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母親が夢に現れた

今朝、母親が夢に出てきた。


車いすに乗りながら、もう長くないなと思わせる瘦せてしまった最期の姿で僕の夢に現れた。

僕が起きる直前には僕が知る限り1番若く生き生きした姿に戻っていた。


あのお母さんのことだ。きっと僕に何か伝えようとしたのだろう。



僕の家族のことを知らない人の方が多いと思いますので、軽く母親について説明したいと思います。(だいぶ重い話になるので、それでも大丈夫な方はご覧ください。)


おそらく上の文章で察した方も多いと思いますが、僕が中学2年の9月に胃ガンで亡くなりました。44歳でした。


とてもパワフルで人間味に溢れ、やりたいことはやらないと気が済まない、喜怒哀楽がはっきりしているとっても強い人でした。

そんな母が僕が小学2年の時に胃ガンを患いました。

当時の僕はどれくらい重い病気かなんて全く知らなかったし、両親は教えてくれませんでしたが、余命2カ月だったみたいです。


余命2カ月の母が6年も生きたのですから、それだけで母の強さがわかる気がします。


当時小学二年のはなたれ小僧を置いて死ぬわけにはいかないと、何度も手術をし、病気と闘いながら僕を育ててくれました。


正直、余命宣告された人とは思えないほど、母は強く、普通の母親と遜色なかったと思います。むしろ友達の母親よりもパワフルで元気に見えることのほうが多かったです。


母も東日本大震災を経験していますが、あの時家にいたのは母親1人。

地震が起きたとき何していたかを聞くと

「好きで集めたお皿とかを割りたくない」と食器棚を支えていたそうです(笑)

支えているときにテレビが倒れたらしく、そこでようやく危ないということに気づくというパワフルぶり(笑)

ちなみに当時43歳。亡くなる1年半前です。


他にもパワフルエピソードは山ほどあります。

勉強ができない僕に腹を立てた母親は、鉛筆を机の角に投げつけ、鉛筆が真っ二つになりました。投げて折るって昭和の助っ人外国人でもしないぞと思いながら、恐怖に震えていたのを思い出します。


そんな感じで集めた食器のため、幼い子供のため、自分の愛するもののためにそれこそ命をかけて守る、そんな強い母親でした。


そんな母が「もう疲れた」と闘病生活に終止符を打ち、隣の市にあったホスピス(病気を治すためではなく、残りの生活の支援をする病院)を希望しました。


僕がある程度大きくなって、少し自立できるようになったというのも理由の一つだと思います。


それまでは自宅で治療を続けながら、家事をしていた母ですが、ホスピスに入ってからみるみる弱っていきました。


そんな母が僕の野球の試合を観たいと車いすで試合を観に来てくれました。

詳しくは覚えていませんが、ポテンヒット一本だったことは覚えています。


試合後に母親と話す機会はありませんでしたが、あれだけ野球にも厳しかった母親が、あのしょっぱいヒットに「上手くなったね」と言っていたらしく、本当に長くないんだなと思ったのを覚えています。



少し話が変わって、僕が投資用不動産の会社に勤め、がん保険について勉強する機会がありました。

その時ふと「お母さんの病気について、詳しく知らなかったな」と思い、父親に連絡すると、

「お母さんの遺品が実家にあるから探してごらん」と言われ、休みの日に取りに帰りました。

遺品の中に、母親が残していたブログなどを見ることができました。

そのブログは母親ががんになったけど、まだまだ元気な時から、ついにはブログを書く体力もなくなってしまったとき(代わりに書いてくれる人がいいました)まで読むことができました。


そのブログの中で何度も書かれていた言葉があります。

「息子が甲子園に出る姿を見るまでは死ねない」


これを読んだときに涙が止まりませんでした。(ちなみに書いている今も泣いています。)


あれだけ強くて決めたことは曲げない母親が僕がまだ甲子園に行く権利すらない段階で、ホスピスに移ったということ。

つまり、僕なんかには想像もできないほど辛い闘病生活だったということ、また、その辛い闘病生活に耐えながら、幼い僕のために痛みをこらえながらご飯を作ったり家事を一人でやっていたということで、未だに驚きを隠せません。


母親は僕が高校野球をしている姿は一度も見れていませんが、一桁をもらいながら試合に出られなかったこと、甲子園に出られなかったことが、このブログを見て、後悔が止まりませんでした。

「あの時もっと必死になっていれば」「もっとバットを振っていれば」


今でも、たまに「お母さんなら何て言うかな」と思い返したりします。

仕事を辞めるときも「お母さんに怒られるかな。もっと頑張ってから辞めろとか言われそうだな」と思いました。


今日、お母さんが夢に出てきたことには、何かお母さんが僕に伝えたいことがあったような気がしてなりません。

いつもみたく、「しっかりしろ」と怒鳴っているのか、それとも試合を観に来てくれた時のように「頑張っているね」と認めてくれているのか。


夢の内容的には怒っているのか、認めてくれているのかわかりませんでしたが、きっと今でも僕を見守ってくれているんだろうなと感じました。


僕はお母さんのことを誇りに思っています。

あんなに強くてカッコいいお母さんはいないと思っています。


その血が僕にも流れています。

お母さんのように強く、人情味に溢れ、一生懸命に生きていきたいと思います。


そして、いつか僕がお母さんのところに行ったときに、認めてもらえるような人間になりたいと思います。




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