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タワマン幻想考

何年か前、千葉県に実家がある友達が「最近、実家に帰るときに高速走ってると、浦安あたりにタワマンがどんどん建ってる。《タワマン》の価値だけが独り歩きしてるんだよ、浦安のタワマンなんか意味ねえ」とばっさり切り捨てていた。でも、確かにタワマンに対する需要は、一時期ほどの高騰ぶりは多少落ち着いたかもしれないにせよ、依然として衰えを見せているということはなさそうだ。

さっきの「何年か前」は、僕がまだ東京にいた2017年か、2018年に住んでいた沖縄から数日東京に帰ってきたときのどこかだったような気がするが、2024年の現在住んでいる神戸では、住民の急増にインフラが追いつかない恐れがあることからこれまで神戸市中心部ではタワーマンション建設を許可してこなかったが改めて影響を調査する、と数週間前のニュースで言っていたし、数日前には、再開発で大阪梅田駅周辺にタワーマンションが最近続々と完成していて、まだこれからも増えるようなことを言っていた。

という感じでいまだ冷めやらぬ過熱気味の《タワマン》ブームが続けば、今度は「なに《タワマン》なんかに憧れてんの」とブームを冷笑する声が出てくるのは、作用と反作用みたいなもので世の常である。そのなかで安全性への不安など現実的な問題とはまた別にちょくちょく見かけるのは「ヨーロッパでは《タワマン》はむしろ低所得者が住むところとされているのに、日本人は何でそんなものにこんなに憧れたり浮かれたりステイタスを感じたりしているのか」といった論調である。よくある、世界を知っている〈自分〉が日本で絶対視されているような価値観を相対化してあげようという啓蒙家の人たちである。

まあ「見た人」や「住んでいる人」が言うのだから、ヨーロッパでの見方は実際だいたいそういうものなのだろうと思うが、一方アメリカでは、ニューヨークみたいに高層建築がびっしり林立する都市では特に、高層階の部屋やペントハウスが1億ドル以上で売り出されていたりもするらしいし、確か映画『スパイダーマン』でグリーン・ゴブリンになるオズコープの社長が住んでいたのは、高層ビル最上階のいわゆるペントハウスだったような気がするから、明治以来の〈西洋コンプレックス〉にまるごと結びつけるのは少しちがうようでもあるとも思う。

ただ、僕が考えたいのはそのもう少し先の話で、つまり、じゃあなぜ「日本人は《タワマン》の高層階を社会的成功の象徴として考え」、ヨーロッパの人たちはなぜ「高層階に住むことに価値を見出さないばかりか、高層階を低く見るような考え方を持つ」のかということである。

まず、簡単なところでいえば、パリやミラノやロンドン(と言いたいところだがロンドンには行ったことがないのでロンドン事情を直接語ることはできない)などのような歴史あるヨーロッパの都市は、石造りの古い建築物が多く残る旧市街と、主に20世紀以降の新たな産業など時代の変化に対応してつくられた新市街、それにともない増え続ける人口を収容するために開発された郊外で構成されているということがある。

急増する人口に効率的に住居を供給するために郊外につくられた建物は、必然的に高層集合住宅が多くなり、急増する人口に移民労働者が比較的高く含まれるとすれば「ヨーロッパで高層集合住宅で暮らすのは低所得者であって、高所得者はそんなことろに住みたがらない」ということになるのかもしれないが、それは、日本でいえば所得に一定の制限や基準が存在する公営住宅団地に相当するものであって、いわゆる日本の《タワマン》とは種類が異なるだろう。戦後の経済復興の過程で建設された日本の公営住宅はエレベーターを設置しなくてもよい4階建が主流だったから高層建築ではない。もちろん日本においては高層化にともなう耐震性の問題もあっただろう。その後、高層集合住宅が建設されるようになってからも、3・6・9階にしかエレベーターが停まらないスキップフロア方式が採用されるなど、エレベーター設置にともなう工事を最小限に抑えようとすることも多かった。

しかし、僕が考えたいのはこういうことでもないのである。

いまのところ僕は《タワマン》に住みたいとは思っていないが、学生時代、実家が裕福な友達が(その頃はまだ《タワマン》という言葉はなかったと思うが)都内の高層マンションの確か26階にある広大な部屋に兄妹で住んでいて、旅行帰りにみんなで遊びに行ったとき、バルコニーからの東京全体が見渡せるような景色にみんなで歓声をあげ、こんなところに住めるなんてすごいなあと思ったのを覚えている。だから《タワマン》に住みたいと思う人たちの気持ちもわからなくはない。東京タワーやスカイツリーの展望フロアから眺める景色が日常になるわけだし。

