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🍀🌈虹のコラム✨きみへのメッセージ☀️「誰がために生きるのか?」

 誰がために生きるのかってことを考えていたけれど、これは難しい問題。

 誰かを助けて、その人の役に立つこともあれば、そうではないことだってある。
 せっかくの好意も相手に通じないことだってある。

 散々努力したところで、感謝されるどころか、当たり前みたいな顔をされたり、当たり前みたいに言われたりすることだってある。

 そんな時、妙にがっかりしたりするもんだ。

 ドイツに伝わる民話でこんな話があるよ。

 ある日、幼い女の子が森へ出かけて、そこの池に落ちで溺れた。

 あわや溺れて命がなくなるという寸前に通りかかった若者が池に飛び込んで、女の子の命を救った。

 若者はこの日やっと仕事にありついたというのに、この女の子を救ったことで仕事に行けず、その仕事を他の人に取られてしまった。

 溺れかけた女の子の父親は、その若者のことを知って、夜になって娘の命を助けてもらったことへのお礼を言いに若者の家へ行った。

 若者は仕事を失ったことでがっかりしていた。

 そのきに娘の父親がやってきた。

 父親は丁寧にお礼を述べて、
「あなたが命がけで娘を助けてくれたために、あなたは仕事を失ったと聞きました。わたしはお金があまりないので、これだけしかお礼ができないのです」
と言って、ありったけの銅貨一枚を若者に差し出した。

 すると、若者は微笑んで銅貨を差し出す父親の手をやさしく押し返した。

「よしてください。あなたの娘さんを助けたのは、わたしがそうしたかっただけで、わたしはわたしのために、それをしただけです」

 誰かのために生きることって、誰かのためではなくて、それは自分のためなのだね。

 そう考えていれば、想いがたとえ通じなくとも悔しがったり、残念だと思うこともない。

 誰がために生きるのか?

 誰かのために生きること、それは自分のために生きること。

 それでじゅうぶんじゃないか。
🌈

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