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「こんな石ころだって……」フェリーニの『道』が教えてくれたこと



 フェディリコ・フェリーニ監督の映画『道』に出てくるセリフに次のようなものがありました。

 「こんな石ころでも何かの役に立っている。なんの役に立っているのかわからないけど、何かの役に立っているんだ」

 乱暴な旅芸人、ザンパノに連れらて旅をする少し頭の弱い少女、ジェルソミーナが自分が役立たずでダメだと泣いて嘆くのに対して、同じサーカス団にいた綱渡りの芸人イル・マットが話して聞かせる言葉でした。

「こんな石ころでも何かの役に立っている」

 さあ、そっと目を閉じてください。
 そして、パッと目を開いてください。
 さあ、目に入って来るものは、全てが何かの役に立っているものです。

 そして、その全てのものが誰かの「いのち」を支えるものなのです。
 
 この世界に存在するものは全てが「いのち」を支えていて、何かの役に立っています。

 イル・マルがジェルソミーナに言った通り、なんの役に立っているのか一見わからなくとも、石ころは誰かの「いのち」とつながって、誰かの支えになっているのですね。

 なんの役に立っているのかわからなくなるときってあります。

 しかし、この世界で役に立っていないものなど、ひとつもない。

 なんの役に立っているか自分で分からなくても、世界はそれを知っている。

 あなた自身も必ず生きていることで、存在することで、誰かの「いのち」を支えているのですね。

 生まれてきたことの意味も理由もわからない。

 でも、そうではないのかもしれません。

 石ころのように一見、なんの役に立っているのかわからないだけで、あなたは誰かの役にたって、全ての「いのち」を支えている。

それをどうか、忘れないでください。

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