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映画『ボヘミアン・ラプソディ』感想

遅ればせながら、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行ったので、感想を書く。音楽も映画も特別に好き、というわけではないので、深いことは書けないが、新感覚の感動だったので、記録として書いておく。

わたしは大変に涙もろいので、それほど映画館に映画を見に行くことはないのだが、『ボヘミアン・ラプソディ』は、Queenのファンである母の熱心な誘いで見に行くことになった(こんな書き方をしているが、わたしもQueenは好きだ)。
事前にTwitterで感想を流し読みし、どうやら泣けるらしい、元気が出るらしい、伝記というより概念らしいというようなぼんやりとした情報だけを持って映画に臨んだ。結論だけいうと、めちゃくちゃ泣いた。そして、母は隣でわたしの10倍泣いていた。後で聞いたら、ひっくひっくなっていたらしい。

めちゃくちゃ泣いたが、「泣ける映画」だったかというとそういう映画ではなかった。この言い方が正しいかは分からないが、フレディ・マーキュリーの孤独、周囲の人々の優しさや友情といったものは、ストーリーとしてはごくごくありきたりだったと思う。登場人物に特別に共感したということもなかった。いや、ジョン・ディーコンにはちょっと共感した。お疲れ様…。なんにせよ、わたしは途中まではごく冷静に映画を見ていたのだ。見ていたはずなのに、終盤でQueenの音楽が流れだした瞬間、涙が噴き出した。意味がわからない。

フレディがQueenに戻ろうと決意したときに流れ出したアップテンポのイントロ、朝起きて身支度をして、発声練習をするフレディ、青い空にまっすぐな目、のびやかな歌声、熱狂する観客、家族への投げキス。

どうしてそんなものに涙が出るのかわからない。悲しみでもなく、切なさでもない。かといって、明るい喜びでもない。一体、何が琴線に触れたのかすらもわからない。音楽に合わせて、ただただ涙が出た。
考えることはたくさんある。孤独のこと、セクシュアリティのこと、家族のこと、優しさのこと、人生のこと、とにかくいろいろある。でも、その考えていることを言葉にしてしまうと、あまりにも薄っぺらい。

『ボヘミアン・ラプソディ』は確かに、フレディの伝記というよりもQueenという概念だった。ユニークで情熱的で、それでいて普遍的だった。特別なのに特別じゃない、フレディの人生は終わったのに、彼らのショーはまだ続いている。そんなことを思わせる不思議な映画だった。

書いているうちに、あの感動を無理に言葉にしてしまうことすら野暮な気がしてきたので、ここら辺でやめておく。機会があったら是非、見に行ってほしい。今夜はQueenのアルバムを聴いて寝よう。



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