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リアルを超えるVR体験についての一考察

今回は久々に、改めてとはなりますが、VRの可能性についてのお話。
先日の会食で、そんな話になったので。

結局、Zoomはリアル会議の代替物にはなりきれず、対面で人で会った方が良い、という流れに戻ってしまい、旧Facebook社のHorizon Workroomsも伸びきれなかった。

Horizon Workroomsで会議をしている風景

ただ、VR世界において、「対面」以上の価値を見出せる体験を生み出せれば、VRは対面に取って代わることができるのだと思う。

リアルを超えるVR体験、メタバース体験とは何か、と考えると、メタバースでもリアルでも使える、どんな国の壁をも越えて使える仮想通貨、という概念は面白かったのだけれど、一民間企業であるFacebookのリブラは失敗してしまい、可能性があるのは中国のデジタル人民元なのかもしれない。

中国に経済的に強く影響されている国々もデジタル人民元のエコシステムに入れば、国を跨いだ「通貨」を使い得るし、BRICsにも拡大していく可能性はあるのではないだろうか(実現までの道のりは大変そうだけれど)。
いずれにせよ、日本がその枠の中に入るのは、現状ちょっと難しいかもしれない。

VR体験で僕が衝撃を受けたのは、まず360度空間移動を体感した「Rez Infinite」であり、VRSNSの #VRChat であり、その中で思考実験をしていた #私立VRC学園 であり、「自分以外の中の人になれる」という物語体験をさせてもらえた「#東京クロノス」だった。
VRChat以外は日本人が絡んでいて、実はこの分野は日本人が牽引していけるのかもしれない。

VRChatの世界は多くのものを生み出してくれたが、空中を浮遊して360度移動を体験できる「Rez Infinite」と比べると、「重力の縛り」に拘束されていることが最大のマイナスポイントだと思う。

となると、「『対面』以上の価値を見出せる体験」とは、まずは「Rez Infinite」のように360度、自分の行きたいところへと進めることが、ベースラインな気がする。

その上で、「他者の中の人になれる」というか、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」。
同じ時間帯に、自分が他者の中の人になれる、という行為を通じて、他人の気持ちに入り込むことができれば、「リアルを超えた」会議体験、対話体験になるのではないだろうか。
自分は自分であると同時に、他人の思いも体験できるという。
そして、すべての行為はデジタル化され、すなわちデータ化されることで、再現性を持つ。

自分の発想力の不足を悩むしかないけれど、今のところ考えられる「リアルを超えた」体験というと、こういうものなのではないか、と考える。
それが正しいか否かは別にして、現状のあらゆるメタバースは途中経過。
現時点としては思いもよらないものとして、30年後くらいに現出しているのかもしれない。

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