と、ここでふと思いついたのが日本の城、というか天守閣である。少し前まで住んでいた愛媛県松山市には、現存十二天守のひとつ松山城がある。街の中心にそびえる、よくこんなに平坦な土地の真ん中にちょうどいい高さの山がぽっこりとあるもんだ、そりゃここに城作るよなという城である。山の上まで来てみると、城に登らずとも西には瀬戸内海が見え、ぐるりとまさに松山の街を一望できる。天守閣に登ればもちろんさらに遠くまで眺めることができ、天下まではいかなくてもこの地を治める者の気分を味わうことができる。姫路城にしても松本城にしても、そのほかの山城でも平城でも、近世の日本の城は天守閣がそびえ、そこから下々を見降ろすというのが「天下人」=支配者という日本の成功者のイメージなのではないか。

そう考えてみると、ヨーロッパの城は、大小さまざまな塔があったりするが、そこから王が見降ろして「天下を取った」と感慨に浸る場所というよりは、むしろどちらかといえば、そういった塔は単なる見張り台か、あるいはさらわれた姫が幽閉され、手の届かない高いところにある小窓からの薄明かりを頼りに暮らし、鉄格子の隙間からわずかに見える月を見つめて悲しみに暮れる場所といったイメージがある。これは日本においては『カリオストロの城』の影響もあるのかもしれないが、それでもやはり何らかの罪を咎められた者が閉じ込められがちな場所であり、王は1階の豪華絢爛な大広間と執務室と寝室を行き来して食事に舌鼓を打ったりくるくると踊ったりしている気がする。もう十年くらい前の話だが、パリから見に行ったヴェルサイユ宮殿も間取りはそんな感じだったような記憶がある。

もちろん日本の天守閣も、象徴的意味合い、あるいは敵の襲来後いよいよ追い詰められた場合の最後の砦的意味合いが強く、天守閣で生活していたわけでも政務を取りおこなっていたわけでもないようだが、それでもやはり為政者にとっても城下の市民にとっても、統治の象徴であったことに変わりはない。

それからもうひとつ、ヨーロッパで高層階が憧れの対象にならない理由になりそうだと思うのは、パリなどのアパルトマンである。留学中の知人が最上階の7階に住んでいたので遊びに行ってみたことがある。なるほどパリの街が気持ちよく見渡せたが、エレベーターのない当時の建物においては、上層階である6階と7階は下層階の住人の使用人が住む部屋であって、使用人の数が減少したあとは、階段で上がらなければならないため家賃が安く、芸術家を目指す人々や学生が住む部屋のに都合のいい(それでもパリの家賃は高額でルームシェアをすることが多いようだが)住居となっていると聞いた。

つまり「ヨーロッパでは《タワマン》はむしろ低所得者が住むところとされているのに、日本人は何でそんなものにこんなに憧れたり浮かれたりステイタスを感じたりしているのか」といえば、日本の城郭建築の象徴である天守閣が「天下人」=成功者との親和性が非常に高いからではないかと思うのである。日本において武士と城と城下町の時代は150年以上前に終わっているが、260年続いた江戸時代、織豊政権あたりから数えれば約300年続いた天守閣と城下町の時代の気分は、今日も文化財として各地に残る、あるいは再建された天守閣とともに、日本人の思考回路に深く刻み込まれているのではないか。

そして「ヨーロッパでは《タワマン》はむしろ低所得者が住むところとされている」のは、ヨーロッパ各国の城の「塔」には日本の天守閣的な性格がなく、単なる見張り台か、監獄的なネガティヴな場所として位置づけられていたこと、そして、パリ中心部の階段しかない古いアパルトマンの上層階は使用人や所得が比較的低い人たちの住居として機能していること、郊外の高層住宅は日本の公営住宅的な性格を帯びた住居であることが理由なのではないか。

というわけで、日本に《タワマン》の高層階に住むことに憧れや誇りを持つ人が少なからずいるのは、天守閣と天下人がもたらした価値観の影響があるので当然といえば当然で、それとはまったく異なる価値観が形成されたヨーロッパでは、そういった《タワマン幻想》が生まれることはなかった、というそれだけの話であり、日本に《タワマン》に住むことを夢見る人や高層階の部屋を手に入れて感慨に耽る人がいたっていいじゃない、もともとそういう文化があったんだし、と思うわけである。

とはいえ、地震の長周期振動だとか停電発生時の上り下りといった危惧について考えたり、武蔵小杉駅の改札を通るためにならぶ長蛇の列というか大群衆なんかを見ていたりすると、それからせっかく《タワマン》に住んでも何階に住むかで住民たちがそれなりのグラデーションで屈託を抱え込んで暮らしているという話を聞いたりなんかすると、あえてヨーロッパを引き合いに出したりしないにしても、ある程度は相対化や俯瞰的な視点をもって、できればなるべく気楽に暮らせたほうがいいような気はするのでした。


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