。
絶対にマンガにならないエピソードですね。
救世主がゴムボールなんですから。
余談ですが、申し訳無いことをしたのが
同じソフトテニス部の友だちでした。
どよどよした負のエネルギーを友人にも移してしまって
友だちまでどよどよしながらボール打ってたんです。
それなのに僕だけ一球打ったでケロッとしてしまい
友だちは呆然です。
「なんか、大丈夫かも。」
言ったときの表情がなんとも言えない
困惑した顔をしてましたね。
ケロッとした後にその表情を見てしまったので
「面白かった」のを覚えています。
不規則な人生って面白いですよね。
「死ぬな」とか「生きろ」とか
お説教じみたことをここで言いたいのではなく
「運」が絡んでるから人生面白いって話です。
良くも悪くも矛盾だらけで不条理ですが
わけのわからないルートで
中2の学生の憂鬱が晴れたわけです。
人生パルプンテ。
ベルトコンベアみたいに
過去も未来も現在も決まってたら
恐ろしくつまらなかったでしょうね。
わけのわからないから面白いんですよ。
久々にテニスやりたくなってきました。
最後に気に入ったのでもう一度言っておきます。
ナイスショット。
nagatouch
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